第363話 尾行の基本


 トラブルは重い体を、何とか2階のベッドに横たわらせた。


 緊張がけず、帰り道にテイクアウトしたカルビビビンバは食べる気がしない。


(あー、このまま寝たいけど、お腹が空いた。でも、食欲がない……)


 チョ・ガンジンと女を思い浮かべる。


(あの2人の関係は? 恋人同士か行きずりの女か……いや、ナンパしたならバスには乗らないだろう。そもそも、チョ・ガンジンは独身なのか? 私は情報収集もしないで何やってんだろ。こんな事ではダメだ。しっかりしなくては……)


 トラブルは勢いをつけて起き上がり、キッチンで立ったまま夕食をかき込んだ。


 代表にメールを送る。


『チョ・ガンジンの資料を見せて下さい』


 スマホと洋服をベッドに投げ捨て、バスルームに入る。熱い湯を浴びて気合を入れた。


 シャワー中に代表から返信が来ていた。


『手元にある資料はこれだけ。入社した当時を知るスタッフを調査中』と、チョ・ガンジンの履歴書と職務経歴書の写真が添えられている。


(代表、まだ、会社にいるんだ……仕事熱心な事で……)


 トラブルはベッドに入り、履歴書を読んだ。


(意外と高学歴だな……職歴が多い……長く続かないタイプか)


 チョ・ガンジンはゼノの後に入社し、デビュー直前の練習生時代のゼノと時期がかぶっていた。


(なるほど、時期に矛盾はないんだな。しかし、今の仕事が最長記録か……)


 トラブルは疲れと満腹感で眠たくなって来た。


(明日は、失敗しない様にしないと……)


 テオへのフォローを忘れ、トラブルは眠った。


 




 翌朝、トラブルはランニングに出掛けた。


 いつもより早めに切り上げ、朝食をってリュックに水とチョコレートと伊達メガネを入れる。


 ブーツの紐を結び直し、上着とマスクを付けて青い家を出た。


(今日は少し肌寒いな……)


 トラブルは幹線道路沿いのバス停からバスに乗ってチョ・ガンジンの家に向かう。


 バスの中で代表に出発したとメールを打つ。


 一度バスを乗り換えて、チョ・ガンジンのアパート前に到着した。


 アパートを見上げながらトラブルはスマホで、昨夜、代表が送ってくれた履歴書の住所を確認する。


(301号室は……あそこか。しかし、この場所は向こうから丸見えだな。昨夜は暗闇に紛れる事が出来たけど……)


 トラブルはアパートを一周して、身を隠せる場所を探す。


(向こうから見えなくて、こちらから見える場所なんて、昼間の屋外では皆無かいむだ……どうすればいいか……不本意だが、代表に基本を聞こう)


 トラブルは代表にメールを打つ。すると、すぐ後ろでスマホが震える音がした。


 振り向くと、代表はトラブルからのメールを読んでいる。


「『張り込みの基本を教えろ』とは、丁寧な頼み方をどうも」


来るなら来ると言っておいて下さい。代表がれるなら私は早起きをする必要がなかったのでは?


「手話をするな」


……なぜですか?


「住宅街では目立つ。住民に記憶されるぞ」


(別に、記憶されてもイイんだけど……)


 トラブルはスマホのメモで、返事を書く。しかし、代表はトラブルのスマホに手をかざして、返事の入力をやめさせた。


「返事はいらん。話を聞け。昨日、奴に揺さぶりを掛けておいた。ハン・チホを来月のテストに参加させず、ソロでデビューを検討しているとな。奴は驚いていたが、デビュー後も専属マネージャーで頼むと言ったら、嬉々としていた。さらに自由に使える金が増えると天にも登る気持ちだろうな。今日、奴は動くぞ」


 代表は、そう言いながら歩き出した。


 トラブルは後を付いて行く。


「今日は平日だ。そろそろ、住民達は出勤や学校で家を出て来る。この辺りのゴミの回収は遅い様だな。ゴミ出しをする住民にも気を配れ。で、さらに目立たなくなる方法は……」


 代表はゴミ袋を1つ拾う。


「地域のゴミ袋を持っていれば、見慣れない顔でも警戒される事はない」


 代表はゴミ袋を元の場所に投げ捨てる。そして、歩き続けた。


「奴は女とバスに乗って帰って来た。という事は、アパートを出たらバス停に向かうと考えられる。そこで、住宅街で立っているリスクよりも、奴から目を離す事になるが、バス停に現れる可能性に賭ける。顔見知りだからバス停にいるわけにはいかないが、大通りの方が人目に付かない」


 代表はバス停の見える位置で立ち止まる。


「女連れとはいえ、平日に郊外に出掛けるとは考えにくい。少なくとも、昨夜、乗ったバス停までは戻るはずだ。もし、ここで、誰かに不審に思われたと感じたら、昨夜のバス停に移動して奴を張る」


見失う可能性が増えてもですか?


「そうだ。奴の家も職場も把握している状況では、自分の身を守るのが最優先だ。いつでも仕切り直せる。あと、周りを見ろ。コンビニやカフェなど、ある程度の時間潰しが出来て、疑われない場所にいるのが自然だ。万が一、奴に気付かれても近所だなどと言って誤魔化ごまかせられる」


バスをバイクで尾行するのは難しかったです。


「ああ。バスの尾行はプロでも至難の技だ。数名でチームを組んで追うしかない」


それ……尾行の基本ですか?


「いや。この状況での基本だが、状況が変われば基本と応用は変わる。経験を積めば……来たぞ。隠れろ」


 代表はトラブルを押して、開店前の店の角に身を隠す。


 チョ・ガンジンと女は少し離れて歩き、トラブル達の前を通り過ぎてバス停で立ち止まった。


 2人は終始無言で、やって来たバスに乗って消えた。


 トラブルは代表の袖を引く。


「なんだ」


私に尾行の経験を積ませる気ですか?


「何、言ってんだ⁈ バカか」


 代表は店の影から出て、チョ・ガンジン達を乗せたバスの行き先を確認する。


「行くぞ、来い」


 代表はその店の裏に車を停めていた。


 急いで乗り込み、シートベルトもそこそこに発車させる。


 チョ・ガンジン達を乗せたバスが、ギリギリ見える位置からバスを追う。


 トラブルは、バスが止まるたびに座席から背筋を延ばして前を見た。


「まだ、降りやしないさ。しかし、あれは不倫だな」


 代表の言葉にトラブルは、なぜそう思うのかと手話をした。


 代表は前を向いたまま「女の服装は昨夜と同じだろ? しかし、化粧はしている。目を合わせず離れて歩くって事は後ろめたい事があるんだ」


(なぜ、同じ服で化粧していると不倫なんだ?離れて歩くってのは分かるけど……)


 トラブルは助手席で手話をするが、運転中の代表は読む事が出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る