第60話 白の写真


 パク・ユンホはトラブルをあおる様に声を荒げた。


「今の戸籍上の母親はどうだ? 夫が獄中死したのは、お前のせいだと責めなかったか? お前の顔を踏み潰してやると言われなかったか? お前を殺してやると言われただろう!」


 トラブルはテオの腕をほどき、パクに飛び掛かろうとする。


 テオはギュッと腕に力を込めた。


「ダメだ、トラブル。ルール2だよ。最後までベッドから下りない」


 トラブルは抵抗をやめなかった。


 捕まった野犬のように、テオの腕の中で暴れる。


「いい顔だトラブルー!」


 怒りの感情を剥き出しにしたトラブルに、パクはそれ以上にギラギラとした目でシャッターを切り続けた。


 ふいに、スタジオに歌が響く。


 場違いなその声の主はテオだった。


 トラブルの耳元で、しかし、パクにも聞こえる様に低く甘い声でゆっくり、ゆっくりと歌う。


 トラブルの動きが止まった。力が抜け、テオを仰ぎ見る。


 テオはそんなトラブルの体を揺らしながら、子守唄を歌う様に、優しく歌い続ける。


 そして、柔らかい笑顔を向ける。


「ね? 大丈夫だよ」


 トラブルの顔から怒りが消えた。


 パーテーションの裏のメンバー達もホッと肩の力を抜く。


 ただ1人、この丸みを帯びた空気に腹を立てる者がいた。


「邪魔をするな……邪魔をするな、テオ!」


 パク・ユンホはカメラを下げた。


「いいか、テオ。トラブルの背中を見てごらん。背中を見ろ。傷跡きずあとがたくさんあるだろ? それはね、チェ・ジオンが死んだ夜、彼女に付けられた傷だ。その傷は消える事はない」


 トラブルはテオに見られまいと背中を押し付けた。テオはパク・ユンホを見たまま細い肩を抱く。


「なぁ、テオ。トラブルはヒビだらけのガラスの人形だ。一見、キラキラと輝いて見えるが彼女自身の光ではない。今度、少しでも何かに当たれば粉々に砕けて2度と元に戻せなくなる。声を失うだけではすまなくなるんだ。ガラスのヒビは、まず荒いヤスリで研磨けんまするんだよ。痛くても、辛くても、ゴリゴリゴリゴリ……何度も削り取るんだ」


 2つの、同じ美しい顔の眉間にシワが寄る。


「柔らかい真綿で包んでもヒビは消えないんだよ。本当に愛しているなら、転んだ子供を助け起こすのではなく、自分の力で起き上がれるようにしてやるんだ」


 パク・ユンホは語り掛ける。


「分かるかい? テオ。太陽の子として生まれ、太陽の下で育ち、自身が太陽になった君には理解し難いだろう。いいかい、よく聞くんだ。太陽の光は強い影を作る。影の中を見た事はあるかい? 」


 まるで小さな子に言って聞かす様に、言葉を選びながら話す。


「影は太陽に憧れるんだよ。太陽になりたくて、近づきたくて、でも、近づきすぎるとその身をがす。影は太陽になれない。焼き尽くされるか、背を向けるか……」


 テオは首を振った。


「僕は普通の子だ。太陽じゃない」

「テオ、太陽の子は普通という言葉を使う。普通という言葉は太陽の子だけが使う言葉だ。影の中に普通などないのだよ。影は君らの言う『普通』に憧れる。普通になど、なれないのに」


 テオはゴクリと喉を鳴らした。


「だがね、月にはなれるんだよ。太陽の力を借りて輝く事は出来る。自分が影であると認めて受け入れ、影を知る者として自分を誇れるようになれば月になる事が出来る」


 パーテーション裏のセスは、自分の足元を見ながら微動だにせずにパクの言葉に耳を傾けていた。


「太陽を反射して様々な色や形に輝けるんだ。疲れたら雲に隠れて休んでもいい。太陽にはなれないが影の中で身をがす必要はなくなるんだ。トラブルのガラスのヒビは消す事は出来ない。しかしね、ヒビを削り、角を丸くする事は出来る」


 パク・ユンホはハァと深呼吸をする。


「トラブルを月にする儀式だと思ってくれ。だから、邪魔をしないでおくれ……」

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