第650話 アリの巣をかき回す男


「パク・ユンホは、人生を楽しむ天才と言われていましたが、本当は “他人の” 人生で楽しむ天才でした」


 トラブルの答えに、パン・ムヒョンは大声で笑い、代表はその通りとうなずき、セスは呆れて天井を見る。


 ノエルの口はポカンと開き、ゼノとジョンは瞬きすら忘れてしまった様だった。


 パン・ムヒョンは笑いながら捕足ほそくした。


「その通りだ。皮肉屋で天邪鬼あまのじゃくなパク・ユンホはね、人の運命をいじって観察する癖があった。子供の頃は、ありの巣を見つけては1匹だけ離れた場所に置いて追い掛けたり、担任の弁当箱を若い養護の先生の机に置いて、2人がどうするかのぞいていたりと、まったく何が面白いのか分からないが、人を観察するのが好きだったんだよ。テオくんとトラブルを引き合わせたい。しかも、テオくんが有名人になってから同じ顔を持つ一般人の存在を知ったらどんな反応をするか……考えながらワクワクしていただろうねぇ。ある意味、人生を楽しむ天才だからね」


 そうだと、手を打つ。


「思い出したよ。パクと酒を飲みながら、君達の写真を撮る事になったと聞いた時に、いよいよテオくんとご対面だと話に花が咲いてね。テオくんの性格ではトラブルをすんなりと受け入れて、パクが期待する様なゴタゴタは起こらないんじゃないかと私は言ったんだよ。それよりもセスくんの方が気持ちをかき乱されるかもとね。トラブルと同じ様に拘束服を着せられた過去を持つセスくんは、きっとトラブルに影響されると思ったのだよ。パクはセスくんを知らなかったが、顔合わせの日を楽しみにすると言っていた」


 セスは、名前をパク・ユンホに呼ばれた日を思い出した。

(第3章第65話参照)


 作曲家は、自分はセスの性格を少なからず知っている。もしかしたら、愛し合う様になるかもと思っていたと、笑う。


「私の予想は外れたね。まさか、テオくんと恋仲になるとは思わなかったよ。パクに金を払った時は悔しかったねー」

「賭けていたのですか⁈」

「私は、愛しているのは、あながち間違いではないと主張したのだがね。パクは受け入れてくれなかったよ」


 乾いた声で笑う偉大な作曲家は、人の人生をかき回して楽しむ変わり者の写真家と重なって見える。


 セスは、写真家が、裕福な軍人の息子と貧乏な薬売りの息子を引き合わせたのも、単なる興味だったのではと思う。


 写真家が亡くなっている今、確認のしようもないが、確信を突いていると自信があった。


「それで? こいつの過去とメンバー結成の秘密を暴いて、先生の遺言は終わりですか? 満足しましたか?」


 代表は腰に手を当てて、メンバー達に休日を返したいと言う。しかし、パン・ムヒョンは首を横に振った。


「いや、脱線させてしまったね……ある日、もう1度、賭けをする話になったんだよ。それはね、パクは君がテオくんと結婚すると、私はセスくんと結婚すると賭けたんだよ。賭けたのは全財産だ。パクも私も知っての通り独身で、相続させる子供もいなかったからね。しかし、パクは死んでしまった」


 天井を見上げる。


「パクは、その時に言った通りに遺言を書いていた。さすがに、全財産とはいかなかった様だが……私ももうすぐ死ぬ。賭けは宙に浮いたままだが、私もパクとの約束を果たさなくてはならないんだよ」


 作曲家は、いとおしむ目をセスに向けた。


「ここに私の遺言書がある。皆んなが証人だから、よく聞いておいておくれ。セスくん、私の作業室の機材に入っている音源を全て、君に譲る」


 セスだけでなく、皆が息を飲んだ。


「先生……全てとは……」

「今度デビューする子達の曲は譲れないが……代表、パン・ムヒョンの遺作として存分に宣伝しておくれ。セスくん、音源は800曲分くらい入っているよ。申し訳ないが私には兄弟が多くてね。甥っ子や姪っ子にも何かを残してやりたいから過去の著作物は諦めておくれ」

「未発表の音源が800……」


 それは、会社を存続させるに充分な数だった。


 自分達の楽曲をほとんど作っていた2人のうち、1人が抜ける。それは残された1人の肩に会社の命運がのし掛かるという事。


 ゼノはセスの肩に手をやる。


「セス、制作会議にようこそ」


 セスは、尊敬する作曲家からの思わぬ贈り物を素直に喜べなかった。


 彼が死んだら実現するそれは、自分を隔離病棟に入れた実の父よりも愛していると、唯一、言える心のり所を永遠に失うという事。


 セスはゼノに手を置いかれたまま、うつむいて涙が流れない様に歯を食いしばった。


 そんな息子に作曲家も目頭を熱くする。


 しかし、もう一つ大事な用件があると、深呼吸をした。


「テオくん。トラブルに家を返してくれないかね? 君が買ったんだろ? 河辺の家を」


 初耳のトラブルは驚いてテオを見る。


(テオが買った⁈ 青い家を⁈ なんで⁈ だから言い値で……)


 テオは上目遣いでチラリとトラブルを見たが、すぐに下を向いてしまった。


「あ、あの……どうして、それを。でも、あの家は……」

 

 しどろもどろで答えるテオにパン・ムヒョンは真剣な目を向けた。


「セスくんから売りに出されたと聞いた時、私が買おうと思ったんだよ。一歩、君の方が早かったがね。あの家はね、我が友パク・ユンホが彼女に残したモノだ。チェ・ジオン氏を愛する者が所有してこそ価値があるんだ。返したまえ」


 その強い口調にテオは言葉を失う。

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