第327話 水で手を洗う


「僕は気持ちが楽になったんだから。ね、泣かないで」


 ノエルは優しい笑顔をテオに向ける。


「なんで、隠していたの?」

「隠してたんじゃないよ。言わなくてもいいって判断しただけ」

「5年生の時に?」

「うん。その後も何度も、わざわざ言わなくてもいいかって思った。“ノエルすごーい ” “ 頭イイー ” って思われていればいいかって」

「思ってたよ……」

「うん、知ってるよ。でも、誰でもある程度は出来るんだよ。母親が泣いている赤ちゃんの望みが分かるみたいにね」


 ノエルはゼノに「試してみようか」と、言った。


「試す?」

「うん。今、ジョンは隣の部屋で僕のステーキを用意しているよね? 僕が頼んだから」

「はい、そうですね」

「でも、ちょっと遅くない?」

「セスの分の料理も選んでいるからでは?」

「それだけかなー?」

「つまみ食いしながら、自分の分も選んでいるでしょうね。我々の分も持って来てくれるつもりかもしれませんね」

「それが正解か少し待ってみようか」


 ノエルはセスの手を握る。


「セス、ジョンに意識を飛ばしちゃダメだよ? セスはポンポンとどこにでも行っちゃうけど、いけない事なんだよ。今は『オフ』なの。それを意識して、必要な時だけ入るようにして。いい?」

「ああ……」

「セスは、そんなに飛んでる? 入ってる? どっか行ってる? の?」

「しょっちゅうだよー。昨日はコンサートの始まる前にトイレで流されて行くトイレットペーパーの気持ちになっていたし、前の席で泣きながら僕達に声援を送る女の子から自分を見てたし。面白いよねー」

「面白いの?」

「うん。セスを観察するのは飽きないよ」

「笑ってるノエルが怖いよ……」

「テオちゃーん。エンパスはね、生まれついた体質なの。超能力や精神疾患じゃないんだよ。僕もHSP(感覚過敏症)やアスペルガー症候群かと悩んだ時期もあったけど、違うモノなんだよ」

「体質なんだ」

「そう。さっき見せたサイトに書いてあったでしょ?『他者の感覚を受け入れるスイッチがオンになっている』ね?」


「『生まれついたモノとは限らない』とも書いてあったぞ。『幼少期の強いストレスでスイッチがオンになる』」


 セスは低い声で言った。


 ノエルはトラブルを見た。


「トラブルー、セスに専門家が見るようなサイトを見せたの? そりゃあ情報は正確な方がいいけど、ゆっくりと時間を掛けて自分を知った方がいいと思うけどな」


セスは専門知識を理解出来ます。小5のあなたとは違う。


「ん? 何?」

「あ、トラブルはセスなら専門的な方がいいって」


 テオは慌てて通訳するが、トラブルらしくない非難めいた内容は伝えなかった。


「ふーん。ま、トラブルはある意味、専門家だからね。信じるよ」

「ノエル。さっき、トラブルがエンパスじゃないの意外だって……そういう意味なの?」

「うん『幼少期』が何才ってよく分かんないんだけど、少なくともトラブルは9才までは『強いストレス』にさらされていなかったんだねー」

「ノエルは? ノエルは、さらされていたの?」

「僕は家庭が複雑だったから。それが原因かなぁなんて思っているよ。もちろん、生まれつきエンパス体質なのもあるけどね」

(第2章第238話参照)


 ノエルは髪をかき上げてセスを見た。


「そうやって考えるとさ、セスは完全な生まれつきだよね。だから自分は人と違うと悩まなかったのかなぁ」

「悩んでいたさ」

「でも、調べなかったでしょ? そこが分かんないんだよね」


 セスは下を向いて小さく言う。


「……子供の頃は、自分は宇宙人で両親の本当の子じゃないのかもと思っていた。作曲する様になって、この感受性は役に立った。デビューしてからも、クイズ番組で出題者の中に入れば簡単に答えを知れて、正解率1位で満足していた。……コントロール出来ていると思っていた。俺は、お前達に必要とされているのが心地良かったんだ」

「……1番最初に感じた感情は何?」

「母さんが困るんだよ、俺が泣くと……だから、俺は泣かなくなった」

「感情ワンネス型だね」

「離乳食が始まって、床にスプーンを落としたら、床の痛みを感じた」

「身体ワンネス型」

「4才の時、飼ってた犬の風邪の引き始めを両親に伝えたら変な顔をされた」

「身体直感型」

「婆さんの葬式の日、坊主が早く終わらせたがっていると感じた」

「感情直感型」

「学校の先生が夫婦関係に悩んでいて、奥さんの気持ちを代弁したら殴られた」

「あはっ! 知的変容型! それ、珍しいんだよ! 本当にセスは特別だよー。一番多いスピリチュアルワンネス型がないなんてね。あー、神社に行きたがっていたからあるのかなぁ? 僕が研究者だったらセスを監禁してでも調べ尽くしたいねー」


 ノエルはケラケラと笑って見せる。


「お前、本当に悪魔だな」

「何だよー。僕は唯一の理解者でしょ?」

「……ゼノ、正解だったみたいだぞ」

「え?」


 突然呼ばれたゼノは、意味が分からず思わず間抜け顔を見せる。


 その時、控え室のドアが開いてジョンがワゴンを押して戻って来た。


「お待たせー! 皆んなの分も持って来たよー! 僕って気が利く〜!」


 ジョンは褒めてもらいたい仔犬の様に皆を見る。


「ジョン……つまみ食いをしました?」

「え! 口に付いてた?」


 ジョンは袖で口を拭いた。


「ジョン、ありがとう。デザートもあるじゃん。グッジョブ!」


 ノエルに褒められて鼻をかく。


「へへへ。ノエルはパスタとステーキね。ゼノとセスは韓国料理にしたよ。テオはステーキとサラダでしょ? トラブルは、よく分かんなかったから日本食にしてみましたー!」

「すごい。ジョンもエンパスなの?」

「へ? テオ何?」

「ううん、何でもない」


 ノエルがフォークに手を伸ばす。


「食べようー。セス、セスが太らない体質なのは消耗した分を補充してないからだよ。食べよう」


 ジョンから皿を受け取り、それぞれ食事を始めた。しかし、セスは皿を見つめたままで食べようとしなかった。


「俺は今『オフ』なのか? いや、さっきジョンの動きを読めたから『オン』なのか……?」

「セス『オン』『オフ』は自分で決めていいんだよ。ハッキリとしたスイッチを持たない人もいるし、何か儀式をしないといられない人もいる。『オフ』でも、何も分からなくなるわけじゃないし『オン』でも、すべてが分かるわけではない。自分でリラックスして、神経を休めるイメージに入ればいいんだよ。ただ、いつもトラブルにグーパンチされるのも困っちゃうから、寝る前の『手を洗う』を普段からやってみると、いいよ」

「普段から?」

「そう。例えば、コンサート前とかの緊張している時って、色々な感情をキャッチしちゃうでしょ? そんな時は、手を濡らして水を振り払ってみて。余計なモノを水に溶かして振り落とすイメージで」

「水に溶かして振り落とす……」


 つぶやくセスにノエルは、驚いた顔で笑い掛けた。


「あはっ! セスは本当に同調シンクロする力が強いんだねー。僕の水のイメージだけで、やって見せるんだからー。さ、食べて。食べないと死んじゃうよ?」

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