第450話 草の死体


 ノエルはベッドの上で、テオと向かいあった。


「テオ。飛行機のCAさん、覚えてる?」

「うん。ノエルが嫌がった人」

「そう。一晩、寝ても嫌な気分が残っちゃってて、でも、僕の治った右手の事を皆んな知りたがるって分かってたからさ、無理に仕事モードで頑張ってたんだよ」

「うん。頑張ってたのは分かったよ」

「ありがと。でね、嫌な気持ちを見ないでおこうと思ったら、意識があちこちに飛び始めちゃって……セスみたいに、スタジオのお客さんから自分を見ていたり、天井からテオ達を見下ろしたり、ヤバい感じになっちゃって……」

「ええ⁈ だって、ノエル、普通に受け答えしてたじゃん! ダンスしたりさ」

「そうなんだけど、半分、僕じゃないみたいになって来てね。セスが止めに来てくれたんだよ」

「へ? セス、なんか言ってたっけ?」

「ううん。僕の飛び回る意識の先に立って、通せんぼしたり『戻れ』って言ってくれたんだ」


 テオは、あんぐりと口を開けたままノエルを見る。


「変な事、言ってると思うよね」

「お、思わないよ! ただ、少し……ほんの少ーし、驚いただけ。すこ〜しだけ」

「無理しなくてイイよー。耳は通訳さんに向けて、目はインタビュアーの反応を見て、頭でコメントを考えて、しゃべっているのに、昔のセスみたいにポンポンと意識が出て行っちゃうんだから、本当に叫び出しそうだったよー」

「……なんで、楽しそうなの?」

「だって、あのセスが僕を追い掛けて来るんだよ? 僕は無意識だけど、セスは意識して僕を追い掛け回したから、今、死にそうなんじゃん?」

「え! 助けに行かなくっちゃ!」

「死にそうなくらい、疲れただろうって意味だよー。ご飯を食べて、ジョンに癒してもらえば大丈夫」

「本当?」

「本当だよー。あ、ご飯、届いたね」


 ノエルは振り向いて、ドアを見る。


 テオもノエルにつられてドアを見るが、いつまでたってもノックはされなかった。


「ノエル? ご飯、まだ来てないみたいだけど……」

「ああ。今、エレベーターを降りる所だよ」

「えー、僕を騙そうと……」


 テオが言い掛けると、ドアの外からガチャガチャと音が聞こえ、ドアがノックされた。


「ほらね。開けて来て」

「う、うん」


 テオがドアを開けると、ベルスタッフがワゴンを押して立っていた。


 鳩が豆鉄砲をくらった様な顔でワゴンを受け取ったテオは、その手元を見て、満面の笑みになる。


「ノエル、見て! お花畑みたいだよ!」


 ワゴンの上の食器の隙間という隙間に生花が飾られ、フィンガーボールの中には薔薇が浮かべられて良い香りを放っていた。


「うわー、素敵だよね。さすがパリって感じ。僕の部屋もお花畑みたいにしようかなぁ。テーブルで食べるのもったいないね。このワゴンのままで食べようか?」


 テオは、ルンルンと椅子を運びセッティングをする。クロッシュ(ドームカバー)を外すと、ブイヤベースの魚介の香りが、部屋いっぱいに広がった。


「イイ匂いー。ノエル、おいでよ。ノエル?」

 

 ノエルは眉間にシワを寄せて、まるで、恐ろしいモノを見る様に、ワゴンから目をらした。


「どうしたの? ノエル?」


 テオはベッドに座るノエルの肩に手をやる。


「テオ……ダメだ、僕……」


 ノエルの顔色が、見る間に蒼白そうはくになって行く。


 ノエルは口に手を当て、トイレに走った。


「ノエル!」


 テオは後を追う。


 ノエルは今にも吐きそうに、便器の前でしゃがみ込んでいた。


「ノエル?」


 テオはその背中をさする。ノエルは涙を滲ませた目で、テオを見上げた。


「僕、セスに近付いて来ちゃった……どうして……どうしよう……」


 声が、か細く震えている。


(セスに? セスに近付いて来たって……ノエル……うん、僕が助ける)


