第436話 私だけの1秒


 トラブルはテオの肩に寄り掛かり、考えていた。


(この子は身近な人間の『死』が想像出来ないんだな……私達が年を取る頃には親は死ぬ。その時テオは、私を責めるだろうか……この子には、同じ様に育った女性が相応しいのかも……私は……月になんて、なれない……)

(第1章第60話参照)


 トラブルの気持ちを知ってから知らずか、テオのキスは止まらない。


 髪から額に、そして頬に。


 トラブルはされるがままに身を任せ、テオのキスは首筋に降りて来た。


 テオはトラブルを、そっと押し倒す。


 床に肘をつき、トラブルを見下ろしながら額から頬を指で撫でる。薄い唇を親指でなぞり、唇を重ねようとした時、トラブルがテオの肩に手を回した。

 

 トラブルはテオの首から肩を優しく揉み上げる。


 テオは、その手を避ける様にトラブルの唇に吸い付いた。子供が指をしゃぶる様に舌を探す。


 トラブルは唇を食べられたまま、肩を揉む指に力を込めた。


「ん……」


 テオは唇を離して、トラブルの片腕を自分の肩から外し、揉むのをめさせた。


「マッサージしているの? 寝かそうとしてる?」


 トラブルは自分の胸にテオの頭を押し付け、抱きしめたまま、背骨に沿って指をわせて肩甲骨の裏側を押す。


「あー……すごく気持ちイイけど、なんで? どうして……」


 トラブルの指は止まらない。


「うー……ダメだよ。寝たら時間がもったいない……トラブル、めて……」


 テオの、下着の中に集まり始めていた血液がトラブルの指圧の下の筋肉に向かう。


 トラブルはテオの下から抜け出し、起き上がろうとするテオを押さえ付けた。うつ伏せのテオの背中に指を置き、体重を掛ける。


「あー、そこ……痛いけど、気持ちイイよ……ん〜……」


 睡眠不足に加え、ハードスケジュールを終わらせたばかりのテオは睡魔に負けそうになる。


「トラブル、めて。本当に寝ちゃうよ……トラブル……トラ……少しだけ、少ししたら……起こして……ね……」


 テオは瞬く間に夢の中に落ちて行った。


 トラブルはテオの寝息を確認して、ゴロンと隣に横になる。


 テオの寝息を聞きながら、天井を見上げた。


(起こさないよ、テオ。私に恋は無理みたい……私はテオが好きなんだろうか……最低でしょ? テオ、私は最低なの……)


 テオにブランケットを掛け、ドイツ語の本を開く。内容はまったく頭に入って来ず、本を閉じて目をつぶる。


 トラブルもまた、テオと同じ様に夢の中に落ちて行った。






 悪夢の中で目覚める。


 暗く狭い部屋で、軍服姿の男達に取り囲まれている。


(また、いつもの……)


 男達は大声をあげながら机を叩き、怒号を浴びせ、髪を引っ張る。


(何度も何度も……ワンパターン……)


『お前は、誰だ⁈』


(知るかっ、あんた達の方が知っているんじゃないの?)


『どこから来た⁈』


(知らないって……)


『なぜ、ここに居る⁈』


(あんた達が連れて来たんでしょう)


『目的は何だ⁈』


(そんなの、無い……)


目障めざわりだ!』


(言われなくても分かってる)


『秩序を乱す者め!』


(……)


『お前さえ、居なければ!』


(分かってる……)


『こんな子とは、聞いていない!』


(え……お母さん?)


『日本人なんか預かれない!』 


(お父さん、そんな……)


『気が利かない子だね!』


(……ごめんなさい)


『生意気な目をするんじゃない!』


(ごめんなさい)


『この厄介者が!』


(そんな……)


『何の価値もない!』


(助けて……)


『何処かへ消えてしまえ!』


(誰かー……)


『早く! 消えろ!』


(はい……)


『そんな事、言っちゃダメだよ』


(え、テオ?)


『うるさい! 居なくなれ!』

『大丈夫だよ』

『何も知らないくせに!』

『やり直せる』

『もう、手遅れだ!』

『そんな事ないよ』

『誰も気に掛けない!』

『僕が居るよ』

『お前も居なくなる!』

『ずっと一緒だよ』

『嘘だ!』

『嘘じゃ無いよ。大丈夫』

『ずっとなんか無い』

『あるよ。僕にはある』

『それは……本当?』

『うん。僕の中の “ずっと” を分けてあげる』

『信じていいの?』


(あれ……これは私の声だ)


『もちろんだよ』

『信じたい……』

『さあ、おいで……トラブル』


「トラブル!」


 トラブルはテオに肩を揺すられて目が覚めた。


 全身、汗をびっしょりとかき、焦点しょうてんの定まらない目でテオを探す。


「大丈夫? すごく、うなされていたよ」


 心配そうに顔をのぞき込むテオに、トラブルは抱き付いた。


 まだ、夢から覚めきらないトラブルの頭を撫で、テオは優しく言う。


「よく、悪い夢を見るんだね……もう、大丈夫だよ」


(テオ、また助けてくれた……)


「僕ね、考えたんだけど、トラブルと未来が見れなくてもイイんだよ。今、この瞬間のトラブルが好きなんだ。過去でも未来でもなくて今……この1秒が大好きなんだよ。だから、ほら、また次の1秒が来た。ほらっ! また! 次の好きが来た! ほら、ほら! 次から次に、次の好きが、どんどん来るよ! ほら! 好きが行っちゃうよ、どうしよ! どうする⁈」


 トラブルは笑いながらテオに回した腕に力を入れる。


 テオはトラブルの心臓の音を聞いた。


「トラブルも僕が大好きって言ってる。だって、ほら。1秒、1秒って聞こえるよ。トラブルの好きを捕まえたい。トラブルは? 僕の1秒をどうしたい?」


 トラブルは笑顔でテオの頭を撫でる。


(なんて、素敵な考え……あなたの1秒が欲しい。私だけの1秒……)


 テオの頬に両手を当てて、トラブルは唇を差し出す。


 2人は長いキスをした。

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