第99話 めまい


 翌日。


 トラブルは今日も朝から社内を回り、健診の説明書と検尿カップを配って歩く。


 説明書には医務室に来る日と時間帯が記載されており、当日の動き方とレントゲン車の日程の割り振りが、各部署ごとに書かれていた。


 昼前にレントゲン車の配車業者が駐車スペースの位置の確認に訪れた。


 トラブルは駐車場に案内し、当日、どこのスペースを空けておけば良いのか確認をする。


「大型バスだと思って頂けるとイメージしやすいと思います」と、明らかに入社したてであろう若い配車業者が言う。


 分かってますとは顔に出さず、メモで『分かりました』と、返事を返す。


 トラブルが当日駐車禁止にする場所をメモしていると、カン・ジフンの配送トラックが入って来た。


 手を挙げて挨拶する。


 まだ、かかりそうですと、思わず手話をするが、彼は手話が分からないと思い出し、スマホのメモを見せにトラックまで小走りで行く。


 メモを見るとカン・ジフンは「うん。これを納品したらトラックで待ってるよ」と、いつもの柔らかい笑顔を見せた。


 トラブルは医務室へ戻り、パソコンに健診期間中の駐車禁止スペースのお知らせを急いで作成した。


 印刷中、ドアがノックされる。


 ソン・シムが「ちょっとてくれないか?」と、入って来た。


 トラブルはソン・シムを椅子に座らせ、パソコンの画面に『どうしましたか?』と、打つ。


「さっき急に眩暈めまいがして、胸が痛いくらいにドキドキするんだ」


 血圧計を測定すると、脈拍数が速かった。


『心電図を取ります』とパソコンの画面を見せ、納品されたばかりの心電図の電源を入れる。


 横にならせたソンのシャツのボタンを外し、胸部、手首と足首を露出させて電極を用意する。心電図はまだ起動していなかった。


 ソンのまぶたを下げ、眼振がんしんを見る。眼は揺れていない。


『今までに同じような症状はありましたか? 頭の位置で眩暈めまいが起こりますか?』


 トラブルはソンの頭を両手で持ち、左右前後に傾ける。


「いや、始めてだ。今は眩暈めまいはない」


 やっと立ち上がった心電図の電極を取り付け、計測を開始した。






 ソンが医務室に来た頃、メンバー達が会社の車で出勤して来た。


 駐車場でカン・ジフンが時間をつぶしている。


「トラブルを待ってるんだよ」


 テオは聞かれてもいないのに説明した。


「なんで知ってるの?」

「昨日、トラブルが言ってた」

「ランチの時間には遅過ぎないですか?」


 ゼノの指摘にメンバー達は医務室へ向かう。


 医務室のドアには診察中の札が掛かっていた。


 そっとのぞくと、診察台に座ったソン・シムがシャツをズボンにしまって服を整えている。


 トラブルはパソコンに向かって手話をしていた。


 のぞくメンバー達に気がついたトラブルは、シッと手で追い払う動作をする。


 パソコンをソンに向け、遠隔診療を始めたようだった。(第1章第32話参照)


 メンバー達は静かに医務室を離れる。


 控え室に向かい歩きながら「ソン・シムさん具合が悪いのかなー」と、ノエルが呟いた。


「時間かかりそうだったね。カン・ジフンさん、待っていたよね。教えてあげた方がいいのかな」

「ふん、お人好しだな」


 セスが鼻で笑う。


「トラブルが知らせるだろうから大丈夫ですよ」


 ゼノがそう言ってもテオは駐車場を気にした。ノエルにうながされ、渋々、エレベーターに乗る。


「でもトラブルの友達は大事にしたいし」

「カン・ジフンさんはトラブルの友達なの?」


 ジョンの質問にテオは言葉につまる。そんなテオを見て、セスは片方の眉を上げて意地の悪い顔をした。


「カン・ジフンはどう思っているか分からないぞー」

「トラブルが私の友人って言ってたもん!」


 テオは言い返すが、セスの意地悪顔は変わらない。


 うー……と、なんとなくセスの言わんとする事が分かるテオは、メンバー達の控室のある階に到着してもセスをにらみ続けた。


 ノエルはテオをエレベーターから引っ張り出す。


「ねえ、ゼノ。男女の友情ってあると思う?」

「うーん、無いとは断言出来ませんが……たいていはどちらかが好意を抱いているでしょうね」

「カン・ジフンさんは、トラブルが好きって事⁈」


 テオが素っ頓狂な声を上げて足を止める。


「いや、そうと決まったわけではありませんが……」


 ゼノは言葉を濁すが、セスは容赦なく言い放つ。


「好意があるから会おうとするんだろ? トラブルもカン・ジフンといると居心地が良いから約束するんだよ」

「確かに『普通』の女の子になった気がするって言ってたもんね」


 ノエルがうなずいた。


 控室でマネージャーは、放心状態のテオを横目に、今日のスケジュールを伝える。





 一方、トラブルはイム・ユンジェ医師からの診療情報提供書のFAXを待っていた。


 1番近いメディカルセンターをメールで予約した。


 パソコンでソンに『医師の説明はわかりましたか?』と、聞く。


「ああ、首の動脈のエコー検査を受ければいいんだろ? 心電図が問題なかったから」

『そうです。眩暈めまいの原因を探ります』

「分かった」


 届いたFAXを封筒に入れ、予約表と共にソン・シムに渡す。


『運転は危ないのでタクシーを呼びました』

「OK。何からなにまで、ありがとよ」


 2人で会社正面へ向かうと、ちょうどタクシーが到着していた。


 ソンを見送り、あれ?と、思い出す。


(カン・ジフン! 忘れてた!)


 駐車場のトラックの運転席で、カン・ジフンは寝ていた。窓をノックして起こす。


 両手を合わせ、ごめんなさいと、言う。


 カン・ジフンはトラックを降り、いつもの笑顔で「もう、仕事に戻らないといけないから先に食べちゃったよ。はい、トラブルの分」と、ハンバーガーの袋を差し出す。


「あと、これも」


 微笑んでケーキの箱を渡す。


本当にごめんなさい。具合の悪いスタッフがいて……


 トラブルは説明しようとするがパソコンもメモも持っていないので伝えられない。


 ジェスチャーで、ごめんなさいを繰り返す。


「いいよ、いいよ。忙しかったんでしょ? 今日は日が悪かったね。また、連絡するよ」


(う、私が悪い事になっている。確かに忘れていたけど。でも、そうじゃないんだけど……)


 カン・ジフンはいつもの穏やかな様子で帰って行った。


(テオなら私を探しに来たり、何かあったのか心配する所だ。テオの言う通り、すごくいい人だと思うが……あー、また、私、テオの事考えてる)





 トラブルは医務室を片付けながら失敗したかもと、心電図を見る。


(この心電図、立ち上がりが遅い。ゼリーの伸びが悪いし電極の付きも悪い。そして、記録印刷も遅い。安物だけど、もっと値切れば良かったかも)


 代表に報告のメールを入れる。頚部エコーの結果によっては数日休む必要がある事を大道具スタッフへ伝えてもらう。


 ソン・シムのカルテに記録を書く。そして心電図を台紙に貼り、カルテを閉じた。


 トラブルは冷めたハンバーガーを取り出し頬張った。


(そういえば、メンバー達がのぞいて行ったな)


 ま、ヒマになれば、また来るだろうとケーキに手を伸ばす。


(このチョコレートケーキ甘すぎる……)

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