 テオは言葉に力を込めた。


「ノエル、何があったの? 話して」


 ノエルはテオを見上げたまま、目をつぶる。涙が頬を伝って流れ落ちた。


「花が……たくさんの花が、死体に見える」


 テオは息を飲むが、平静を装った。


「どういう意味? 説明して」

「……切り取られた花が、体から切り離された首みたいに……」

「人の顔に見えるって事?」

「違う。根から切り離されて、それでも、かろうじて生きていたのに……徐々に弱って……そのまま、死なせてあげればイイのに、首だけ……花だけを集めて……あんなにたくさん……もう、死んでいるのに……」


 ノエルは頭を振りながら、絞り出す様に言った。


 テオは、ノエルの気持ちに寄り添おうとしたが、嘘はけなかった。


「そ、そうだね。切り花って、そういう1面も……いや、ごめん。考えた事なかったけど……」


 テオの正直さは、ノエルの心を少し軽くした。


「うん、考えないよね……僕、セスみたいに切られた花の気持ちにシンクロしちゃった……枯れるまで飾られるなんて、耐えられないよ」

「うん。それは、耐えられない」

「どうしよう、セスみたいだ……」


 テオは首を傾げる。


「ねぇ、ノエル? さっきから『セスみたい』って言ってるけど、セスみたいならイイんじゃないの? セスは、いろいろなモノや人にシンクロしているんでしょ?」

「……うん、そうだけど……僕には耐えられない……」

「なんで? セスは普通じゃん」

「普通? テオには、セスが普通に見えるの?」

「うん。え、違うの? 僕にないものがノエルとセスにあるだけで、ないよりは、ある方がイイんじゃないの?」

「テオー、テオのブイヤベースの白身魚の断末魔の叫びが聞こえるんだけど?」

「僕にも聞こえるよー。だから “いただきます” って、手を合わせるんでしょ?」

「……そう、なのかな……」

「そうだよ。“いただきます” しようよ。ノエルのスープは玉ねぎとチーズとパンだから平気でしょ?」

「うん。でも、あの生首が……」

「じゃ、片付けて来てあげる」


 テオはワゴンの上の花を、ひとつ残らずゴミ箱に入れた。


「ノエルー、もう平気だよー」

 

 ノエルは恐る恐る顔を出す。


 テオは「ジャジャーン」と、花のなくなったワゴンを見せた。


 ノエルは、ホラー映画で1番先に殺される気の弱い脇役の様に、恐る恐るワゴンに近づく。


 フィンガーボールの薔薇の花を見つけ、顔をこわばらせた。


「ノエル、これは死体だけど草の死体だよ。ドレッシングをかければサラダで、炒めたら野菜炒め。ね?」


 ケロリと言う幼馴染に、ノエルは思わず笑顔になる。


「確かに、そうだね。……薔薇の花を炒めるの?」

「例えたんだよー」

「草の死体って言う?」

「ノエルが死体って言い出したんじゃん! もー、早く食べようよー。冷めちゃうよー」

「うん。ごめん、ごめん」


 2人は手を合わせた。


「いただきまーす」

「いただきます……」

「まだ、気になる?」

「うん。ゴミ箱の中の死体が……」

「そっか……あの子達、綺麗じゃなければ切られる事もなかったのかもね」

「美しいから飾りにされた?」

「そうだよ。誰にも見向きもされない花だったら、タネをく事が出来たかも」

「見向きもされない花の方が、生き長らえる……」

「どっちが幸せなんだろうね」

「……ゴミ箱じゃなくて、土にかえる方が幸せだよ」

「そうだね。じゃあさ、土にかえしてあげようよ」


 テオはゴミ箱を持って立ち上がった。







【あとがき】


 生野菜のサラダを『草』と呼び、笑われているヌンでーす。

 ちなみに切花は『死体』に見えます。

 あとは朽ちるのを待つだけ……

 皆さん、そうは見えませんか?

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