第332話 ラーメン屋さん


「ベースメイクがなくなっています!」


 ソヨンが悲鳴を上げた。


「ごめん、遊び過ぎちゃったよ」

「遊び?」

「うん。泣いたり笑ったりね」


 ノエルがウインクをして見せる。


 ソヨンはポッと頰を赤くしながら「と、とにかく、早く着替えて下さい。メイクとヘアセットを同時進行でやります!」と、メンバー達とスタッフに指示を出す。


 慌ただしく動き出すメイクスタッフの間を縫って、ジョンがゼノに今日・明日のスケジュールを聞いた。


「今夜から明日1日、フリーですよ。明日はノエルは一時帰国で、我々は午後から埼玉のホテルに移動です」

「ノエルはいつ帰って来るの?」

「明後日です。ノエルは埼玉公演の午前中に直接会場入りですよ」

「じゃあ、ノエルは明日の夜はいないんだね」

「……ジョン。悪い事、考えています?」

「違っ! ソヨンさん達とラーメンを食べに行こうって約束したからさー。いつがいいかなぁって」

「で、僕のいない日を狙ったんだー」


 いつの間にか背後に立つノエルが、後ろから耳元でささやく。


「ノエル! 違うよ! 約束したからさ」

「ふ〜ん?」

「ソ、ソヨンさんは無理っぽいって、分かったから……」

「はい。いい子です」


 ノエルはジョンの頭をクシャッとして、自分の鏡の前に戻る。


「ジョン。明後日の夜は埼玉なので、東京の店のつもりなら今夜がいいですよ」

「そっか、ダテ・ジンに聞いておこうっと」






 トラブルはア・ユミに、ノエルの骨折の経過が良ければ訪日しないつもりであると告げた。


「そうですか、経過をみてですね。では、ホテルはキャンセルしないでおきます。あの、私から連絡が必要な時は、テオさん経由でよろしいですか?」


 トラブルは、はいと、うなずく。


「テオさんしか、トラブルさんの連絡先をご存じないのですね」


 トラブルは、自分がゼノの元カノという事になっていたと思い出した。


『メールアドレスを変えました。別れた時に』


 スマホのメモに書いて見せる。


「あー、そうですよね。では、何かあればテオさん経由でご連絡を差し上げますね」


 ア・ユミは一礼して、立ち去った。


 トラブルは、ホッと胸をで下ろす。


(セスの言う通り、これはバレるのは時間の問題だな……ノエルの骨がつながっています様に……)






 ダテ・ジンは、支度を終わらせたジョンに捕まっていた。


 2人でダテのスマホをのぞき込み、都内で個室のあるラーメン店を探す。


「たくさん、あります。ここ、いいです。観光客、たくさん来ます」

「んー、僕はガッツリ系がいいけど、女の子達はどうかなぁ」

「10人くらい、ですか? 皆さん、マネージャーさん、メイクさん、トラブル」

「ううん。トラブルとテオは、きっと来ないよ。トラブルが最後の夜だから」

「トラブル、最後?」

「そう。明日、ノエルと帰ったら戻って来ないんだってさ」

「え! 2人⁈」

「ノエルは戻って来るよ! トラブルだけ」

「どうして、ですか?」

「さあ? よく、分かんない」

「そうでしゅか……」






 開演1時間前、セクションごとにファンの入場が始まり、会場内は熱を帯びて来る。 


 開演15分前、メンバー達はスタッフに挨拶をしながら奈落に向かった。


 いつもの様にステージ下で円陣を組み、ゼノが気合を入れる。


「ケガのない様に」

「集中して」

「ケーキ分のカロリー消費!」

「何なの、テオー」

「だって、食べすぎちゃって体が重いから」

「はい、はい。カロリー消費でも何でもいいですが、私達を始めて見る方もいらっしゃる事を忘れないで下さいね。また、会いに来たいと思ってもらえるステージにしますよ」

「はい!」

「では、やり直します。ケガのない様に」

「集中して」

「楽しもう!」


 会場内が暗転して、イントロが流される。りが、ゆっくりとメンバー達を光の中に押し上げた。


 トラブルは2階席の奥、真正面からコンサートを見ていた。


(皆んな、ギャップがハンパないなー。テオ、惚れ直すー……)


