第400話 困らせてやりたい


 1人、夜道を歩くトラブルはテオの言葉を思い出していた。


(『親をそんな風に思ってはいけない』……どういう意味だろう。母さんがいなければ……良かったのに? そう思っては、いけないの? なぜ……? テオが呼んでくれたと嬉しくなって来てしまったけど、私が来なければ良かったのかも……私は、なぜ、テオが手放しで喜んでくれると思ったんだろう……)


 トラブルはホテルまでの道を遠回りして歩いた。


 星が見えないどころか、地面に落ちている新聞の文字も読めるほど明るいネオン達に、目の奥が痛くなる。


 ふと、真っ暗なセントラルパークの入り口に立った。トラブルは暗闇を求めて足を入れそうになるが、この場所で女の1人歩きは、さすがに危険すぎると思い直し、ホテルに進路を戻した。


 ラウンジに入る気にならず、ロビーのソファーで目をつぶる。


(帰ろっかな……飛行機の最終便はー……もう、ないか。安宿を探すにしても……はぁー……バカだなぁ、私……)


 テオからラインが入った。


 トラブルは返信をせず、重い腰を上げてエレベーターに乗り込んだ。


 テオは外からのノックを待たずにドアを開ける。トラブルを抱き寄せた。


「ごめんね、1人にして。寂しかったよね」


 トラブルは答えず、ただ身を任せていた。


(私は寂しかったのか……?)


「トラブル、本当に会いに来てくれて嬉しかったんだよ。ただ、いろいろ邪魔が入って……1番の邪魔は僕のこだわりなんだけどね。ごめんね」


(あー、テオは私の気持ちを分かってくれている。でも……)


「トラブル? 怒ってるの?」


(怒ってはいないけど……怒っているのかな……)


「どうしたの?」


疲れました。


(浮かれすぎた……)


「そうだよね。こんな遅くまで待たせて、ごめんね」


寝ます。


(何をねているんだ、私は……)


「う、うん。シャワーは……?」


……浴びます。


(テオを困らせたい……)


「一緒に……って、雰囲気じゃないね」


おやすみなさい。


(私は意地が悪いな……)


「う、うん。おやすみ……」


 トラブルは下を向いたまま、バスルームに入って行った。


 服を脱ぎ捨て、熱いシャワーを浴びる。すると、目頭が熱くなって来た。


 トラブルは頭からシャワーを浴びたまま浴槽に座る。


(ダメだ。私は完全にねている。思い通りにならなかったから? テオが親を優先させたから? 分からない……ハッキリしている事は、テオをらしめてやりたいと思っている……)


 赤くなった鼻をタオルで隠しながら、バスルームから出る。


 テオは、テーブルにワインを用意していた。


 しかし、トラブルはそれを冷めた目で見た。


(そんな事されても嬉しくない……)


 そんな気持ちに気が付かず、テオはトラブルが待ちぼうけをくらって疲れてテンションが下がっているだけだと思っていた。


 いそいそとワイングラスを並べ、トラブルに椅子を引く。


「このワインね、ゼノのお店のオススメなんだよ。母さんが美味しいって言ってた。なぜだかセスがお土産って買ってくれたんだー」


 トラブルは『セス』と聞いて、肩の力が抜けた。


(なんだ、セスにはバレてんじゃん。当たり前か……という事は、ノエルにも……なーんだ、部屋の交換はノエルの入れ知恵かー……)


 トラブルは、テオが母の為に部屋を用意しようとしたわけではないと知り、ねた心が少し楽になった。


 テオに笑顔を見せて、椅子に座る。


 テオはトラブルがやっと笑ってくれたと安堵あんどした。


「トラブルも少し飲んでみる?」


 トラブルはうなずき、テオは愛する人のワイングラスに、少しだけワインを注いだ。


 向かい合って座り「乾杯」と、グラスを鳴らす。 


 ワインは、サラリとして甘く、アルコール初心者のトラブルにも美味しく感じた。


(さすが、セス。私にも飲める物を選んでくれたのか)


「どう? 美味しい?」


はい、美味しいです。


「良かったー。母さんがね、ゼノのお母さんと酔っぱらっちゃってプール作ろうとしてたんだよー。あれ? プールを作る前に帰ろうってなったんだっけ? ん? 分かんなくなっちゃった」


 テオは屈託のない笑顔を見せる。


 トラブルは微笑み返し、ワインを自分のグラスに注いだ。


「気に入ったの? 日本で飲んだ信州ワインよりも甘めだよ。帰ったらそれも一緒に飲もうね」


 トラブルはワインを一気に飲み干した。


「ねぇ、トラブル、どうしたの? もう顔が赤くなって来ているからペースを上げない方が……」


 テオの言葉を無視して、トラブルは2杯目を空ける。視界がぼやけ、頭がクラクラと気持ちよくなった所でベッドに倒れ込んだ。


「トラブル、大丈夫?」


 心配そうに顔をのぞき込むテオの首に手を回し、力を入れてベッドに引き込んだ。


「うわ! 危ないよー」


 テオは恋人に体重を掛けまいと、肘で体を支える。トラブルはテオの首に腕を回したまま、キスをした。


 テオの甘い唇をペロリと舐める。そして口を開け、唇で唇を噛む。トラブルは顔を左右に振りながら、テオの頭を押さえて呼吸を荒くする。


 しかし、テオは口を開けなかった。


 トラブルは動きを止め、キスを返して来ないテオを見る。


 その目は、済まなさそうにトラブルを見下ろしていた。


「トラブル、大好きだよ。でも、僕……母さんがいると思うと、なんか、悪い事をしている気分で……トラブルの部屋があんなに……あ、トラブルの部屋じゃないけど、ホテルの部屋が、あんなに狭いなんて。母さんに申し訳ないなぁって……」


 トラブルはテオの首から手を離し、眉間にシワを寄せ、目をつぶってテオの言った意味を考えた。


(……ダメだ。意味が分からない。母親に見られているわけでもないのに? 私とするのは悪い事? 部屋が狭いと申し訳ない? 私はその部屋で寝ようとしていたのに……申し訳ないってナニ? 屋根と壁とベッドがあって、なにが不満なの?)


 突然、フラッシュバックに襲われた。


 夜中に家を追い出され、謝りながら泣き叫んでも決して開かないドア。そのまま、玄関前で眠りに付き、朝、開いたドアに喜んだのもつかの間、そんな所で寝て、みっともない、近所の目を考えろと叱られる。

 

(私は、どうすれば良かったの⁈)


 トラブルは両手で目頭を押さえたまま、ベッドから転がり落ちる。床に座り込み、体をガクガクと震わした。

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