第180話 私を捨てた国


「ノエル、僕は大丈夫だよ?」


 テオはノエルに手を引かれながら声を掛ける。


「何言ってんだよー。代表のお墨付きでトラブルに会えるなんて、そうないんだからチャンスは活かさないとね」

「何のチャンス?」

「トラブルと日本ツアーの事、話せるチャンスでしょ」

「あ、そうか」

「それに、この右手、結構痛いんだ」


 2人が医務室をのぞくと、トラブルはパソコンに向かっていた。


 ノエルが左手でノックをして、テオがドアを開ける。


 トラブルは、どうしましたか? と顔を上げた。


 ノエルは右手を見せながら、レッスン中にテオの膝に何度か当たり、痛みが強くなって来たと説明をした。


 トラブルは診察中の札を出し、ドアにロールカーテンを下ろす。


 テオをソファーで待たせ、ノエルを診察台に座らせた。


 左右の手背しゅはいを見比べる。右手の小指側が赤くれていた。


「あー、さっきよりも腫れて来たかも」


 トラブルは、ノエルの指を曲げ伸ばししてノエルの反応を見る。


 次に手首を動かしてみるが、ノエルは痛がらなかった。


 手背の骨を1本1本、慎重に触っていく。


 その間もノエルは痛みを訴えない。


(折れてはいないようだけど。ノエルは痛みに強いからな……」


 トラブルは冷凍庫から保冷剤を取り、ガーゼで包んでノエルの右手に当てる。


 ノエルに、押さえていて下さいと、ジェスチャーで伝え、ソファーに座っているテオの膝をた。


 テオの膝は、赤い部分と紫に内出血している部分があった。


 トラブルは反対側のスウェットもまくり上げ両膝を見比べる。やはり、こちら側の膝も内出血している。


 トラブルは膝を指で押し、テオを見る。


「痛くないよ。ノエルの手は大丈夫?」


 トラブルはうなずき、テオの膝にも保冷剤をあてる。


 ノエルの膝もる。


 両膝にテオと同じ様な紫の内出血班がある。しかし、テオよりは小さい。


 トラブルはテオを呼び、診察台に並んで座らせた。


ノエルの右手は骨折していない様ですが、レントゲンを撮らなくては分かりません。今は痛みが少ないので、冷湿布れいしっぷとテーピングで様子を見ます。右手は安静にしていて下さい。


「分かった」


 テオはノエルに通訳をして伝えた。


テオの膝は大丈夫です。が、この膝を見比べて下さい。紫色のこの部分がテオの方が大きいです。膝でターンをする時に床にぶつけています。ノエルの様に回転を掛けてから膝をつけば、最小限のダメージで済みます。


 テオにノエルにも説明をする。


 ノエルの保冷剤を取り、れをる。


 冷湿布を貼り、硬くテーピングをほどこした。


「強く押さえると痛いよ」


 トラブルは手早くテーピングを終わらせ、2人の膝に軟膏を塗る。


この軟膏は血行を良くして内出血班を早く吸収させて消してくれます。ジョンの膝にも塗ってあげて下さい。入浴後も、たっぷりとり込んで下さい。全身に使えます。ノエルの手は明日も、出来れば朝、見せに来て下さい。右手は使わない様に。痛みがひどくなって来たら連絡を下さい。


 テオ通訳にノエルは、分かりましたと、立ち上がる。


「テオ、1時間で戻って来てね」

「え?」


 ノエルはテオを置き去りにして医務室を出て行った。


 トラブルはノエルの態度に「?」と、テオを見る。


「あー、あの、久しぶり。元気だった?」


毎日、顔を合わせていますが?


「うん、そうだね。あの、話があるんだ。トラブルは……その、日本行きをどうするのかなぁと思って」


 テオは上目遣いで遠慮がちに、やっとの思いで口にした。


 トラブルは、あー……と、天を仰ぎ、そして座っているテオを見下ろして、ゆっくりと返事をする。


私は行きません。トレーナーが不在なのは不安だと思いますが、コンサート会場には看護師が配置されるそうです。ダンサーの中にスポーツトレーナーの資格が持つ方がいるそうなので、何かあれば、その方を頼って下さい。


「そ、そっか……」


 テオはトラブルが決めておいてくれて少しホッとする。しかし、残念な気持ちが顔に出てしまっていた。


私は……平静でいられる自信がありません。日本は私を捨てた国……私を捨てた人がいる国です。


 絞り出す様に言うトラブルを抱き寄せ、両腕で強く包み込む。


 トラブルもテオの背中に手を回し、テオの胸に顔を埋めた。

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