第7話 トラブルの始まりの始まり


 メイク室でユミちゃんが悲鳴をあげた。


 壁の固定鏡が突然倒れて来たのだ。鏡は床に落ちて派手に割れ、ケガ人こそ出なかったがメイク室は使用禁止となった。


 この事はメンバー達にも伝えられ、早急に修理依頼がかけられる。


 鏡の破片が入ってないか、ユミちゃんらメイクスタッフがブラシなどのメイク道具を念入りに確認していると、メンバー達がメイク室をのぞきに来た。


「うわっ! すごい割れ方したね」

「ユミちゃん大丈夫だった?」


 年上のチーフ・ヘアメイクの女性をメンバー達もスタッフ達も代表も 『ユミちゃん』と呼ぶ。


 本人がそう呼んでと、初対面の人にも言うので大抵の人は最初は『ユミちゃんさん』となる。


 ユミちゃんはメンバー達が練習生時代からメイク担当をしており、明るくてハッキリとした性格は皆に好かれている。可愛らしい幼い容姿はまさに『ユミちゃん』なのである。


「全部、運ばないと」

「手伝うよ」


 メンバー達は誰ともなくメイクバッグやライトを隣の部屋へ運ぶ。


 ユミちゃんは練習生時代から変わらないメンバー達の、この普通な所が好きだった。


『家族』


 ユミちゃんは会社の皆を、そう呼ぶ。


「うちの大事な商品に何させてんだぁー」


 代表が笑いながら様子を見に来た。


 鏡の裏の壁紙が下地ごと剥がれている。


「こりゃ、鏡を取り換えるだけじゃすまないな……この年の瀬に……」


 代表の不安通り、内装業者は年内に来られないかもと、連絡して来た。そこで、社内の美術スタッフに白羽の矢が立つ。


 美術スタッフは剥がれた下地を見るなり、壁紙を貼ってそれなりに見えても、一時しのぎにしかならないと言った。


「年末の忙しい時にー!」


 頭を抱える代表に美術スタッフが言う。 


「『どうにかしろ トラブル』を発動させますか?」


 代表もメンバー達もユミちゃんも「?」と、顔を見合わす。


 ソン・シムとトラブルが呼ばれた。ソン・シムは壁をみて考え込み、今やすっかり信頼するトラブルに聞く。


「これ……どうにかなるか?」


 トラブルは筆談で、内装の経験のある人はいますか?と、聞き返した。


「あー、あいつ、前は内装屋だったって言ってたなー」


 ソン・シムは新人を思い出した。


 1年過ぎても『新人』と、呼ばれている新人とトラブルで修理する事になった。


 トラブルに仕事を教えられるなんてと、ソンの不安を尻目に嬉しそうに挨拶をする新人。


 トラブルは目を合わせずペコッと頭を下げた。


 2人はメイク室の入口にkeep outのテープを張り、作業を開始した。


 メンバー達は事あるごとにメイク室をのぞきに来た。


 トラブルは、昼食前にパク・ユンホにインスリンを打つ為に現れるが、自分達のことは、一瞥いちべつしただけで、すぐペコッと頭を下げて消える。


 1度トラブルが部屋を出た瞬間、ノエルがむせ込んで咳をした。すると、部屋のドアが素早く開きトラブルがノエルを、じーっと見た。


 ノエルは、その意味が分からず目を泳がせながら身を硬くする。


 結局、ジュースでむせただけと分かると、トラブルは無言で出て行った。


「怖いんですけど」


 力の抜けたノエルの言葉に、笑うメンバー達。


「あれで、健康管理してるって言えるのかなぁ」


 誰ともなくトラブルの話になる。


「パク先生は以前はすぐトラブルを呼べって言ってたけど、今はキムさんを呼ぶよね」

「キムさんはパク先生の無理難題に胃が痛いって言ってた」

「トラブルがそれだけパク先生のワガママ……じゃなくて、問題を解決して来たって事ですね」

「言う事を聞かないと精神病院に戻されちゃうから必死なんじゃん?」


 ジョンのこの一言で、3人はハッとセスを見る。


 セスは苦笑いで返した。


「気を使わなくていい。トラブルは大道具とうまくやってるみたいだ。パク先生はトラブルの邪魔をしない為に呼ばないんだろう」

「なんだよー、セス。トラブルの事気にしてんじゃん」


 メンバー達は口々にひやかし始める。


「連絡先とか知ってたりして?」

「もしかして、会ってたりして?」

「美人だもんねー」

「どこかで、会った気がするのですが……」

「僕も見かけた事があるような気がして、思い出せないんだよ」


 5人は、うーんと考えてみるが体育館での出会い以前の接点は思い浮かばない。


 セスがどんなに否定しても、セスが気にしている女性ということでメンバー達は盛り上がった。


 常に人目にさらされている彼等にとって、秘めた恋は歌詞の中でしか経験がない。


 しかも、相手は謎だらけのトラブルである。


 いつもは、離れた場所で仕事をしている彼女が近くのメイク室にいるのだから、移動の度にのぞいて行くのは自然な流れといえた。


 毎日、何回も順番にのぞいていくメンバー達。時間があれば手伝いを始めそうな勢いだが、なにせ忙しい。


 マネージャーは、1人いない!となると、工事中のメイク室の入り口からひっぺはがしに行かなくては、ならなくなっていた。


  ある日、メインボーカルのテオは、ある事に気が付いた。 


 溶剤を使って下地が柔らかくなるのを待つ間や、柔らかくなった下地を剥がし、溶剤の乾きを待つ間など、少しでも作業の待機時間が生まれるとトラブルは部屋を出て行く。


 新人といるのは作業で手を動かしている時のみで「よし、少し休憩しよう」などと、新人が言った瞬間、のぞいているメンバーの横をすり抜けて出て行った。


 まるで、新人と2人で居たくないようだ。


「嫌われちゃったの?」


 テオが無遠慮に新人に聞くと「まさか、そんな!」と、まるで気が付いていなかった。





 ソン・シムはトラブルが頻繁に倉庫に戻って来ている事に気が付いていた。


 声を掛けると、ズボンの後ろポケットから手帳と小さい鉛筆を取り出して、今、のりの乾燥中。今は道具を取りに来ただけ。などと理由をつけた。


 大丈夫か? と、聞くと、大丈夫とうなずく。


 問題あるか? と、聞くと、ないと首を振る。


 ソンは、そんなトラブルの態度に、早めに切り上げさせた方が良いと判断した。


 新人に作業の進行状況を確認する。


「あとは、壁紙を貼って鏡を固定して終了です」

「では、今日中に終わらせろ」


 新人はトラブルに伝え、パク・ユンホが帰った後も残業する事になった。





 実は、トラブルは無表情で作業をしながらも困っていた。


 新人が何かにつけ誘ってくる。始めは「好きな食べ物は? おいしい店があるんだけど」から始まり「いつもバイクだよね? 俺も免許取ろうかなー。そしたら、ツーリング行かない? 海を見に行こうよ」と、誘う。


 トラブルが無視を決め込んでいると「彼氏いないの? 髪のばした方が可愛いと思うなー」と、髪を触り「綺麗な手だね」と、手を握ろうとする。


 もちろん髪も手もそれ以上は触らせないが(コイツもか……)と、不愉快極まりない。


 出来る限り距離を置いて接してきたが、新人の視線を感じると鳥肌が立ち、吐き気がして逃げ出していた。


 だから作業が進まない事は充分承知していたが、半分は新人の手際の悪さが原因だ。


 ソンの早く終わらせろ命令は、ありがたかった。


 今日1日の我慢だと、奥歯を噛む。

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