第6話 ソン・シム


 技術・機材班リーダーのソン・シムは40代後半の好人物だ。仕事にプライドを持ち、デジタル班、美術班の実質的リーダーでもある。

 

 職人肌の人情派で、部下からの信頼は厚い。





 大道具はメンバー達の人気が急上昇するにつれ、オーバーワークになって来ていた。


 代表に人手不足を訴えたところ、トラブルが来る事になり、しかも、時々、メンバー達の健康管理に抜けるという。


 素人で、女で、メンバーや上と繋がっているとは、使いづらいの極みだ。


「いない方がましです」


 代表にそう言ったが聞き入れてもらえなかった。


(せっかく、鬱々うつうつと不満をためていたあいつらに、リハーサルモデルの役割を与えて自分達もこの会社を支えている1人だと自覚を持ち始めていたのに……)


「とにかく使ってみろ」の一言に押し切られてしまった。


 代表はスタッフを大事に扱う。


 スタッフの意見は、相手がどんなに下っ端でも真剣に聞き、真剣に答える。


 どんな反対意見も誹謗中傷ひぼうちゅうしょうもまずは聞く。


 聞いてもらえると、人は心を許し代表の話を聞くようになる。


 だから、頭ごなしに使ってみろと命令をされた事は心外だった。


(俺を試しているのか? 仕方がない。契約期間中だけだし、しょせん女だ。すぐ逃げ出すだろう……)


 そんなソン・シムの思惑ははずれ、彼は3日でトラブルを見直した。


 飲み込みが早い。1度言われた事は決して忘れない。人がやっているのを見ただけでコツまでつかむ。


 どんどん知識と技術を吸収していく。


 工具や機材の使い方などは1年前に入ったスタッフを1週間で追い抜いて行った。


 相変わらず目は合わせないが、筆談でしてくる質問は専門的で的確。


 よく勉強している。


 カメラリハーサルの為のダンスも過去の曲からすべてを覚えなくてはならないが、他の4人から教えてもらい、1日でほぼマスターした。


 何より身軽で運動神経が抜群に良い。


 ゴンドラを釣るすワイヤーが絡んだ時も本来ならゴンドラごと1回下ろして絡みを直し、また、ゴンドラを上げてと時間がかかるところだった。


 トラブルは近くの足場を猿のように登り、ゴンドラに飛び移り、絡んだワイヤーを直して飛び降りた。


 そして、滑車とワイヤーのサイズが合っていないと指摘してきた。


 1年前に入った新人スタッフは「そんなはずはない!」と、憤慨ふんがいしたが、調べてみると、そいつの発注ミスだった。


 私は「これが本番でなくて良かった」と、新人を慰め、トラブルに礼を言った。


 彼女は相変わらず目を合わせず、頭をペコッと下げただけだった。


 最初はトラブルをうとましく思い「何であんなのを引き受けたんですか!」と、くってかかってきたスタッフもトラブルの使い方を心得てきた。


 冷却ファンの羽根が折れた時、交換部品の在庫を切らしていた。


 これもまた新人のミスなのだが、本来なら部品を発注し納品を待って交換する。


 しかし、時間がない。


 誰かの「トラブルどうにかしろよ〜」の一言で、彼女はファンの残りの羽根を折れた羽根と同じサイズにカットし、アクリル板を当てて瞬間接着剤と結束バンドで固定した。


 部品の納品まで充分に使えた。


 折れてない羽根の方をカットする発想に私は感嘆した。


 トラブルが発生した時はトラブルに「どうにかしろよー」が、合言葉のようになってきた。


 ある日、1人が怪我をしているようだと言ってきた。もちろん筆談で。


 彼女の文字は、彼女の顔と同じくらい美しかった。


 いつも足場の鉄骨を3本運ぶ人が1本ずつしか運んでいないと、スタッフを指差す。


 そんな時もあるだろうと本人に聞くと、前日に自転車で転び、左肘を打撲していた。


 大したことないと本人は言うが、トラブルは黒いリュックから湿布を取り出し貼り、慣れた手つきでテーピングをほどこした。


「うわっ、すげ〜楽になった! ありがとう」


 スタッフの言葉にトラブルのいつもの無表情な顔が、少し和らいだ気がした。


 誰かに似ていると思ったが分からなかった。


 彼女は昼にパク先生とメンバー達の控え室に行き、戻ってからの休憩時間は1人で過ごしていた。


 倉庫のスミに座って何かを食べている時もあれば、じっと舞台セットを眺めている時もある。駐車場のドラム缶に座り、空を見上げていたり、バイクで出掛ける時もあるようだ。


 とにかく神出鬼没で、足音をさせずに後ろに立っていたりするので心底驚く。


 トラブルにフォローしてもらってばかりいる新人の、トラブルを見る目つきが気になる……。


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