第134話 我慢していた
健康診断最後の日、トラブルはヤン・ムンセに自分の採血と心電図を頼む。
「緊張するなー」と、言いながらヤンは上手に採血をした。
次にトラブルは診察台に横になり服の下から手を入れて自分で心電図の電極を取り付ける。
心電計を見つめながら、ヤンは「テオと本当に血の繋がりがないかDNA鑑定をしては?」と、言い出した。
計測が終わりトラブルは電極を外す。そして、自分は日本生まれなので、あり得ないと失笑した。
「テオの叔母か叔父が日本にいた事は? テオの母親がテオを生む前に日本でトラブルを生んだ可能性は? テオの父親が日本で誰かに生ませたとも考えられますよ」
トラブルは、それを知った所で何もならないと、言い返した。
トラブルとヤン・ムンセは健診結果を入れた封筒を各部署に配布して歩く。
昨年、要再検査となっていた数名は半分の人が異常なしとなり、もう半分はやはり再検査となった。
トラブルはその内容も詳しく記載し、本人に医務室に来るように伝えて手渡した。
ヤン・ムンセの契約最終日、ヤンは重大なミスに気が付いた。
「トラブル、テオだけ心電図をやっていません」
トラブルはチェックリストを見て、なぜ落としたのか考える。
「あの時ですよ、レントゲンを順番に撮りに行って、その後トラブルとテオはメイクを落としに行きましたよね? その時に他の4人は自分が心電図を取り、テオは医務室に戻って来なかったんですよ」
トラブルは開いた口が塞がらない。
なぜ、その時に私に言わない。
「あ、すみません」
トラブルはマネージャーにメールで伝えるが、今日は戻りが夜になると言う。
トラブルは大体の終わり時間が分かったら知らせて下さいと、返信した。
トラブルとヤン・ムンセは医務室の大掃除を開始する。
特にガラスのドアが手垢だらけだ。
背の高いヤンがガラス拭きをかって出た。
トラブルは、血圧計や心電図の
診察台と椅子の足を拭き、ミニキッチンの水回りも忘れずに掃除して行く。
ガラスを拭き終わったヤン・ムンセがジョンのゲーム機を見て「コントローラーにお菓子が詰まってますよ」と、顔をしかめてフッと息を吹きかける。
トラブルは綿棒を渡し、細部まで綺麗にしてと頼んだ。
ゼノのマッサージチェアーを水拭きし、廊下の窓を開けてクッションとブランケットをはたく。
ノエルの観葉植物の枯れた葉を取り、水をやる。
整理整頓をして終了した。
「お疲れ様でした」
ヤン・ムンセが深々と頭を下げる。
こちらこそと、トラブルも頭を下げる。
トラブルとヤン・ムンセはメイク室を
ユミちゃんは本を読んでいた。
ヤンが声をかけるとユミちゃんは「先生ー」と、笑顔で迎え入れる。
「医療倫理⁈ 難しい本を読んでますね」
「だって、トラブルや先生達はどう考えながら仕事をしているのか知りたかったの」
「ユミちゃんが、人をもっと綺麗にしてあげたいと思う気持ちと同じですよ」
「いやーん、先生、優しい」
「今日で終わりなんです。挨拶に来ました」
「えっ、次は決まっているんですか?」
「はい、国境のない医師団でカンボジアに行きます」
「カンボジア……遠いわね」
「はい。帰国したら連絡しますね」
ユミちゃんとヤン・ムンセは連絡先を交換して手を振りながら別れた。
会社ロビーで職員とトラブルに見送られ、ヤンは「ありがとうございました」と、頭を下げて去っていった。
職員が退社する夕刻、トラブルは一人残務整理をしていた。
この1ヶ月、ヤン・ムンセはトラブルに気を使っていたのか常に喋り続けていた。
それが大きな独り言だと分かるとトラブルはBGMのように聞き流していた。
それが今は静かだ。
1人は好きだが静かすぎて耳鳴りがする。
トラブルはスマホで音量を下げて音楽を流す。
久しぶりに聞いたその曲の “いつでも探している” という歌詞が好きだった。
繰り返し聴きながらカルテの整理を行い、マネージャーからの連絡を待つ。
ふと、時計を見ると2時間たっていた。窓の外はすっかり暗くなっている。
(今日は会えない……いや、心電図を取るのは無理かな)
トラブルは椅子の背を鳴らしながら、うーんと背伸びをした。
「それ、日本語?」
振り向くとテオが息を切らして立っていた。
「駐車場から走って来た。なんか医務室スッキリしたね」
大掃除をヤン医師としました。
「今日が最後だったんだっけ。挨拶出来なかったな」
テオは診察台に腰をかけ「それ、いい曲だね」と笑顔を向ける。
はい、日本人アーチストです。私の好きな曲です。
「トラブルの好きなもの、また1つゲット」
テオは大袈裟にガッツポーズをした。
皆は? と、トラブルは聞く。
「マネージャーが送って行ったよ。ノエルがどうしても先に帰りたいって言って。僕らを2人にしてくれたみたい」
そうですか。呼吸は落ち着きましたか?
「ううん、まだダメ。こっちに来て」
テオはトラブルの手を取り引き寄せる。
「やっと触れた」
テオはトラブルを見上げた後、その手を自分の頰に当てる。
トラブルは、仕事中ですと手話をしようとするがテオはその手を離さない。
さらにトラブルを引き寄せ、ギュッと腰に抱きついた。
「本当にずっと会いたかった。我慢してたんだよ」
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