第401話 セスの胸で


「トラブル!どうしたの⁈ フラッシュバック⁈ 急になんで⁈ えっと、どうするんだっけ……セスに……」


 テオはスマホに伸ばした手を止めた。


(2人の問題は2人で解決するって決めたんだ……まず、目を開けさせる)


 テオは見よう見まねでトラブルの顔を上げさせる。


「トラブル、聞いて。目を開けて、僕を見て。大丈夫だから。僕を見て。お願い、僕を見て。目を……そう、開けて僕を見て。ね、大丈夫だよ……」


 空中をさまよっていたトラブルの視線は、テオの顔に止まった。


「分かる? もう大丈夫だよ」


 全身、汗をビッショリとかいたトラブルは、心配顔を向けるテオから逃れる様に立ち上がった。


 支えるテオの手を振り払い、額に手を当てたまま、フラフラと部屋を出ようとする。


「トラブル、どこに行くの⁈ まだ、ふらついているよ。どこにも行く場所はないでしょ?」


 トラブルは一瞬足を止め、そして、テオを振り返る。悲しそうにペコリと頭を下げて部屋を出て行った。


 テオには、その行動の意味が分からなかった。


「何、今の……トラブル、待って!どこに行くの⁈ 今のどういう意味⁈」


 テオは慌てて後を追うが、エレベーターの閉まる音と共にトラブルは階下に消えた。


「どうしよう……どこに……と、とにかく、後を追わなくちゃ……」


 テオはエレベーターのボタンをイライラと何度も押した。


(早く、早く……)


 ロビーに着き、テオはエレベーターの扉が開き切るのを待たずに走り出た。広いロビーを見回し、閉まっているラウンジをのぞいてトラブルの姿を探す。


 しかし、トラブルはどこにもいなかった。


(外に出たのかな。こんな夜中に、どこに行ったの……どうしたって言うのさ……分からないよ……)


 なすすべを無くしたテオはセスに電話をした。セスはすぐに応答した。


「セス、起きてた? こんな時間にごめん。あのね、トラブルを探して欲しいんだ。うん、フラッシュバックが起きて……ううん、もう戻っていたけど、僕の部屋を出て行っちゃって……うん、ごめんね。うん、待ってる」






 セスは、テオからの電話を切り、はぁーと、ため息をきながら、自室のドアを見つめる。


(しょうがねーなー……)


 ドアを開け、視線を下すと、トラブルが廊下で膝を抱えて座り込んでいた。


「面倒くせー事、してんじゃねーよ」


 セスの言葉にトラブルは顔を上げる。


「そこに、いたいのか? テオが上がってくるぞ」


 不貞腐ふてくされた顔のまま、トラブルはセスの部屋に這いつくばって入った。


 トラブルはエレベーターに乗ったのはいいが、行くあてがないと、適当な階で降りて階段でメンバー達の部屋がある階に戻っていた。しかし、誰の部屋のノックも出来ずに廊下に座り込んでいたのだった。


 セスは何も言わず、背中を向けてパソコンで作曲作業を再開した。


 トラブルはその背中をじっと見る。


(広い背中……)


 トラブルがそう思った瞬間、セスは「まだ、酔ってんのか? エロい事考えてんな」と、鼻で笑った。


 トラブルはすごすごと部屋の隅に座り、膝に頭を付けて目をつぶる。


 長い沈黙の後、セスがパソコンに向かったまま口を開いた。


「テオが待ってるぞ。戻って話し合えよ」


自分の気持ちが分からないのに、どう話し合えば良いのですか?


 トラブルの手話を見ずにセスは答える。


「お前は、ただ、テオの話を聞けばイイんだよ」


『ごめん』を繰り返されるだけです。


「ふんっ、そうだとしても、あいつは今までお前に合わせて来た。あの “テオ” がだぞ? 今夜はお前がテオに合わせろ。その為のワインだったのに……」


……私が断られたのです。


 セスはくるりと椅子を回して振り向いた。


「テオがお前をこばんだ⁈」


はい。


「ハッ! あのバカ……そうか、発情している女より母親の目が気になったか……」


発情って言わないで下さい。


「……泣くな」


泣いていません。


「手話に泣き声ってあるのか? 泣くなって」


泣いていません。


「ったく……泣くなって言ってるだろ」


 セスは床に膝を付き、足を抱えて大粒の涙を流すトラブルの頭をポンポンと叩く。


 トラブルはたまらずセスの胸にしがみ付き、声にならない声をあげて泣いた。


 セスはトラブルの背中をさすりながら、黙って嗚咽おえつおさまるを待つ。


(泣かないでくれよ……)


 トラブルの動きが止まった。セスは、しばらく背中をさすり続け、トラブルの顔をのぞき込む。


「おい、部屋に戻る気になったか? ……おい、おいっ!」


 酔いの回ったトラブルはセスの胸で眠ってしまっていた。


(こいつ! あー、まったく……)


 セスはトラブルを抱き上げ、ベッドに寝かそうとして思い直し、ソファーに横たわらせた。


 テオに部屋に来るように連絡する。テオは、すぐに飛んで来た。


「セス、トラブルは……?」

「ここだ」

「え、あ!トラブル!」

「俺の部屋の前で寝ていた」

「そうなんだ……ロビーに降りたかと……」

「何があったのか知らんが、こいつに合わせないと続かないぞ」

「うん、分かっているよ。でも、今日はトラブル、変なんだ。なんか、会った途端にシャワーを浴びようとか……その、ねだって来たりとか。何か、いつもと違くて」


 テオはソファーで眠るトラブルを見下ろす。


 セスは、どう言えばテオが理解しやすいか考えた。


「お前さ、こいつが韓国からニューヨークまで何の為に来たと思ってんだよ」

「え、僕に会いに……」

「バカ。会うだけなら明日でも明後日でもいいだろ。飛行機に飛び乗ったのは、お前とヤリたくて、たまらないからだ。10何時間のフライトを我慢して来たんだろ。それをこばまれたらねるのは当たり前だ」

「う、うん。そんなに、したかったの……」

「お前とな」

「そうだけど、僕の心の準備が……」

「そんなモノ! いつまで経っても準備なんてできるわけないだろ。お前が準備出来たと思った時に、こいつがヤリたいとは限らないんだぞ」

「そ、そうか……」


 それと……と、セスは続ける。


「お前が母親を大事にすればするほど、こいつは気にするからな」

「え、どういう意味?」

「お前は『親は大事にしなくてはならない』『大事にして当たり前』だと思っているだろ。こいつは親に大事にされた事もなければ、大事にした事もない。いいか、こいつにとって『親』は特別でも何でもない。『親』の定義が俺達と違うんだ」

「定義が違うって、親は親でしょ? トラブルは……そりゃあ、酷い目に遭わされたかもしれないけど……」

「今もだ。『親』という生き物に、今も苦しめられている。その証拠に、お前の親のせいで欲求を満たす事が出来なかっただろ?」

「それはー……だって、母さんの部屋があまりにも狭くて、僕だけキングベッドでいい思いをするなんて、気が引けて……」

「その、気が引ける感覚も、こいつには分からないんだ。嫉妬しているのかもな」

「僕の母さんに嫉妬⁈ 」

「彼氏が誰かを自分より大切にすれば嫉妬するさ」

「だって、母さんだよ⁈」

「だからー、こいつには『親』と『子』の関係が理解出来ないんだよ」


(『親』に性の対象にされた事があるから……)


 セスの拳に力が入る。

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