 ふと右を見ると、2階席のはじでダテがこちらに向かい、手を振っていた。


 トラブルはダテに手を挙げ、そちらに向かう。


 チケット席ではない、その空席でダテはトラブルの耳元で大声で言った。


『今日、懐石料理を食べに行きませんか?』


(かいせき⁈ って確か、日本料理の……あー、今夜はー……でも、かいせき料理……)


佐瀬木させぎ先輩と3人で、予約の取れない有名店を押さえました』


(予約の取れない店! ア・ユミさんもいるならいいか……)


 トラブルは、指でOKとして見せた。


『良かった。トラブルは、お酒は飲みますか?』


 会場内の歓声でダテの声はかき消される。トラブルはドアを指差し、ダテを引っ張って通路に出た。


『トラブルは、お酒を飲みますか?』


 いいえと、首を振る。


『そうですか、美味しい日本酒も充実している店なんですけど、じゃあ飲むのは佐瀬木させぎ先輩だけですねー。よし、自分のおごりなんで遠慮なく楽しんで下さい』


 トラブルは、おーと、拍手をした。


『お店の住所を送ります。ライン交換してもらっていいですか?』


(あー……それは嫌だな)


 トラブルは少し考えて、ダテのスマホに表示された店の情報を写真に撮った。


 OKと指で示し、ハイタッチをして別れる。


 2階席に戻り、ファンと共にコンサートを鑑賞した。


 ゼノの股関節も、ノエルのギプスも異常なく、トラブルはホッとして視線をスマホに移し『かいせき料理』と、検索する。


懐石かいせき会席かいせきがあるのか……どう違うんだろう? うわー、日本料理のコースってところか……お酒が充実している店って事は『会席』かなぁ。『懐石』だったらいいなぁ)


 会場内にアンコールの声が響き渡る。


(おっと、ラストだ)


 トラブルは慌てて控え室に行き、荷物をまとめた。


 ステージ横では、アンコールを終わらせた汗だくのメンバー達がスタッフにマイクを外されていた。


 イアモニを返し、足早にメイク室に入る。


 ソヨンから温かいおしぼりを渡され、マネージャーに急がされながら着替えを済ました。


 ダテがジョンにスマホを見せた。


「ここ、予約しました、個室、15人までダイジョーブね」

「やったー! ダテ・ジンでかした! ソヨンさん、皆んな、ラーメン食べに行こうよ!」


 ジョンの誘いに、メイク女子達から歓声が上がる。


「あれ? ジョン、今日でいいの?」


 ノエルが意地の悪い顔を向ける。


「いいの! 韓国人が行きたい日本のラーメン店、第1位だよ! 行かねばって感じでしょ!」

「うわー、ジョン、期待しちゃうよー。……ダテ・ジンさんも来る?」

「いえ、用事、あります。皆さんで、楽しんで」


 テオはダテ・ジンが来ないと知り(トラブルも、一緒に行けるな……)と、思った。


(あ、でも最後の夜だし、もう少しデートっぽい方がいいのかな。いや、トラブルはラーメン好きだから、きっと喜ぶよね)


「ジョン。僕、行きたい!」

「僕も行く」


 テオとノエルが手を挙げた。


「俺は行かん」

「私も、早く寝ますよ」


 聞かれていないが声を掛けられると分かっているので、セスとゼノは自主的に答えた。


「よし、決定! シャワーを浴びて僕の部屋に集合ね!」


 ジョンが皆に聞こえる様に声を張り上げる。


「皆さーん! 急いで下さーい!」


 それ以上の声でマネージャーに急かされ、会場を後にした。

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