第136話 幸せとは学ぶもの

 

 宿舎に帰ったテオをジョンが出迎えた。


「おかえりー、トラブルとチューした?」

「するわけないでしょ。トラブルは仕事中なんだから」


 怒らせてしまった事は内緒だ。


「なんだー、つまんないの」

「なんで、つまるの」

「また、テオ語だよー」


 ジョンはお手上げというポーズでリビングのテレビに戻り、ゼノとゲームの続きを始める。


 セスがテオの夕食を温め直し、ノエルが運んだ。


 テオはテーブルに座り、ほかほかと湯気を上げながら食べられるのを待っている夕食をジッと見つめていた。


「テオ、どうした? 元気がないね」


 ノエルがテオに水を差し出しながら、向かい側に座る。


「うん。トラブルに幸せを説明出来なかった」

「はい?」


 キッチンではセスが「また、おかしな事を言い出した」と、肩をすくめる。


「僕、トラブルの事を考えただけで幸せになるって言ったら、幸せがよく分からないみたいで。で、トラブルに説明しようとしたんだけど、僕が質問しちゃって、お互い、訳が分からなくなっちゃって、当たり前の事を説明出来なくて『ごめん』ばっかり言ってきた」

「んー、いつも以上に難解だなー」


 ノエルは髪をかき上げる。


「テオ『当たり前の事』って言葉をあいつに言ったのか?」


 セスがキッチンから聞いた。


「え、うん」

「あいつは? 何か言い返した?」

「 ううん、マネージャーが来たから、おやすみして終わった」


 セスは「今頃、頭を抱えてるだろうな」と苦笑いする。


「当たり前が分からないから?」


 ノエルはキッチンに振り向いて聞く。


 いつの間にかゼノとジョンもゲームの手を止めてセスの言葉を待っていた。


「テオにとって幸せは当たり前の事でも、あいつは幸せを教えてもらったことがない。だから幸せが分からないし、それが当たり前の事だなんて……」

「幸せって教えてもらうの⁈」


 テオがセスの言葉を遮る。


「幸せって、楽しい時とか嬉しい時に感じるものじゃないの?」


 テオの言葉に皆も同感してうなずいた。


 セスは、では問題ですと、皆を見回す。


「楽しい気持ちを『楽しい』という言葉を使わないで表現してみろ」

「わーい、とか?」


 ノエルは首を傾げる。


「イェーイ! ヒャッホー! ウェーイ!」


 ジョンが参加してひと通りの叫び声をあげてみせた。


「僕、セスの言うこと分かったかも……それが楽しいという感情だよって誰かに教えてもらったから、楽しいと思えるんだ」

「ただの言葉だけどな。子供が母親に抱きしめられて、母親が『幸せだね』と言うから、子供は『これが幸せなんだ』と学ぶ事が出来る」

「トラブルに幸せを教えた人がいないと?」


 ゼノは、そんなはずはないと、言う。


 トラブルには婚約者と幸せだった瞬間があったはずだ。結婚を目前もくぜんにして、楽しい・嬉しい・幸せの話をしないはずがない。


「まあ、そうだけど……」


 セスは言葉を濁す。


 テオは思い出した。トラブルが幸せだったと過去形で言った事。幸せは『こと』なのか『とき』なのか聞いて来た事。辛い事があったら、その前の幸せは消えるのかと言っていた事。


 テオはテオ語なりにメンバーに話した。


「幸せな事と幸せな時か……同じに感じるけどトラブルには違う事なのかな?」


 ノエルがセスに聞く。


 セスは答えない。ゼノもセスに問いかける。


「過去形で幸せを思い出したように言うなんて、まるで記憶を失っていたみたいですね?」


 セスは、やはり答えない。


 テオはそんなセスの様子で何かを察した。


「僕は何か失敗したんだね。セス教えて。僕はトラブルに何をしてしまったの?」


 テオはセスの目をじっと見る。


「……いや、お前は何もしていない。今までのトラブルの言葉を思い出していたんだ。あいつは『普通』の意味が分からないと言った。子供の頃、友達と遊んだ記憶がないとも……。(第1章第50話参照)韓国に来てから養父母に虐待されたと思っていが、日本でも虐待されていた? だから外国に逃がされる事に? あいつは、親も国も声も記憶も失ったのか? あいつは……」

「セス!」


 テオがセスの肩を揺らす。


「セス、トラブルと話をして来て。僕が連絡しておくから。明日の朝、マネージャーが迎えに来るから、それまでに帰って来て」


「テオ、何、言ってるんだよ。そんなの、ダメだよ」


 ノエルが止める。


 ゼノも「こんな時間ですからね……」と、渋い顔をした。


「だって、セスは死にそうな顔をしているよ。きっとトラブルも同じ顔をしてる。僕が上手く説明出来なかったから、僕のせいでトラブルは今、眠れなくて、それにはセスが必要で、死にそうが死んだら大変で、今、すぐなんだよ!」

「テオ、分かったから落ち着いて! テオ語が炸裂してるよ!」

 

 ノエルがテオの肩を抱き、背中をさする。


 ゼノは、セスの精神的な負担や明日の仕事にひびくのではと考えた。しかし、今までそうして来たように、あくまでもセスの意思を尊重しようと思い直した。


「セス、どうします? 行きたいですか?」

「いや……あいつは、寝れない夜を過ごすかもしれないが、死ぬ事は無いさ」

「でも!」

「テオ、テオのせいじゃない。トラブルは『普通』『当たり前』が分からない。いや、感覚的には分かっているはずだ、社会生活が出来ているからな。でも、頭で単語と感覚が一致していない。トラブルは勉強好きだろ? 今度、言葉の意味に悩み出したら一緒に検索して調べて実例に触れさせればいいさ。教科書ばかりじゃなくて純文学も読めって言ってやれ。大丈夫だ、テオ。風呂入って寝ろ。俺も寝る」

「う、うん、セスがそう言うなら……」





 テオがバスルームに消えたのを確認すると、セスはテオの部屋に入ってテオのスマホを探した。


 すると、後ろで人の気配がした。セスは慌てて振り向く。


「なんだ、ゼノか……脅かすなよ」

「トラブルの所に行くのですね」


 ゼノの声は怒っていた。

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