第547話 好みのタイプ
夜中に、麻酔から覚めた自分に付き添ってくれた看護師もかなりのレベルで信頼出来ると思ったが、今朝から担当になったこの看護師は別格だと感じる。
朝一番の挨拶から韓国語で話し掛けて来た。
「アンニョンハセヨ……これしか知らないの」と、日本語で肩をすくめて笑う。
トラブルを看護師と知っている為か、固定テープの好みはあるか、夜間使っていたモルヒネは昼間は使わない方が良いのではと、聞いてくる。
手指消毒のタイミングも、通りすがりにサッとシーツのシワを伸ばす所も、常に整頓をする所も、エアコンの風の向きを気する所もトラブルの好みだった。
茶髪で少しメイクは濃いめだが、容姿で仕事をしているわけではないので気にならない。
何より、他の看護師達は、一応ノックをして失礼しますと声を掛けながら入ってくるが、それは、あくまでも礼儀としてやっているだけで、彼女は少しずつドアを開け、本当に人の家に入る様な姿勢で顔を出す。
ここは治療の場であるが、患者のプライベートな空間でもあると配慮してくれていると感じる。
(何をしてても、人柄の良さを感じるなぁ)
こういう人はイム・ユンジュの様に地域医療にあたるのが適していると思うが、それではこの病院の損失になるとまで思う。
ベッドの上でお気に入りの看護師に髪を洗って
彼女はトラブルの爪の中の泥も丁寧に洗い流してくれた。
(あー、極楽……でも、お腹が空いた……)
トラブルは洗髪の前に飲んだ痛み止めで、眠たくなって来た。
今は睡魔と闘う理由はない。
トラブルは素直に眠りに付いた。
お気に入りの看護師はトラブル以上に泥だらけで、白くなってしまっているリュックを見る。
(洗って良いか聞いておけば良かった……勝手に開けるわけにはいかないから、起きるまで待ちましょう)
そっと、部屋を出る。
入れ違いでランチを終わらせた2人が戻って来た。
(なぜ⁈ 漏れたのか⁈ いや、針穴は腫れていない。なぜ、抜いたんだ⁈ アレルギー反応でも引き起こしたか⁈)
イム・ユンジュはナースコールを押す。
やって来た看護師に理由を尋ねると、点滴台が倒れ、
なるほど、泥が詰まっていた耳も爪も綺麗になっていた。
(ああー、自分で倒したのか)
トラブルをよく知るイム・ユンジュには、チョコレートで腹を立て、無理に動こうとして点滴台を倒した状況が目に浮かぶ。
(まったく、相変わらずですね……)
トラブルがよく眠っているので、そっと、布団をめくって足先を見た。
右足はシーネから出ている指先が内出血で青くなっているが、腫れも少なく触ると温かい。
しかし、包帯で巻かれた左足は異常に細い。骨が入っていないと分かる。
左の足先に体温を感じない。
(切断になるかもしれない……)
トラブルの野生的な回復力を目の当たりにして来たが、今回ばかりはレベルが違う。
松葉杖をついてバイクに乗る事も出来ず、身の回りの世話をしてくれる家族もいない。
いっそ、テオと結婚でもしてくれれば金銭面での不安は取り除かれるが、片足の嫁を受け入れる親など、よほどの善人でない限り期待は出来ない。
イム・ユンジュは深いため息を
トラブルは眠り続けた。
看護師が点滴を入れ直そうと準備をして来たが、声を掛けても、揺さぶっても起きないので山内医師が呼ばる。
しかし、ただ眠っていると結論づけられた。
山内医師は眠ったままで良いので点滴を再開する様に指示を出す。
カロリーを補給する為の点滴は24時間あたりで計算されるので、投与時間がズレると、すべての薬のタイミングがずれてしまう。
看護師は針を刺すが、やはりトラブルはピクリともしなかった。
結局、トラブルは夕方まで起きなかった。
面会時間が過ぎた為、伊達とイム・ユンジュは病院を出る。
イム・ユンジュは明日、帰国しなくてはならないと告げた。
「必要な手続きは済ませましたし、いつまでも診療所を閉めておくわけにはいきませんからね」
「いや。しかし、僕1人では……」
「何かあったら、ここに連絡を下さい。日本語で良いです」
「は、はい。ありがとうございます……」
翌朝、不安気な
その足で代表に会いに行く。
特に約束はしていなかったが、直接、報告をしてあげたかった。何しろ代表が1番の功労者なのだから。
執務室に通され、しばらく待っていると代表は急いで戻って来た。
イム・ユンジュの顔を見るなり、ギュッと両手で握手をして頭を下げる。
本当は自分が日本に駆け付けたかったのだろう。しかし、立場的に適任ではないと判断した冷静な対応にイム・ユンジュは感謝をした。
「先生、この度は突然のお願いをお受けいただき、ありがとうございました」
「いえ、ご連絡をいただいて本当に助かりました。渡航代とホテルまで、ありがとうございます。ミン・ジウの意識は戻りました。手術は……」
到着した時の様子や搬送された病院の規模を伝え、そして、状態について患者の家族に説明をする様に、優しい言葉を使って噛み砕いて話した。
今後、何度か手術を行い一般病棟に移り、リハビリをして松葉杖で歩ける様になったら帰国可能となるだろう。もしかしたら歩行のリハビリは国でやれと車椅子での帰国になるかもしれない。それはミン・ジウ次第だ。
そして、切断の可能性もある事を伝える。
「……彼女は国に帰りたいと思わないかもしれません」
代表は遠い目をして言う。
「テオさんがいるのに?」
「ああ……そうですね。そうでした……」
「私は次の手術の日が決まったら、また渡日します」
「はい、よろしくお願い致します」
2人はソファーから立ち上がり、代表は見送る為にドアを開けた。ドアは勢い良く開き、4人の若者が倒れ込んで来る。
「痛ーい! ジョン、どいてよー!」
「待って、上にテオがいて……テオどいて!」
「ゼノの手が邪魔で立ち上がれないよー」
「すみません。ノエル、一瞬体重を掛けますよ」
「イタタター! 一瞬じゃなーい!」
1番下で下敷きになっていたノエルが立ち上がった所で、代表は思いっきり息を吸い込んで「仕事に戻れー!」と、大声で怒鳴る。
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