第464話 鉢合わせ


 腹に響くノックが続く。


 トラブルは戸惑いながら階段を降りた。


 暗闇の中から玄関ドアを見る。


 カン・ジフンは勝手に玄関ポーチの灯りを点け、ドア横の窓に手を当てて中をのぞき見ていた。

 

 トラブルは呼吸を浅くする。


 手探りで引き出しを開け、ドライバーを取り出してズボンの後ろにし込む。そして、1階の灯りを点けた。


 窓越しに、カン・ジフンと目が合う。


 カン・ジフンは、いつもの穏やかな笑顔で手を挙げた。


 トラブルは、ゆっくりとドアに向かい歩みを進める。






 宿舎のテオとノエルは、タオルで叩き合いながらお互いの体を拭いていた。


「えい! えい!」

「テオ、痛いよー!」

「ノエルこそ! 拭けてないからー!」

「ここ! ここに当てないでよー、大事な所ー!」

「お尻を出せー!」

「お仕置きみたいじゃーん」


 素っ裸で仔犬の様に転げ回り、リビングで笑い合う。


 ゼノが不機嫌な顔を部屋から出した。


「2人共、うるさいですよ。早く寝なさい」

「はーい」


 テオとノエルは、肩をすくめてペロッと舌を出し、パンツをつかんでテオの部屋に逃げ込んだ。


 テオがパジャマを着ようとしていると、ノエルは「行かないの?」と、聞く。


「え……もう、トラブルは寝ているよ」

「うーん、僕達も時差ボケを直す為に寝た方がイイんだろうけどさ。ゼノも明日の6時に戻ればイイって言っていたし、今からタクシーに乗れば睡眠時間は確保出来るよ?」

「うん。でも、連絡してないし……」

「1ヶ月ぶりの再会を、僕が台無しにしちゃったんだよね」

「え、違うよー、僕が……」

「テオー、トラブルも残念がっているよ。行けば喜ぶよー」

「そ、そうかな」

「うん、絶対に喜ぶ。会いに行って来なよー」

「そうしたいけど……」

「ほら、時間の無駄だよ。行って。会えなければ帰って来ればイイだけでしょー」

「うん、そうだよね」

「はい、お泊まりセットを作りましょう」

「あ、トラブルの家に、いろいろ置いてあるから」

「なーんだ。じゃあ、体だけ行けばイイんじゃん」

「うん。ノエル、ありがとう」

「どういたしまして。さあ、タクシーを呼んであげるよ。トラブルにはタクシーの中から連絡しな」

「うん」


 ノエルはスマホで配車サービスにアクセスする。


「あ、テオ。すぐに車、来るよ」

「ありがとう」

「あのね、お互いに思いのまま可能な限り、やりたい事をやろうよ。人生を後悔しない為にさ」

「うん、そうだね」

「さ、早く着替えて」

「うん!」


 テオは上下黒の服を着てマスクと帽子を深く被る。ノエルとギュッとハグをして、早る気持ちを抑えて宿舎を出た。


 宿舎前で、ノエルの言う通りタクシーは、すでに待機していた。


 ノエルが使う名前を言い、行き先を告げる。


 タクシーは軽快に走り出し、テオは胸を高鳴らせた。


(トラブル、驚くよね。あ、ワインがあるから何かツマミを買って行こうかな? ケーキは合わないよね……こんな時間だからコンビニに寄って、んー、チーズとサラミかなぁ。生ハムがあれば最高なんだけどコンビニにないよねー。フランスパンがあればチーズを乗せてー……)


 そんな事を考えていると、トラブルに連絡を入れる前にコンビニが見えて来た。


(あ、しまった! 降りてからラインしなくっちゃ)


「そこで停めて下さい」


 テオはスマホで支払いを済ませ、コンビニの駐車場からラインを送る。


 返事を待たずに買い物を始めた。






 青い家の玄関先でカン・ジフンは照れた様に笑顔を見せる。


「久しぶり。あの、元気にしてた?」


 トラブルは顔をこわらせたままうなずいて見せる。


 幹線道路を流れる車の音とライトはまばらになり、密室に2人でいる錯覚を覚えた。


「少し、話したい事があって。実は……言いにくいな……入ってもいい?」


 トラブルはスマホのメモで『来客中です』と、嘘を書いて見せる。


「そうか。手短に言うね。あの、実は……最近、ランチの誘いに来なかったのは、会社の事務の子が弁当を作ってくれていて、毎日、その子と食べていて……気にはなっていたんだけど、放っておいたみたいで済まなかったなぁと思ってさ」


(はぁ……何が言いたいんだ?)


 トラブルは、ジッとカン・ジフンを見る。


「それで、その子と……その子に好意を寄せられているみたいで……あの……ごめん、僕もその子の事が気になり出していて……」


(だから?)


「君は、いつも友達がいるみたいだから大丈夫だよね? その子には、僕しかいないみたいで……」


(話の意図いとが見えない……)


「あの! もう、ランチに誘いに来なくても大丈夫かな?」


(はい、もちろん)


 トラブルはうなずく。


「良かった。君は本当に強いよね……僕は、君と友達でいられて……嬉しかったよ」


(はぁ……?)


 トラブルはテオのラインに気が付いた。


『今から行くね』

『実は、もう』

『コンビニに』

『いまーす!』

『買って』

『行った方が』

『イイモノ』

『ある?』


(テオ! 今、来たら鉢合わせする!)


「ん、どうした? あ、誰からメール?」


 トラブルは笑顔で取り繕い、テオに返信する。


『今、カン・ジフンが玄関先に来ている。コンビニで待っていて』


(誰からなんて、あんたには関係ないでしょう)


 トラブルは『友人が来るので、手短に』と、メモに書いて見せる。


「うん。君は、やっぱりたくさんの人に囲まれているんだね。安心したよ。あの、僕、その子に告白されたんだ。その子と付き合いを始めて……いいかな?」


(はぁ⁈ 何を言っているんだ⁈ どうぞ、ご自由に!)


 トラブルは、呆れた顔をしてうなずいた。


「急に驚かせて、ごめん。あ、あの、ありがとう。君と会えなくなるのは寂しいけど……あの、最後に握手してもいいかな?」


 トラブルは眉間にシワを寄せたまま、首を横に振った。


「あ、怒ったよね。ごめん」


(怒ってないし! 早く、帰れ! テオがそこに……)




 

 コンビニで会計をする為にスマホを取り出したテオは、トラブルの返信を見て息が止まりそうになる。


(カン・ジフンさんが来てる⁈)


「あの、早く……僕が袋に入れます」


 レジの店員を急かし、コンビニの自動ドアが開くのももどかしく、外に走り出る。

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