第444話 はいれない


 トラブルがシャワーを浴びている間、テオは、まだベッドの中にいた。


 腰がしびれて、立てるか自信が無い。


(踊れなかったら、どうしよう。ゼノに殺されるよ……)


 トラブルは服を着てバスルームから出て来た。


「トラブル、着替えちゃったの? そんなに時間がない?」


いいえ、朝食を作ります。皆の分も。


「本当? うわ、ありがとう。皆んな朝寝坊しているだろうから喜ぶよ」


テオは、荷物はまとめてあるのですか?


「うん、ノエルに頼んである。適当に詰めておいてって。だから、帰ったら空港ファッションを考えなくちゃ」


適当? 大丈夫ですか?


「うん、いつも良きにはからってくれているよ」


そうですか。テオもシャワーを浴びて来て下さい。


「うん」


 テオはそっとベッドを降りる。足に力を入れて、よいしょっと腰を上げた。


(よし、歩ける……)


 テオがシャワーを浴びる間、トラブルはスクランプエッグとベーコンのサンドイッチを作った。


 紅茶をれる。


 椅子に座り、まだ温かいサンドイッチと、砂糖を少し入れた紅茶を口にした。


「あ、食べてる。僕にもー」


 テオはタオルで頭を拭きながら、トラブルの前に座る。


 トラブルは笑顔で紅茶を差し出す。


 テオは両手でカップを受け取り、ほぉーっと、ひと息吐いた。


「なんか、紅茶だとリラックスしちゃって仕事モードにならないよ」


 テオは恥ずかしそうに笑う。


 トラブルもテオの顔が見れないでいた。サンドイッチをかじりながら、時々テオを見ては顔を背ける。


 テオは我慢出来ず、トラブルが嫌がると分かっている質問を口にした。


「あのさ……イッた?」


 トラブルはサンドイッチで顔を隠して、席を立った。


「ごめん! あの、その、さっきのすごく……凄かったから、僕だけなのかなぁって思って……怒った?」


(凄く、凄かった?)


いいえ。怒っていません。


「良かった……で、どうだった?」


(まったく……)


 トラブルは耳まで赤くして手話をした。


すごく……凄かったです。


「本当?で?」


(でって……)


……キました。


「ん? なんて?」


イ……キました。


「本当⁈ ヤッター! ノエルに……あ、ごめん。言わないから」


(ウソ、絶対に言う……)


恥ずかしいので、言わないで下さい。


「うん、約束する」


(顔が笑ってるしー……バレバレだよー)


早く食べて下さい。送ります。


「うん。うふふ、ノエルがね、あ、これは、言っていいよね。ノエルが『初めてで彼女をイカせるなんて無理』って言うんだよ。そんな事ないじゃんねー」


(厳密に言うと初めてではないような?)


女性のコンディションに左右されるので一概いちがいには言えないと思います。


「え、そっか。じゃあ、同じ事をしても無理な時もあるって事?」


当然です。


「うわー、難しいんだなぁ。僕、頑張るから」


(朝っぱらから何を言ってんだか……)


テオが、今から頑張る事はコンサートを成功させる事です。


「分かってるよー。でも、それは全員で頑張る事じゃん? トラブルの事は、僕しか頑張れないからさー」


はいはい。ごちそうさまで良いですか?


「ちょ、ちょっと、待ってよー」


 トラブルが皿を下げようとするので、テオは慌てて口いっぱいにサンドイッチを頬張った。


 トラブルは皿を洗い、ベッドからシーツを外して洗濯機に放り込む。戸締りをして、1階でテオの支度が終わるのを待った。


「お待たせ。あ、それサンドイッチ? 僕のリュックに入れるよ」


 テオはサンドイッチをしまい、トラブルの腰に手を回す。


「1ヶ月も会えなくなるね。ちゃんと、ご飯を食べて、具合が悪くなったら先生の所に行くんだよ。代表に危険な事を頼まれても断って。毎日、ラインするから。あとは、えーっと……寂しくても泣かない様に頑張ります」


