第509話 あの人と似ている


 ノエルの声は1回目よりは出ていたが、セスは再び眉間にシワを寄せる。


「気に入らない様だね?」

「気に入りませんね」


 セスはそう答え、音を止めた。


「ノエル、ハッキリ発音してくれ。歌詞の内容は無視しろ。音にノッて言い切る様に。いいな。もう1度」


 ノエルは言われた通りに歌うが、セスの気に入るモノではなかった。


 パン・ムヒョンはセスがノエルに何を求めているか分かったが、いつもは、察しの良いノエルがそれをみ取れない理由が思い当たらなかった。


「ノエルくんと話をしていいかね?」


 パン・ムヒョンはセスに部屋を出る様に言い、セスは無言でうなずいてプロデューサーと共に出て行った。


 ブース内のノエルには、それがセスが立腹して出て行ったと映った。


 ノエルの歌声は小さくなり、ついには黙り込む。


 パン・ムヒョンは手招きでノエルを呼び、椅子に座らせた。


「すみません、先生。どうしても歌詞に共感出来なくて」

「共感したフリすらも出来ないなんて、いつもの君らしくない」

「そうですよね……セスが書いた、この男がどうしても理解出来ません。だいたい、セスらしくないと思いませんか? こんな明るい曲調なのに妄想を語るなんて夢も救いもない。しかも、付き合ってもいないのに、振るんですよ⁈ 頭がおかしいとしか思えません」


 ノエルは吐き出す様に一気に言った。


「ふむ、私も救いがないと感じたよ。では、この男を女性に置き換えてみたら、どうだね?」

「女性だったら、まだ理解は出来ます。素敵な出会いに憧れたり理想のデートを想像したり。それでも現実の男性に何かしらの行動を起こすとは思いませんか?」


 ノエルには、小さなシンイーが勇気を奮い出し、ギュッと目をつぶってキスをする姿が目に浮かぶ。


 パン・ムヒョンは「ふむ……」と、腕を組んだ。


「例えば、ある男が職場の同僚に淡い恋心を抱いたとする。普段は口も利かないが、ある日、彼女が『お疲れ様でした』と、笑顔を見せて帰って行った。彼の気持ちは?」

「……嬉しいでしょうね」

「彼は、天にも昇る気持ちになる。1人、家で夕飯を食べながらニヤニヤと思い出し笑いをする。彼は、もし、ここに彼女がいたらと妄想する。もちろん、ベッドの中でも。翌日から彼は妄想の中の彼女とデートを続けるが、現実では相変わらず口を利く間柄ではない」


 ノエルはパン・ムヒョンが言わんとする事が分からなかった。相槌も打たず、黙って話を聞く。


「ある日、彼女に彼氏がいると人伝ひとずてに耳にした。彼は彼女に怒りを覚える。恋心は消え去り『僕達は上手く行かない』と、妄想の彼女に別れを告げる」

「それが、セスが言いたかった事だと?」

「いやいや、に何かしらの行動を見せた彼女は、まずは、空想や妄想から勇気をもらったのではないかと思ってね。もし、君に全く脈がないなら、そんな勇気も出ず、当然、行動も起こさなかった。違うかね?」


 ノエルは驚いて偉大な作曲家を見る。


(シンイーは……)


「妄想から勇気をもらった……」

「しかし、現実は上手く行かない。妄想の失恋を癒す為に、さよならを告げる。だが、所詮しょせんは妄想なんだよ。現実の失恋よりも傷は遥かに浅い」

「だから、セスは歌詞の内容は無視しろと……」

「現実ではないのだから重くなる必要はない。曲にノッて軽く歌い流す。思っていたのと違うから『君を自由に』してあげるのだよ」

「では、もし、その彼女が彼に少しでも気があれば……彼は何かしらの行動を起こしていた?」

「そうだ。空想や妄想は悪い事ではない。むしろ、良い事なんだよ。何度も自分の中で妄想を繰り返す事で、最悪な結果にも対応出来る様になる」

「セスは、これを聴いた人達に妄想も悪くないと言いたい?」


 パン・ムヒョンはノエルにニヤリと笑ってみせた。


「セスくんの妄想の彼女も、ノエルくんに行動を起こした彼女も、リアルの中で生きているのは同じだろ? 結末や形はそれぞれ違うが、恋心がそこにはあり、そこから始まる恋に向かって大いに妄想して結構なんだよ」


