第76話 2台のスマホ


 数日後。


「トラブル、どこだー!」


 代表が練習室に怒鳴り込んで来た。


 突然現れた会社代表に驚いて固まる振付師とメンバー達を尻目に、メンバー達の動きを見ていたトラブルは怪訝けげんそうに振り向く。


 短い白衣を羽織っていた。代表はハタと見る。


「お、白衣。どうしたんだ?」


テオにもらいました。


「就職祝いですよー」と、テオが汗を拭く。


「ナース服にすれば良かったのに」


 セスが真面目な顔をして言うと「ピンクの!」と、ジョンが笑顔で乗っかった。


 トラブルはグッと眉を下げて手話で言う。


あなた達、最低です。で、何か?


 トラブルは代表に向き直る。

 

 代表は、ああ、そうだと、抱えていた書類の束をバンっと叩いて見せた。


「何かじゃない! この稟議書はなんだ! 改装工事、電子カルテ、血液ガス測定器、超音波検査機、医療廃棄物契約、その他もろもろで2億ウォンはするぞ!」


 トラブルは、しれっと言い返す。


もっと、します。


「会社を作り変えるつもりか!」


それも、いいですね。医務室は治外法権と聞きましたが?


「ふざけんな! 限度があるだろ。こんな稟議書は通さんぞ!」


 トラブルの眉間がグッと寄る。メンバー達に背を向け、代表にだけ見えるように手話を始めた。


 代表の目が泳ぎ始める。


「う、それは、そうだが……いや、しかし…… でも……」


 代表はトラブルの圧力に負け、どんどん壁へ押しやられる。


「何て言ってるの?」


 ノエルが小声でテオに聞いた。


「後ろ向きで分からないよ。セス、分かる?」

「いや、正確には分からない」

「正確でなくていいから」

「約束がどうとか……」

「約束? 契約の事?」

「分からん」


 トラブルの手話が高速になっていく。


「分かった! 分かったから!」


 壁に行き場を失った代表がついに両手を上げた。


「明日、予算会議をするからな!」


 捨て台詞を吐き、代表は出て行った。


 トラブルは不敵な笑みを浮かべながら振り向く。


「トラブルー、悪い顔してるよー」


 ノエルが髪をかき上げる。


「会社、作り直すの?」


 ジョンが不安な顔をした。トラブルはにこりと優しい笑顔に変えた。


いいえ。医務室を作り直します。


 トラブルの白衣のポケットでスマホが着信を伝えた。


 ポケットから黒いスマホを取り出して見る。すると、反対のポケットからもスマホの着信が鳴る。


 反対のポケットからは白いスマホを取り出す。そして、白いスマホに返信を打った。


 白いスマホを振りながら手を動かす。


仕事です。じゃ。


 トラブルは白衣をひるがえして出て行った。


「2台持ってるんだね」と、テオは後ろ姿を見送る。


「仕事用に支給されたって言ってたぞ」

「じゃあ、最初のスマホは私物? 着信来てたけど返信しなかったね」


 ノエルは首を傾げた。


「必要なかったんだろ」

「トラブルのスマホに誰がかけて来たんだろ? トラブルのアドレス、知ってるんだね」


 ノエルはチラリとテオを見た。


「カン・ジフンじゃん?」


 セスが意地悪な顔をして言う。


 ショックで息を吸い込んだまま黙るテオ。


「また、そういう事を言わないで下さい」


 ゼノがセスの肩をグーパンチした。






 小走りで医務室に向かうと、ユミちゃんが待っていた。


「トラブル、遅ーい」


 トラブルは2台のスマホを振り、両方で呼ばなくてもと、ジェスチャーで言う。


「だって、どっちを見るか分からないじゃない」


 2人は医務室に入り、トラブルはリュックから皮膚科の教科書を取り出した。


 昨日、ユミちゃんはトラブルに相談を持ちかけていた。


 今度デビューする予定の新人が皮膚炎みたいと、言うのだ。


 トラブルはその新人をに、レコーディング室へ出向いた。


 16才の、その男の子は手首を頻繁にいている。次に肘。それと首の後ろ。


 顔に異常はないが、乾燥が強い様だった。


 マネージャーと共に医務室に来てもらい、診察台に座らせた。


 手首はきむしった傷で赤くなっている。肘も首の後ろも同様だ。眉の上にも赤みがある。


 メモを書いて質問をする。


 少年は戸惑いながらもしっかりと答えた。


『アレルギーはありますか?』

「ありません」

『かゆみは子供の頃からですか?』

「はい」

『喘息は?』

「ありません」

『風邪を引くとゼーゼーしやすくなりませんか?』

「あ、少しなります」


 トラブルが眉の上の赤みを触ると、粉を吹いているように見えるのにベタついている。


 トラブルはパソコンを取り出し、イム・ユンジュ医師に遠隔診療を依頼した。


 パソコンの画面に現れた医師にトラブルは手話で症状を伝え、画面を本人に向け、手首のき壊しを見せる。


『ああ、そうだね。じゃあ、本人と話すよ』


 パソコンを少年に向ける。


『こんにちは、はじめまして。医師のイム・ユンジュと申します。これは遠隔診療と言って離島などで医師がいない地域や、病院に簡単に行けない人々をフォローする為に作られたシステムです。芸能人も多く利用していて、守秘義務は絶対に守りますので、ご安心ください』


 男の子はうなずく。


『あなたは、アトピー性皮膚炎ですね。まだ症状は軽いのでステロイドの軟膏でかゆみを抑え、保湿をしっかりしましょう。そこの看護師に薬を届けさせますので、看護師の指示に従って下さい』


「はい、分かりました」


 トラブルは、未成年者なので親に連絡をしておくようにと、マネージャーに伝える。


 ステロイド剤軟膏と保湿剤を届けて使用方法と注意事項を与えた。





 そして、ユミちゃんにメイク方法の相談をされたのだった。


 今日は、皮膚の構造の勉強を行う。


 狭い医務室で向かい合って座った。


「何これ、漢字ばっかり」


 トラブルが開いた教科書の1ページ目でユミちゃんは弱腰になる。


 ユミちゃんとはメモで会話をした。


『基礎知識を得ないと異常の早期発見と正確な対応は出来ませんよ』


「でもー……はい。よろしくお願いします」


 姿勢を正すユミちゃんにトラブルは微笑みながら、ここを読んでと、指を差す。


「はい。えーと、皮膚とは……」


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