第580話 兄のモノはよく見える


 ゼノは真っ直ぐにシンイーを見下ろして、言葉を選びながら返事をした。


「そうですね……その様に思われているかもしれませんが普段はあまり怒りませんよ」

「シ、シンイー。ゼノはリーダーだからさ、僕達をまとめる立場にあるんだよ。だから、怖いって印象が世間にあってさ……」

「ノエル、私は世間では怖いと思われているのですか⁈」

「い、いや。そういう印象も一部にあるって事で……」

「そうでしたか……」

「ゼノ、ショックを受けないでよー。悪気はないんだからさー」


 突然、キッチンで大きな笑い声があがる。


 シンイーを値踏みをする様に見ていたセスが、口角を上げていた。


「小娘、気に入った」


 目を細めるセスにノエルは呆れてみせる。


「ちょっと。シンイーをそんな風に呼ばないでよ」

「ノエル! トラブルなんてクソ女って呼ばれてるんだよ⁈ あ、今はブタ女だった」


 それを聞いたトラブルは、テオに皿を投げつる素振そぶりをする。


「ごめんなさい!」


 頭を隠して逃げるテオを見て、シンイーは「チワワ」と、つぶやいた。


「シンイー! しー! 言わない約束だよー⁈」


 ノエルは慌てて恋人の口を塞ぐ。


 聞こえるはずのない位置にいるセスが、小娘、上手い事を言うなと、振り向いて親指を立てた。


 シンイーはニカッと歯を見せる。






 シンイーを取り囲んで和やかな雰囲気で食事の支度をする皆を、ジョンはにこやかに、しかし、遠巻きに眺めていた。


 ただでさえ人見知りが激しい上に、年齢の近い女の子だ。


 しかも、兄としたうノエルの彼女という、始めての存在に接し方が分からない。皆の輪に入ろうとしても入り方が分からなかった。


 ニコニコと、しかし、ソワソワと身の置き所のないジョンと同じ事を感じている者がいた。


 トラブルもまた、彼氏の友達の彼女という存在に気後れして、忙しそうなフリをしながら仕事を探しては手を動かして誤魔化していた。


(どうして皆んな、そんなにすんなりと喋れるのだろう……私は年上だから姉の様に? いや、彼氏同士は幼馴染みだから、私達も親友に……って、いきなり無理だし。明らかに未成年だし。最近の若い子なんか知らないし。どういう立場と態度で接すれば良いのか分からないよー)


 キムチを刻むセスから包丁を奪い取る。


「危ねーなー。飲み物でも聞いて回れよ」

「それ、僕がやる!」


 ジョンが仕事を得たと手を挙げる。


「トラブルー。ジュースは何があるの?」


 トラブルは包丁を持ったまま手話で答えた。


ジュースはありません。水かお茶です。


「水と? なに言ってんの?」


 トラブルの声は、日付が変わるまで続いたテオとの逢瀬おうせで、すでに枯れていた。

 

 手話を理解する人がいるのだからと、あえて手話を繰り返す。しかし、ジョンにもセスにも、包丁を振り回しての手話は読む事が出来なかった。


「バカ。クソ女、包丁置けよ。何言ってんのか全然、分からん」

「水かお茶だって。どっちがイイ?」


 テオが通訳し、ジョンはシンイーを見る。


 シンイーは答えずにノエルの顔を見た。


「あはっ! そんなに驚かないで。手話を使うって言ってあったでしょ?」

「カンフー手話……?」

「そんなのないよー。包丁を持っていただけだよー」


 ノエルが大笑いし、ジョンは「カンフー!」と、手刀を振りながらポーズを決める。


 シンイーは小さな歯を見せてキャッキャッと肩を揺らした。


 ジョンはチンチクリンなその姿は好みではないのに、不覚にも可愛いと思ってしまった。見る間に顔が真っ赤になる。


 すかさずノエルの指が赤い頬をつまんだ。


「ジョン、ダメ」

「なんだよー、痛いよー」

「絶対ダメだよ」

「痛い! ノエルお兄様、イダダダー!」

「ノエル! 離しなさい!」


 ゼノの声に渋々指を離すが、ノエルは、僕のだからねーと、目で念を押す。


「おーい、水か茶か。ジュースが欲しい奴は買って来い。そろそろメシにするぞー」


 セスが大きな鍋から煮込んだ地鶏を取り出す。


「僕、ビール!」


 ジョンがそう言って開けた冷蔵庫を、セスはバンッと足で閉める。


「飲むなら食ってからにしろ。お前は水だ」

「そんな〜」


 情けない声を出して地鶏に手を伸ばす。 


 その手を菜箸さいばしつかんで止めた。


「熱っ! セス! このはし、熱いよ!」


 菜箸さいばしで持ち上げ、ジョンの手を投げ捨てる。


「熱いよ〜。ひどいよ〜」


 トラブルが慌ててジョンの手を流水で冷し、火傷はないか見る。幸い火傷はしていないので、タオルを渡した。


「水は嫌だよ〜」

「じゃあ、大人しく買って来い!」


 シンイーの頭の中に、首輪をはめられたジョンがエプロンを付けてお母さんの格好をしたセスに叱られながらリードを引っ張られるが浮かぶ。


 当然、ノエルにしか見えない。


「あはっ! ほら! ジョン、おいで! ほらほらっ」


 ノエルは笑いながら手を叩いてジョンを呼んだ。


「ほらっ、ジョン。おいで! こっちだよ!」


 ノエルは口笛を吹いて飼い犬を呼ぶがごとく手を鳴らし続けた。


 ジョンはバカにされていると鼻にシワを寄せて、うー……と、ない牙を見せてうなる。


「ジョン! ほら、コンビニに行くよ! おいで!」

「ワン!」


 シンイーがピョンッと跳ねて、キャッと笑い声を挙げた。


(お、ウケた)


 ジョンは「ワン! ワン!」と、ノエルに突進し、ノエルは両手でジョンの頭をワシャワシャと撫でた。


「シンイー、ワンちゃんを散歩させながらコンビニに行こう」

「ワンちゃーん」

「ワン!」

  

 犬になり切ったままのジョンと、2人は階段を降りて外に出て行った。


「ワンちゃん」

「ワン!」

「キャッ」

「ワオーン!」

「キャハハッ」


 ジョンの声の犬の遠吠えと小さな女の子の声が遠ざかって行く。


「シンイーさんは、すっかりジョンになつきましたね」

「ジョンが小娘に懐いたんだろ」

「セス、名前で呼んで下さい。失礼ですよ」

「はいはい」


 ゼノは気付いていなかった。


 セスがあだ名を付けて呼ぶ時は、その相手を受け入れたからだという事を。

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