はい。私も頑張ります。


「うん……あー! 連れて行きたい! でも、ユミちゃんに殺される! だから、我慢するしかない! でも、寂し〜! 泣きそうだよー!」


 テオはトラブルを抱きしめて、くるくると回りながら頬にキスをする。


 トラブルは口を開けて笑うが、テオはお構いなしにキスを続けた。


「あー、僕、サラリーマンになろうかなぁ。行ってきます、で、夕方には、ただいまって言えるのって素敵だよね」


そうですか? 1ヶ月後に、ただいまと帰って来て下さい。


「うん、お土産を買って来るね。あ! ワイン! 飲むの忘れた! ガーン!」


 トラブルは大笑いをする。


「せっかく、日本のワインでシッポリと……したから、イイか」


(シッポリ?)


フランスのワインも買って来て下さい。信州とカルフォルニアとフランスと、飲み比べをしましょう。


「うん、イタリアも有名だよね。なんか、ツアーが楽しみになって来た」


仕事ですよ。


「うん。でも、プラスアルファでさ。トラブル、いい子で待っていてね」


はい。


「よし、いい子、いい子。あー! 離れがたい! もう1回、しとく?」


こら。行きますよ。


「はーい……」


 テオは、渋々トラブルから離れ、ヘルメットを持つ。


 2人で外に出て、トラブルは鍵を掛けた。


 テオは青い家を見上げる。


(トラブルを、よろしくね……)


 爽やかな風が吹き、青い家が返事をしてくれた様に感じた。






 トラブルのバイクは、テオを後ろに乗せ、軽快に走り出す。


 朝日に光る漢江ハンガンの川面が、テオには、いつも以上に美しく見えた。


 快晴の空に1つだけ浮かぶ雲も、後ろに流れる木々も、道路に落ちるバイクの影も、自分達を祝福していると、確信を持って言える。


(景色が違って見える。世界は、なんて素晴らしいんだ!)


 テオはトラブルの腰につかまりながら鼻歌を歌い出す。


 その声は次第に大きくなり、トラブルの耳にも届いた。楽しそうな歌を聞いて、思わず笑顔がこぼれる。


 ソウル市内のビルの間を近道して、宿舎のマンションが見えて来た。


 トラブルはスピードを落とすがウインカーを出さずに、そのまま、宿舎を通り過ぎた。


 テオはトラブルが停車しないので、不審に思うが、すぐに、その理由を理解した。


 宿舎のマンション駐車場の出入口に、明らかにメンバー達のファンの女の子達が数名、立っていたのだ。


 恐らく、空港に見送りに行くよりも、ここの方が確実に会えると踏んだのだろうが、2人を目撃されてしまう事になる。


 トラブルはマンションの裏側にバイクを停めた。


 テオがヘルメットを外そうとするので、それをめ、手話を見せる。


歩いて宿舎に入りますか?


「でも、朝帰りがバレちゃうよ。どうしよう。先に空港に行こうか……」


空港もファンとマスコミが、すでにいるはずです。


「そうだよね……どうしよう……」


ノエルに電話をして状況を伝えて下さい。


「うん、分かった」


 テオはノエルに電話をする。ノエルはすぐに電話に出たが、テオはヘルメットの隙間にスマホを入れているので、上手く話す事が出来ない。


 時折、通り掛かる通行人の目が気になり、大声を出すわけにもいかず、テオは通話を切るしかなかった。


 自室で、ノエルは切れたスマホを眺めながら、眉間にシワを寄せる。


「いつも以上のテオ語だよ……これはー……何かあったって事だよねー。セスー! テオが変なんだー!」


 ノエルはキッチンで朝食を作るセスに声を掛ける。


「あ? あいつが変なのは、今に始まった事じゃないだろ?」


 セスは、いつもの不機嫌な顔で答える。

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