 ノエルは、なるほどとうなずいた。


「『恋せよ男子』……ですね?」

「そう! なので、応援する様に歌えば良い。ところで、セスくんに妄想させる彼女とは誰だか、君は知っているかね?」


 ノエルの脳裏にはトラブルしか思い浮かばなかった。しかし、そんな事は口に出せない。首を横に振る。


「いえ、知りません」

「ふむ、そうか。是非、知りたいと思ったのだがねー」


 パン・ムヒョンは腕を組んで片手を頬に当て、残念そうに、しかし、顔は楽しそうに言った。


 ノエルは、その顔と仕草をどこかで見た事があると感じたが思い出せなかった。


「先生。もう1度、歌います」

「よし、セスとプロデューサーを呼んで来よう」


 ノエルはブース内に戻り、楽譜を見る。


(妄想男にエールを送る……気持ち悪いけど、皆がリア充しているわけがないし、現実の男子の頭の中は妄想だらけだよね……セスは、こんな発想をどこから……トラブルでいっぱいなのは知っていたけど、こんな妄想をして関係を終わらせていたの? それとも、今も続けている……?)


 ノエルが考えあぐねていると、セスとプロデューサーがパン・ムヒョンと共に戻って来た。


 セスはノエルと目が合うと、眉間のシワを深くした。


(ノエル、俺の事を詮索するな。今はこれに集中しろ)

(分かってるよ。でも、僕とシンイーの事をのぞいておいて、ずるいなぁ)

(キスの瞬間に、お前から俺に意識を飛ばして来たんだろ? 俺は何もしていないぞ)

(だって、見られていたら恥ずかしいって思ったら、セスの部屋に行っちゃったんだよ)

(バカが)

(仕方がないじゃーん)


「2人とも、にらみ合っていないで始めないかね?」


 パン・ムヒョンの合図でレコーディングが再開された。


 ノエルは曲にノリ、さっきとはうって変わって軽快に、そしてハッキリと発音した。


 セスとプロデューサーはうなずき合う。


 ノエルは、さらに自分の解釈も入れた。


 妄想男にエールを送りつつ、それだけではダメだと語尾を強める。


 セスは苦笑いをしながらもOKを出した。


「テオを呼んでくれ。り直す」


 テオはノエルの笑顔を見てホッと胸を撫で下ろす。セスの、ノエルの解釈を取り込んだ指示を受け、素直に表現した。


「ふむ、良いね」


 パン・ムヒョンのお墨付きをもらい、セスの口角は上がる。


 続けてジョン、ゼノ、そしてセスの声もり、新曲のレコーディングはかなりの時間を押しながらも無事に終了した。


 セスはプロデューサーに「振り付けと演出のアイデアが浮かんだ」と、制作スタッフを招集し、プロデューサーと共に会議室に消えて行った。


「彼はノエルくんの解釈に刺激を受けたようだねー。まあ、私もノエルくんと同意見だったから彼が受け入れてくれて良かったよ」


 パン・ムヒョンは腕を組んで片手を頬に当て、楽しそうに目を細める。


 ノエルは誰かに似た、その仕草に思い当たった。


(パク・ユンホ! そうだ、パン先生はパク・ユンホに似ている……なんで……)


「後ろ向きの歌詞を軽く歌い、ディスっている様に聞こえないか不安でしたが、ノエルが応援歌に変えてくれて助かりましたよ」


 ゼノがノエルの肩を叩き、ノエルの思考は遮られた。

 

「う、うん。そうかな……」

「ノエル、すごいよ。それでもイイんだって聞こえる。ブレスの位置や歌い方でこんなにも変わるんだねー」

「うん……いや、テオと先生のおかげだよ……」

「もう、変更はないよね⁈」


 ジョンがすがる様な目をパン・ムヒョンに向けた。パン・ムヒョンは笑う。


「ははっ! ジョンくん、もうも何も、まだ1度も変更していないじゃないか。変更があるとすればこれからだよ」

「いやー!」


 ジョンの叫び声に全員が大笑いをする。


「さあ、ダンスレッスンですよ。振り付けの先生もセスに連れて行かれましたかねー? とにかく、移動しますよ」


 ゼノに言われ、メンバー達はパン・ムヒョンに挨拶をしてスタジオを出た。  


 ノエルは歩きながら、パン・ムヒョンとパク・ユンホがなぜ重なって見えたのか考える。


(年の頃は同じくらい……でも、名字は違うし、まさか、親戚って事はないよね……他人の空似そらに? それにしても……)

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