第475話 ユミちゃんの思い


 会社の医務室でトラブルはユミちゃんを待ち構えていた。


(必ず来る……怒りの矛先が私に向くとは想定外だったが、テオが殴られなくて良かった……私が殴られるのか⁈ )


 トラブルは物音がするたびに戦々恐々として待ったが、ユミちゃんはいっこうに現れない。


 次第に不安にられて来た。


(おかしい、来ない。あのユミちゃんが……そんなバカな。それだけ怒っている⁈ 探しに行かなくては)


 トラブルはメイク室に顔を出す。しかし、ユミちゃんの姿は見えなかった。社内を歩き回り、通りすがりのスタッフを捕まえて聞くと、ある者は事務所で見たと言い、ある者は倉庫に向かって歩いていたと言う。


(社内にはいるんだな……)


 トラブルは目撃情報を頼りに、ユミちゃんを探す。


 足が棒になって来た頃、ソン・シムに呼び止められた。


「おい、トラブル。倉庫の隅のあれ、どうにかしてくれ」


(あれ? あれって……?)


 トラブルはソン・シムに言われた倉庫をのぞく。


 使い古された舞台セットや小道具が所狭しと並び、トラブルはその隙間をくぐる様に進んだ。


 不意に、ガタンっと音がしてトラブルは音のした方へ足を向ける。


 大きな着ぐるみの角を曲がると、そこにはオモチャの椅子に座るユミちゃんの姿があった。


 トラブルは、ホッと息をいてユミちゃんに近づき、スマホのメモを見せる。


『探しました。なぜ、ここにいるのですか?』


 ユミちゃんはトラブルを見ずに、トラブルが差し出すスマホを一瞥いちべつして小さく言った。


「ここは……始めてトラブルと出会った場所だから」


『ここで?』  


「そうよ。私は何かを調べに来てて……トラブルは大きな扇風機を運んでいたわ。汗をかいて……大道具に女の人が入ったって聞いていたから、あの人なんだーって……」


 トラブルはクスリと笑う。


『一目惚れしました?』


「するわけないでしょ……でも、したかも。気になっていて……鏡が落ちて割れた事件があったでしょ? 覚えてる? トラブルが修理する事になって、メイク室を出入りする様になって……私、すごく気になっていたの。話し掛けて欲しいって思っていたわ」

(第1章第7話参照)


『話し掛けたいではなく?』


「私……人見知りなのよ。気になる人には特にそう。私に気が付いてって思うだけで……何も出来ないの」


『今みたいに?』


「……トラブルと話さなくちゃならないのに、探して欲しいと思っちゃうの……見つけて欲しいのなら出て来いって感じよね」


『見つけました』


「さっき、ソン・シムに何をしているんだって聞かれて、トラブルとケンカしたって言ったから、その内、来てくれるって分かっていたわ」


(なるほど……複雑な乙女心ですね……)


『ソン・シムに言われる前からユミちゃんを探し回っていました』


「本当? 嬉しい……こんな態度、面倒よね」


『面倒ではありません』


「ありがとう。職場で友達と呼べる人はトラブルが始めてなの」


『皆に好かれているのに?』


「好かれてなんてないわよ。好かれようと努力しているだけ。私、結構、空気読めない所があって……引かないでいてくれる人は一握りよ」


(自信を喪失している?)


『ユミちゃんの勢いに押されているだけで引いてはいません』


「それを引いてるって言うのよっ。もー、世間知らずなんだから」


(私が⁈ そうなのかな……)


『すみません』


「ねぇ、トラブル。世間知らず同士が惹かれあったのは、よく分かるわ。テオは優しいでしょ?」


『はい。優しいです』


「メンバーの中で1番優しい子だと思う。スタッフがミスを繰り返しても、文句を言わないどころか何とも思わないのはテオだけよ」


『そうですね』


「一度ね、野球場のロケで、ベンチ裏からベンチを飛び出してマウンドに向かって走るシーンを撮る時にね、屋内で打ち合わせして、いざベンチ裏から飛び出したら雨が降っていたの。天気を確認しなかったスタッフのミスなんだけど、テオだけは、そのまま打ち合わせ通りに雨の中を飛び出したのよ。他のメンバーは雨だからブレーキをかけたのに、テオだけは『何で皆んな来ないの?』って。ノエルが『雨だから』って言っても『打ち合わせ通りにしようよ』って怒ってね。テオの言葉で、スタッフのミスじゃなくてメンバー達のNGって事になったのよ。分かる?」


(テオに助けられた人はたくさんいる。私もその1人)


『分かります』


「テオで良かったと思っているわ。トラブルの……彼氏が。でも、ずっと怪しんでいたの、すごく気になっていたの。そんな私の気持ちに気付いてって思っていたのよ」


『言わなくてはと思っていました』


「そうよね、そうだと思った。私は練習生担当になっちゃってたし、お互い忙しかったから……でも、教えて欲しかったわ。マネージャーからではなくてね」


『ごめんなさい』


「本気で私がぶん殴ると思っていたの?」


(はい、思いっきり)


『いいえ。テオは、そう思っていました』


「バカな子ね。彼氏を寝取られたら相手の女を責めるモノだけど、この場合はどうすればいいのかしら? やっぱりテオを1発殴っとく?」


『ダメです』


「顔はマズいわね。腹はー……ダメよね。お尻? 触りたくないから蹴っ飛ばそうかしら? あ、そうだ、会う度に足を踏んでやる。どう? 毎日、毎日、足をギュッて」


『精神的なダメージが大きいです』


「私のトラブルと付き合ってんだから、そのくらいのリスクは負って欲しいわ」


『ダメです』


「ふんっ。あー、想像でテオをぶん殴って、蹴っ飛ばして、足を踏んでやったらスッキリして来た。元気が出て来たわ」


『良かったです』


「……芸能人と付き合うのは大変だけど応援してる。応援するから」


 ユミちゃんは立ち上がり、トラブルに抱き付いた。トラブルも抱きしめ返す。


(ユミちゃん、ありがとう……)


 2人がハグをして友情を確かめ合っていると「わっ!」と、声がした。


「すまん! まだ、いるとは思わなくて。こ、これを取りに来ただけで……続けてくれ。お邪魔しましたー……」


 ソン・シムは棚のマネキンの首を抱えて、逃げる様に立ち去った。  


 ユミちゃんとトラブルは顔を見合わす。


「技術・機材班が金髪のマネキンに何の用なのかしら? あ! かつらを奥さんにかぶらせていたりしてー! いやーん! ソン・シムがかぶってポーズ取ってるとこ想像しちゃったー! 私達、ソン・シムの秘密を握ったわね」


 ユミちゃんは確信を得た様に腕を組む。


(ソン・シムは私達の秘密を見たと思っているでしょうねー)


 トラブルは笑いながら、ユミちゃんの背中を押して倉庫を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る