第262話 血圧が上がるほどのバカ


「ゼノ、何を……」


 ゼノはトラブルを見下ろした。


「トラブル、答えにくいのは理解していますが、体調の悪い時も頼る事は出来ないのですか?」


……ソウルには、いません。


「では、義理の兄弟や叔父、叔母は?」


 トラブルは悲しそうに首を振る。


「他に頼れる人は?」

「ゼノ! やめてよ! 何でそんな事、聞くんだよ!」

「テオが! テオが仕事に戻れないからですよ! ツアーが始まれば練習は出来なくなります。ノエルの骨折で世界中が注目しているのに、我々はいまだに変更事項の確認をしている! チケットは完売しています。何ヶ月も前から楽しみにしているファンに準備不足を見せるわけにはいかないでしょう!」


 “準備不足” それはゼノが最も嫌いな言葉だとテオは知っていた。そして、自分達だけではなく、スタッフを巻き込んで思わぬ怪我や事故の原因になる事も。


 しかし、反論せずにはいられない。


「戻らないなんて言ってないよ! でも……」


「でも、何ですか⁈ でも、トラブルを1人にする事は出来ないと言いたいのでしょう! だから、任せられる人にトラブルを任せて、テオはツアーの準備に集中して下さいよ!」

「だ、だからって、今の聞き方はひどいよ! 身内はいないって知っているのに!」

「5人、そろわないと練習に……!」


 ゼノの腕をトラブルの白い手がつかんだ。


 2人の間に入ろうと体を起こす。


「トラブル、起きちゃダメだよ」


 テオはトラブルの肩を押して診察台に寝かせる。


 トラブルはさらに白くなった手を動かして、手話をした。


テオ、ゼノの言う通りです。私はここで寝ていれば大丈夫です。仕事に戻って下さい。


「でも……」


 ゼノは、テオのトラブルに向ける視線を見て「あー!もう!」と、スマホを取り出し、誰かに電話をした。


「もしもし、医務室に来れますか? ……今すぐにです」


 ゼノは電話を切り、パソコンの前に座る。


 ため息をきながら、頭をかかえた。


 テオはトラブルの横に座り、眉間にシワを寄せるトラブルの頭を撫でる。


(テオ、ゼノの言うことを聞いて……)


 トラブルは腕を動かそうとするが、あまりに重くて思い通りに動かす事が出来ない。


「トラブル…… トラブルが言いたい事は分かるよ。でも、もう少し良くなるまで、ここにいたいんだ。だから、ゼノ、お願い」


 テオの、すがるような目を避ける様に、ゼノは再び頭をかかえる。


 沈黙が3人の呼吸を浅くする。





 不意に医務室のドアが開き、セスとノエルが入って来た。


「来たぞ。何の用だ?」


 セスは、3人の異常な様子に声を低くして聞く。


「セス、解決策を見つけて下さい」


 ゼノは顔を上げ、テオとトラブルを手で指した。


「あ?」

「トラブルの貧血はノエルに聞いたよりも重症です。我々は、まだ練習をしなくてはなりませんし、テオはトラブルの元を離れられないでいます……お手上げです」


 セスは、白い顔で何とか目を開けているトラブルと、同じように血の気が引いたテオを見る。


 トラブルは手話をする為に手を動かすが、やはり、思い通りに腕を上げる事が出来ない。


(なんて、重い体なの……)


 トラブルは眉間のシワを深くする。


 セスが診察台に近づき、トラブルを見下ろした。


「おい、唇を読んでやるから言いたい事を言え」


 トラブルはセスを見上げ、口を動かした。


「……テオを連れて行け」

「トラブル! そんな!」


 テオはトラブルとセスの顔を交互に見る。


「私は大丈夫」

「大丈夫じゃないよ!」


「寝ていれば良くなる」

「だから、もう少し良くなるまで……」


「テオがいても、早く治るわけではない」

「そうだけど!」


「行け」

「心配なんだよ! いつも1人で苦しんで、1人で我慢して、でも、自信満々に振舞って、本当は不安でたまらないクセに、全部、解決してから僕に話すし、今日だって僕に隠すつもりだったんでしょう⁈ 僕だって、自信があるよ! 練習不足だって何とかやって見せる! 何で病気の彼女を1番に考えちゃいけないんだよ!」


 大粒の涙を流しながらテオは肩で息をする。


 トラブルは返す言葉が見つからなかった。


「これは、お手上げだな」


 セスに言われ、ゼノは大きくうなずいた。


「僕がお手上げだって言うの⁈」


 興奮が収まらないテオに、セスは大きく息を吸い込み、投げる様に言い放つ。


「バーカ!」


 ゼノは目を見開いて「今、このタイミングでバカ⁈」と、突っ込みを入れる。


 トラブルの血圧が、少し上がった。



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