第350話 新たな敵


 トラブルは、カン・ジフン少年の体温を測る。


 37.3℃


(下がって来たか……さて、どうするかな……)


『風邪を引いているのは事実です。皆に移さない為に4、5日は休まなくてはいけません。マネージャーには風邪と言っておきます。今、友達に電話をして意見を聞きましょう』

「でも、スマホはマネージャーに預けています」


(スマホを取り上げているのか! 何て事を……あの子のカルテがある。協力してもらおう)


 トラブルはカルテを見て、辞めていった少年にショートメールを送った。


 返信を待つ間、練習生のマネージャーについて聞き出した。


『マネージャーは怖いですか?』

「はい、怖いです」

『皆んな、怖いと言っていますか?』

「は、はい。皆、叱られない様に気を付けています」

『大きな声で怒鳴られたり、暴言を言われた事は?』

「暴言って何ですか?」

『相手を傷付ける言葉です。下手くそとか馬鹿野郎とか辞めちまえとか』

「あ、いつも言われています。でも、皆んなに言っています。僕達の事を思って……」

『叩かれた事は?』

ありません」


(僕は……)


『誰かが叩かれている所を見た事は?』

「あ、あります。でも、それはルールを破ったから……」

『どんなルールですか?』

「それは……マネージャーに挨拶を忘れたから……」


(挨拶を忘れただけで⁈)


『いつも、マネージャーはどこを叩きますか?』

「背中とか、足を蹴ったりとか……」


(さすがに顔は叩けないか。ユミちゃんは気が付いていないな……)


『マネージャーに、スマホの他に何か預けていますか?』

「えっと、ゲーム機と……通帳と印鑑を」

『それは、会社から生活費が振り込まれる通帳ですか?』

「は、はい。でも、マネージャーが毎月ちゃんと、お金は渡してくれます」

『通帳の残高は見た事がありますか?』

「いえ、ありません」


(やっぱり。マネージャーは1人ではないはずだが……)


『他のマネージャーは? 全員、怖いですか?』

「いえ、マネージャーは1人です。グループ分けをして、それぞれ担当が1人付いてくれています」


(1人……虐待していてもバレない構図か……)


『マネージャーの名前は?』

「チョ・ガンジンさんです。ゼノさんの練習生時代を担当していたベテランの方で、ゼノさんを育てた優秀な方です」


 少年はどこか誇らしげに語る。


(ゼノ? 今のマネージャーでなくて? そう吹き込んでいるのか。代表の耳に入れなくては……)


 トラブルが対策を考えあぐねていると、スマホが鳴った。


 着信を確認してカン・ジフン少年にスマホを渡す。


 カン・ジフンはスマホを受け取り、恐る恐る耳に当てた。


「うん、久しぶり。うん、うん……」


 辞めた友人は、辞めさせられたのではないと説明し、受診を勧めた。そして、トラブルは信頼出来ると助言した。 


「分かった、言う事を聞く様にする。練習の遅れは取り戻して見せるよ。うん。テスト頑張るね。うん、今度会おうね」


 カン・ジフン少年は、スマホをトラブルに返して「両親に連絡して下さい」と、言った。

 

 トラブルはうなずいて、まずは代表に連絡をする。


 メールで少年の症状を伝え、例のマネージャーではない人物に、実家まで送らせる手配を依頼した。


 最後に『直接、伝えたい情報があります。出来るだけ早く対処しなくてはならない事案です』と、送る。


(よし、これで時間を作ってくれるだろう)






 トラブルは少年に付いて、迎えに来たマネージャーと練習生専用の宿舎に向かう。


 メンバー達の宿舎とは違い、一部屋に2段ベッドが2台置かれ、プライベートな空間はベッドの上だけになっていた。


 掃除の行き届いていない部屋を見て回る。


 子供らしさのかけらもない無機質な空間は、生活感がなく、ただ寝るだけと見て取れた。


(刑務所みたいだな……)


 カン・ジフンが荷物を持って部屋から出て来た。


 小さなリュックを1つ、背負っている。


『それが、4、5日分の荷物ですか?』

「あ、はい。これで全部です」


(全部⁈ 持ち物が少な過ぎる)


『では、行きましょうか』


 トラブルとカン・ジフンは車に乗り込む。


 カン・ジフンの実家は小さな青果店を営んでいた。


 代表から連絡を受けていた母親が、店の前で待っていた。


 トラブルは、明日、必ず受診する様に伝える。母親は頭を下げて「今日、受診させます」と、返事をした。


 トラブルは、預かっているスマホを後日返しに来ると、約束をする。


「ありがとうございました」


 カン・ジフン少年は深々と頭を下げ、母親と店の奥に消えた。


 トラブルは運転してくれたマネージャーに、チョ・ガンジンとは、どの様な人物か聞く。


「どうって、別に普通の人です」

『練習生に厳し過ぎる事は、ありませんか?』

「まあ、どっちかと言えば厳しい方ですね」

『虐待や搾取さくしゅの可能性は?』

「は? カン・ジフンが、そう言ったのですか?」

『いいえ。噂です』

「ふーん……何も問題は起こしていませんよ。ただの噂です」


(こいつも共犯の可能性があるか……)


『それは、失礼しました』


 トラブルは、このマネージャーの車には乗らず、地下鉄で会社に戻った。


 医務室に入ると、代表が待ち構えていた。


「対処が必要な事案だって? 何があった?」


 トラブルは、カン・ジフンの証言と宿舎での印象を話した。


 代表は難しい顔をする。


「チョ・ガンジンは確かに練習生時代のゼノの面倒を見ていた1人で……ゼノと対立してはずしたんだ」 


対立した⁈


「ああ、礼儀作法にうるさい奴でな。年長者の世話をしろだとか、デビューが決まってからは年長者がやるなだの、やれだの。ゼノのやり方を尊重しろと言う俺の指示に従わなかった」


それを、ゼノの成功は自分のおかげと練習生に言っているのですね。


「んー、まあ、そんな奴はたくさんいるだろ。虐待は聞き捨てならないが……」


が?


 代表は声を低くする。


「証拠がいる」


カン・ジフンの証言だけでは足りないと?


「その証言は告発ではないだろ。お前の誘導とも取れる。もっと情報収集が必要だな……チーフマネージャーは……日本か。あと信頼出来て、練習生達を近くで見ている奴はー……」


ユミちゃんですね。


「そうだな、今、どこにいる? 連絡してみろ。ユミと2人で証拠を集めるんだ」


2人で⁈


「俺が動いたら、すぐに姿をくらますかもしれないだろ。証拠を突き付けて、この業界に戻れない様にしてやれ。お前が搾取さくしゅ、虐待と言ったのは伝わっている可能性がある。せいぜい気を付けろよ。逐一ちくいち、報告しろ」


 トラブルの背中に冷たい汗が流れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る