第75話 ピルエット


 ジョンは、あまりの部屋の汚さにゼノとトラブルに叱られ、1人で片付けをやらされていた。


 足の踏み場どころか寝るスペースすらない。


「だから、最近、ソファーで寝ていたのですね」

「うん。皆んなの部屋を転々としてたんだけど、皆んな、ベッドを貸してくれなくなったから。ねえー、手伝ってよー、ゼノー」

「仕方がないですねー」


 トラブルは冷蔵庫を開ける。見事に空っぽだった。


(夕飯の時間なのですが……)


 陽はとっくに落ち、ソウルの街は輝いていた。


 冷蔵庫の前で途方に暮れるトラブルに気が付いたセスが「もう、来年まで休みがないから買い物はしない。腐らせる」と、言い放つ。


「今日はどうするの?」


 テオが腹ペコだとお腹を押さえて聞いた。


「外に食いに行くか出前! もう、疲れた!」


 ソファーに倒れ込むセス。


「一緒に、ご飯行こう」


 テオはトラブルを誘う。しかし、トラブルは首を横に振った。


家に帰ってお手伝いさんと交代しなくてはなりません。


「昼間は仕事して、夜はパク先生のお世話? 大丈夫なの?」


 テオは心配顔を向ける。


 トラブルは眉毛を上げて手話をした。


仕事の方が楽です。


 それを聞いて、テオとセスは思わず鼻で笑った。




 ノエルは3人を少し離れたところから見ていた。


 ノエルは、あまり『もし』と、考える事はしない。そんな事は考えても無意味だからだ。


 今が人生の頂点で、明日、次の頂点が来る。


 最大の努力で最善の道を選んで来たから『もし』なんてものは存在しないはずだ。


 でも…… でも、もし、自分がトラブルだったらと考えてしまう。


(もし、自分がトラブルだったら…… )


 生きている自信はない。あんな風に笑う自信もない。


 トラブルを見ていると自分がとても平凡で何の取り柄もない人間に思える。メンバー達と比べても自分には個性がない。今の人気はテオに引っ付いているからだ。


(テオが僕から離れていったら? 僕はどうなる?)


 ドス黒いモノが胸に広がる。


(何だ、この気持ちは…… )


「ノエル?」


 テオの声でハッと顔をあげる。


「どうしたの?」


 幼い頃から見慣れた顔が心配そうにのぞき込んでいた。


「ううん、疲れただけ……」

「そうだよね。二日酔いから長い1日だったよね」

「そうだ。二日酔い! それでトラブルの所に行ったんだよ!」


 ノエルはわざと大声で言い、平静を装った。


「?」と、トラブルはテオを見る。


「ジョンが二日酔いで顔色が悪くなっちゃって……」と、言い終わる前にトラブルはセスの胸ぐらをつかんで、吊し上げた。


「俺が飲ませたんじゃない! あいつが勝手に人の酒を舐めてまわったんだよ!」


 セスはドサッとソファーに落とされる。


 次にトラブルはノエルに向かって行く。


「本当だよ! 僕も飲ませてないよ!」


 ぶんぶんと頭を振るノエルを見て、トラブルは、ふ〜んと、ジョンの部屋へ行った。


「こわ〜」と、テオとノエルは顔を見合わせる。


 セスは吊し上げられた喉元を押さえていた。


「あいつ、何も変わってないぞ!」


 すると、ジョンの部屋からゼノの叫び声が聞こえた。


「自分は飲ませてません! 誓います!」

「え、誓います?」


 リビングの3人は腰を曲げて大笑いする。


 トラブルが眉をひそめたままリビングに戻り、ふと、座っているノエルに気が付いた。じっと見つめる。


「何? トラブル」


 ノエルは左足を上にして組んでいた。


「何?」と、もう一度聞く。


 トラブルは手話で、ピルエットをと、言う。


 セスが伝えて、しかし「ピルエットって何だ?」と、聞き返した。


 舞踊学校出身のノエルが「バレエだよ。片足でクルクル回るやつ」と、立ち上がる。


 ノエルは「?」と思いつつ、右足をじくにして2回転、回って見せた。そしてポーズを取る。


「おー!」


 ジョンとゼノもリビングに出て来て拍手を送る。


 トラブルは、次は左軸でと、足を指差した。


 ノエルは左足をじくに置くが、最初のポーズだけで「あ、ダメだ」と、言う。


 テオが首を傾げた。


「何がダメなの?」


 ノエルは、くるりと1回転してポーズ決めた。


「おー、美しいですねー」と、ゼノがまたもや拍手をするがノエルは「ダメだ」を、繰り返した。


「何がダメなの? スピードもキレもバッチリじゃん」

「いや、左で2回転出来ない。おかしいな」


 トラブルがノエルの前へ出る。


 右軸でピルエットのポーズを取り、ノエルと同じく2回転した。


「おー、トラブルも捨てたもんじゃないですねー」と、ゼノは拍手を送る。


 トラブルは今度は左軸で、右と同じように2回転した。


「えー! すごい!」


 驚くメンバー達。


 スピードもキレもノエルの何倍もあった。


 ショックを受け、声が出ないノエル。


 トラブルが手話をした。セスが通訳する。


以前、あなたは足を組んで座りませんでした。左の体幹が衰え、左右のバランスが崩れています。トレーニングをサボっていますね。


「え、でも……うん、サボってる」

「そんな事ないよ。ノエルは1番練習しているよ。サボってないよ」


 テオは幼馴染みをかばう様に言う。


「違うんだよテオ。ダンスの練習量じゃなくてトレーニングなんだよ」

「だって、ノエルは1番腹筋割れているじゃん」

「いや、左右のバランスの問題なんでしょ? トラブル」


そうです。あと、ここの……


 トラブルはノエルの背中を触り、ここの最長筋を鍛える必要がありますと、説明をした。


「分かった。トラブルもう1度回ってみて」


 トラブルはアラベスクのポーズをする。手足がさらに伸びた錯覚を覚えた。


 バレエの知識のないメンバー達も、それがいかに完璧か分かる。


 そして、右軸のピルエット3回転。

 続けて、左軸のピルエット3回転。

 最後にレヴェランス(お辞儀)。


 わぁ!と、拍手が沸き起こる。


「すごい! 皆んな、この凄さ分かる? なんで左右対象に回れるの⁈ 利き足があるでしょう? なんで⁈ 舞踊学校の先生どころじゃないよ! プロでも左右差が出るのに、なんで⁈ 」


 ノエルの興奮は止まらない。


 トラブルの手話をセスが伝える。


「体幹のバランスを戻せとさ」


「うわ、くやしいー! 明日から頑張るぞ!」


 ノエルに元気が戻り、セスはひと安心だと胸を撫で下ろした。


 トラブルと目が合う。お互いペコリと頭を下げた。


 結局、出前で夕飯をすます事にして、トラブルは帰って行った。

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