第465話 テレビとソファー


「あの……ごめん」


 カン・ジフンは、そう言ってトラブルの手を取る。


 トラブルは、とっさに手を引くが、カン・ジフンは強く握り、トラブルを引き寄せた。


 トラブルはありったけの力を込めて、自分のセリフに酔いしれる勘違い男を突き飛ばす。そして、左手を前に出して牽制けんせいしながら、右手でズボンの後ろのドライバーをつかんだ。


(それ以上、近寄らないで……)


 背中に隠したドライバーを握る手に力を入れる。


「驚かせちゃったか。ごめん」


 カン・ジフンは、勘違いをしたまま柔らかい笑顔をトラブルに向け、両腕を広げて近づく。


(違うわっ。気持ち悪い奴め!)


 全身の毛が総立ちになる感覚と戦いながら、カン・ジフンから目を離さない。


(こいつ、何をするつもりだ⁈ テオがそこに……)


 ここへ来た理由も、その行動の意味も分からない相手が意味不明な笑みを浮かべている。


 確かにその穏やかな微笑みに癒された時期もあったが今は不気味としか言いようがない。


 しかも、近くにテオがいる。


 早く、この不気味な勘違い男を追い払わないと、テオがコンビニでファンに見つかる可能性がある。


(どうしよう……ここで騒動を起こしたらテオが……どうすれば大人しく帰らせる事が出来るか……)


 その時、砂利道を下る大きな足音が響いた。


「トラブル!」


 テオは駆け寄りながら、帽子とマスクを外して顔を出す。


 カン・ジフンは突然の芸能人の登場に驚き、動きを止めた。


 テオは、身構えるトラブルとカン・ジフンの間に割って入る。そして、低い声で挨拶をした。


「こんばんは。お久しぶりです」

「は、はい。お久しぶりです」


 カン・ジフンも頭を下げる。


 トラブルはテオの袖をつかんで引いた。


 テオは、その様子に、すぐにでもカン・ジフンを追い返した方が良いと感じた。


「ト、トラブル。飲み物これで足りるかなぁ。ゼノ達も、もうすぐ来るよ。カン・ジフンさん、身内の集まりだから。ごめんなさい」


 テオは早口で、しかし、ハッキリと言った。


 少しうわずりながら演技を続ける。


「何か用だったの?」

「あ、話があって……」

「そう。終わった?」

「は、はい」

「んじゃ、さようなら。お疲れ様です」

「はい……お疲れ様でした」


 カン・ジフンはテオの勢いに押され、大人しく頭を下げた。


 トラブルを振り返る事なく、トラックに乗り込みエンジンを掛ける。


 テオとトラブルは、ジッと立ったままトラックを見送った。

 

 カン・ジフンが見えなくなると、2人の緊張がけた。


「トラブル、大丈夫だった? 何の話をしに来たの?」


 トラブルは首を振りながら、家に入る。


 テオも後に続き、玄関の鍵をしっかりと掛けた。


 階段を上る時、テオはトラブルの腰にドライバーがしてあるのを見つけた。


「トラブル! 腰に何を入れてんのさ!」


 トラブルは(あー……)と、ドライバーを取り出し、階段を下りて引き出しにしまう。


「トラブル、危ない所だったの? カン・ジフンさんは何を話しに来たの?」


 トラブルは、よく分からないと肩をすくめる。心配顔のテオを押して、階段を上がった。


 階段上で靴を脱ぎながらテオの頭からカン・ジフンが吹き飛んだ。


「うわー! テレビがある! ソファーも! すごい! 普通の家みたいだよー!」


最後の失礼ですよ。


「え? 何? もう1回言って」


普通の家です。始めから。


「何もなかったじゃーん! うわー! テレビの大きさ、ちょうどイイねー! あー! ソファー! 夢にまで見たソファー!」


(夢にって大袈裟な……)


「トラブルも座ってみてー! ほら、最高でしょー!」


(私の家ですけどー)


 トラブルは笑いながらテオの隣に座る。


「テレビ〜。あれ、点かないよ?」


はい、アンテナ工事がまだです。


「え! 壁にコンセントが……テレビ用がないのか!」


はい。アンテナ端子を引かなくてはなりません。衛星アンテナも、まだです。


「ああー……当たり前と思っていた事が、当たり前じゃないと思い知らされるー。あれ? あってる?」


たぶん。


「ま、イイか」


 テオはソファーの触り心地に満足したところで、話を戻した。


「で? カン・ジフンさんの話は何だったの?」


あー……説明しにくいです。


「え? どういう事?」


女性に好意を寄せられて……自分も好意を持ったので、付き合う事にしたと言っていました。


「それを、言いに来たの? わざわざ?」


はいー……私に許可を求めに来た様です。


「え? なんで?」


分かりません。


「ええー?」


気味が悪かったです。


「だから、ドライバーを隠していたの?」


あれは、玄関を開ける前に何の用だとメールをしましたが、返事を返さずにノックを続けたので……念の為です。


「それは怖かったね」


はい、怖かったです。テオが来てくれて助かりました。


「本当だよ! なんか、カン・ジフンさんは手を広げていたよね?」


握手をしたいと言うので断ったら引っ張られました。


「ええー⁈ もう、絶対にドアを開けちゃダメだよ! 会社に言っておく? カン・ジフンさんの会社に」


逆恨みされても困るので……。


「そうだよね。どうしよう……ボディガードを頼む?」


カン・ジフン1人の為にですか⁈ 必要ありません。居留守を使う様にします。


「うん。絶対の絶対にドアを開けないでね」


はい。そうします。


「ん、こっちに来て」


 テオは1ヶ月ぶりに2人きりになれた恋人の肩に手を回す。しかし、その恋人は彼氏の幼馴染が気になっていた。


ノエルと話しは出来ましたか?


「うん。もう彼女に夢中って感じで、付き合い始めたってさ。出会って2日目にこくったなんて信じられないよねー」


あの慎重なノエルが? 一目惚れ?


「そうなんだよー。なんでも不思議な力があって、それはノエルにしか見えないんだって。セスも見えないって言ってた。今から彼女の事を知るのが楽しみなんだってさ」


ゼノは?


「えーと、彼女……シンイーさんは大学生なんだって。だから、ノエルが正しく……なんだっけ? とにかく、2人で地縛霊にならない様に……んー、心配してたけど反対はしてなかった」


(地縛霊?)


そうですか。中国の方ですか? 名前が……。


「ううん。お母さんが中国……だったかな? シンイーさんは韓国人。それよりも、こっちに来てよ」


大学生なら未成年者ですか?


「ん? 違うと思うけど? 4年生だってさ。こっちに来てってばー」


ノエルはー……


「ノエルの話は、もう終わり!」


 テオはトラブルをガバッと抱きしめた。

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