第510話 テオ、キレる

 

 ゼノの予測通り、振付師はセスの緊急会議に駆り出され不在だった。


 ダンスレッスンは中止され、それぞれ待機となる。


 控え室で、ジョンとゼノはジムで運動をしようとテオとノエルを誘うが、ノエルはそれを断った。


「お腹が空いたよ。何か食べて、ひと眠りするからさ。いってらっしゃい」

「ノエル、顔色が悪いよ?」


 テオは心配をしてノエルの額に手を当てた。


「大丈夫だよ。お腹が空いただけ。テオは? 医務室に行く?」

「え、トラブル、いるのかなぁ……」

「いるよ。チョコレートケーキ持って、ごめんなさいして来なさい」

「え⁈ なんで?」

「あー……ジョン、ゼノ。いってらっしゃい」


 突然、ノエルに手を振られ、ゼノは驚きながらもジョンと控え室を出て行った。


 ノエルはマネージャーを振り返り「僕に餃子。テオにチョコレートケーキを買って来て」と、頼む。


 マネージャーが控え室を出たと確認し、人払ひとばらいを済ませたノエルはテオと向き合った。


「あのね、2人の問題に口を出すつもりはなかったんだけど、トラブルが可哀想でさ」

「可哀想? なんでさ」

「仲直りの為とはいえ、壁の向こうにセスがいる場所でするのは、嫌だったと思うよ? しかも、ケンカの後じゃん? 断ったら仲直りしたくないみたいで強く言えなかったんじゃないの?」

「え、でも……まあ、僕が断らないでって言ったけど、そんなに嫌がってなかったと思うけど」

「なんで? ヌルヌルに濡れて感じてたから?」

「そ、そんなでもなかったけど……普通だった」

「テオー、女の子は場所や部屋の鍵とかが気になるって教えたよね? 断れない状況だったんじゃないの?」

「そう言われれば、そうだけど……」

「ほらー、確かめて謝って来た方がイイよ」

「う、うん……そう、だね」


 マネージャーが買い物から戻るのを待って、テオは医務室に向かった。


(断れないって……僕は彼氏なんだから断る必要ないよね? 始めに嫌がってたのは宿舎っていう場所に対してだし……声が聞こえちゃうわけでもないんだから、なんで謝らなくちゃならないんだろ……?)


 テオはノエルの助言の意味が分からないまま、チョコレートケーキ片手に医務室のドアをノックした。


 トラブルは医務室にいた。


 いつもの白衣姿で書類整理をしている。


(やっぱり、仕事中のトラブルはカッコいいなぁ)


「トラブル? 忙しい?」


 テオが声を掛けながら入ると、そこには大量の封筒がテーブルやソファー、診察台にまで乱雑に置かれていた。


「うわっ。これ、どうしたの⁈」


あー、ストレスチェックの結果が一気に来て……袋をひっくり返してしまいました。


「バラバラになっちゃったの⁈」


はい。部署ごとにまとめられていたのですが。


「手伝おうか?」


いえ、今、名簿を見ながら所属場所のシールを貼っているので……封筒を読み上げてくれますか?


 全職員分の封筒の数は膨大で、手伝うとの申し出を断る方が愚かだと判断する。


「OK。封筒に名前は書いてあるんだね。えーと、これはー……」


 テオが封筒の名前を読み、トラブルは名簿を見てシールを貼る。そして、部署ごとに仕分けて行った。


(総務はここで、衣装さんはこっち……)


 ある程度揃ったら、バラバラにならない様に輪ゴムで一括ひとくくりにする。


「次、言うよ? いい?」


 トラブルはうなずいて見せ、作業は進む。


 テオは封筒の名前を読む以外は仕事がないので、トラブルの作業を見守りながら、ノエルに言われた今朝の出来事を謝った。


「あの、少し強引だったかなぁって。気になっていて……ごめんね?」


(え、ああー……)


分かってくれて、ありがとう。


 トラブルはシールを指につけたまま、手話で答えた。そして、視線を封筒に戻し、貼っては輪ゴムで留めて行く。


「チョコレートケーキ、買って来たんだ」


ありがとう。次は?


「え、あ、次の人はー……ソヨンさん」


(ソヨンはメイク……)


 トラブルは《メイクスタイリスト》と書かれたシールを探し、封筒に貼る。


「あのね、トラブル……」


次は?


「えっと、ユミちゃん。この辺はメイクさんみたいだよ。それでね……」


はい、次。


「あ、えーと……」


 テオは今朝のトラブルの気持ちを聞きたかったが、手を止めないトラブルに次第に腹が立って来た。


 トラブルも、うながさないと封筒の名前を言わないテオにイライラをつのらせる。


(もう。テオが来てペースが落ちた……)


テオ、話は後ではいけませんか? これは月曜には配布したいので急いでいます。


「あ、うん、後でもイイけど。忙しい時に来て悪かったよ……」


(5分くらい聞いてくれてもイイじゃん。せっかく来たのに)


 テオが気分を害したのは分かったが、今はそれどころではない。2人が静かに作業を再開していると、美術スタッフが駆け込んで来た。


「トラブル! ベンジンを吸い込んで倒れたヤツがいる! 来てくれ!」


 トラブルは名簿を置いて、医務室を出ようとした。しかし、テオと散乱した封筒達を見て、足を止める。


(個人情報……)


テオ、すみませんがテオも出て下さい。


「え、進めておくよ?」


いえ、鍵を掛けます。書類があるので。


「うん、でも……僕のは見てもイイんだよね?」


いえ。たとえ自身の結果でも、ここでテオが見ていたと知れれば漏洩ろうえいを疑われる可能性があります。


漏洩ろうえいって、そんな……僕はそんな事しないよ⁈」


人が見れば……


「分かったよ! 出ます! 出ればイイんでしょ!」」


 テオは立ち上がり、医務室のドアを乱暴に開けた。


 呼び止めようと手を挙げるトラブルを振り返り「トラブルは仕事を優先させていればイイよ! 僕だってヒマじゃないんだからさ!」と、捨て台詞を吐いて出て行った。


 トラブルは驚いて、挙げた手をゆっくりと下ろす。


 同じく呆然とする美術スタッフをうながし、医務室を後にした。

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