第527話 完全に頑張っている

 

 医師はトラブルの背中をバンバンと叩き「信じられない!」を連発した。


 トラブルにエコーの機械を渡し、停電が直るまでは、どうせ手術は出来ないので子供をてあげようと、申し出てくれた。


 しかし、トラブルは、この患者が手遅れになると、その申し出を断った。そして、懐中電灯の灯りだけでも手術をするべきだと伝える。


「いや、ただの盲腸なんだよ。緊急性はない」


(そうかなぁ? この痛み方は腹膜炎を起こしていると思うんだけど……)


『この患者を優先させて下さい。ルートがいつまで持つか分かりませんから』


 細い静脈に入っている針は詰まりやすく、使えなくなる可能性が高い。しかも衛生状態の悪いこの環境では、すぐに血管炎を引き起こし、抜かなくてはならないだろう。


 医師はうなずいた。


「君に従おう。皆んな、オペの前処置を続けてくれ。懐中電灯を集めて!」


 医師の指示にスタッフは動き出し、トラブルは腰を伸ばして、堂々とエコーを持って出て行った。






 エアコンの効いたスタジオで、代表はメンバー達を含め、大勢のスタッフの注目を浴びていた。


 咳払いを1つして、もったいぶって話し始める。


「えー、では。昨夜、ソン・シムから入った報告を伝える。えー、ジャカルタからアメリカ軍の輸送ヘリに乗り、無事にメダンに到着したそうだ。NGO(非政府組織)のキャンプではなく、病院のアパートの個室をあてがわれ、早速、病院の自家発電器の修理に駆り出された。明日は水道工事に入る予定。との事だ」


「とりあえず、無事に着いて良かった」

「病院のアパートなんて、待遇は良いみたいですね」

「電気が通ればエアコンは使えるのかしら?」

「全部、流されたんでしょー?」

「暑いだろうなー」


 ソンの部下達はもちろん、撮影スタッフやメイクスタッフ達が、ソン・シムのメールの感想を並べている時、テオは聞きたい事を言い出せないでソワソワとしていた。


(トラブル……トラブルはどうしているのか知りたいけど……ソンさんはトラブルの事は報告して来なかったのかな。聞きたいけど、皆んなの前では聞けない……)


「ちょっとー! 私のトラブルはどうしてんのよー! ソン・シムはトラブルの事は報告して来なかったの⁈ 」


 ユミちゃんは手を挙げて大声で言った。


(ユミちゃん、グッジョブ!)


 テオは心の中で親指を立てる。


 代表は意地の悪い顔をして、ユミちゃんに向けてソン・シムのメールの続きを読み上げた。


「えー、トラブルも医療班として自分と同じアパートの個室をあてがわれた。このアパートはドアに鍵とチェーンが付いており、防犯は悪くない。障害児を数名、担当している。そうだ」


(それだけ? 他には……)


 テオが手を挙げようとすると、ユミちゃんの方が早かった。


「他には? トラブルはご飯は食べているの? 危険な事はないの? 障害児を担当って、養護の先生か何かをやっているの?」


 ユミちゃんの質問に、テオは(そうだ)と、何度もうなずいた。


「知らん。書いてない」

「書いてないって、何でよ! 見せなさいよ!」


 ユミちゃんは代表からスマホを奪い取って見るが、ソンの報告はそこで終わっていた。


「何度読んだって、書いてないモノは書いてない」


 ユミちゃんは代表をにらみながらスマホを返す。


「俺をにらんだって仕方がないだろ。とりあえず、あいつは生きている」

「ソン・シムにトラブルの情報を500文字以上報告するようにって言っておいて!」

「んな事、出来るか!」

「あんた代表でしょ⁈ たまには権力を使いなさいよ!」

「無茶言うな!」


 2人のやり取りに、スタッフ達は「またか〜」と、呆れて仕事に戻って行った。


「ユミ! お前も仕事に戻れ!」

「偉そうに言わないでよね!」

「俺は偉いんだよ!」

「使えない権力者は『お飾り』って言うのよ!」

「なんだと、このヤロー!」

「野郎じゃないわよ! 失礼ね! セクハラよ!」

「お前にセクハラするヤツの顔が見てみたいわ!」

「正真正銘のセクハラ! 訴えてやるから! ケッチョンケッチョンのギッタギタにしてやる!」

「ジャイアンか! お前より優秀な弁護士を雇えるからな!」

「それ、パワハラー! 本当、最低ね!」

「ねぇ、これ最後まで聞いてなくちゃダメなの?」


 ノエルが2人を指差してゼノに言った。


「ノエル! 指を差さないでよ!」

「これとは、なんだ! これとは!」

「あ、とばっちりが来ちゃった」


 ノエルはペロリと舌を出す。


 ゼノは監督に代わり「撮影を再開してもよろしいですか?」と、聞いた。


「おお、すまん。始めてくれ。ユミ! 邪魔するなよ! 行くぞ!」

「命令しないで!」

「俺は雇い主だぞ⁈ 」

「トラブルの情報を教えてくれたら、お辞儀してあげるわよー!」

「書いてないんだから、仕方がないだろ!」

「ソン・シムに命令して!」

「お前なー……」


 2人は言い争いをしたまま、スタジオを出て行った。


「今日の夫婦めおと漫才は長かったねー」


 ジョンは手を広げて大袈裟に肩をすくめる。


「それだけ、トラブルが心配だという事ですよ。さあ、始めましょうか」


 ゼノの合図で撮影の照明が点けられる。メイク直しをしてもらいながら、ノエルはテオに微笑んだ。


「テオー、トラブルは頑張ってるみたいだね」

「う、うん。でも、もっと様子を知りたかったな……」

「友人として?」

「……意地悪」

「ごめんねー。でもさ、僕達の頑張りがトラブルの耳に届くかもしれないからさ、今まで以上に頑張んないとね」

「トラブルが元気に頑張れるように?」

「そう。だから頑張ろうね」

「うん……ノエルが意地悪言わなければ頑張れる」

「ごめんねー」

「もー、軽いなー」


 テオは口を尖らせながらも、いつもは適当に聞き流していた監督の指示をキチンと耳に入れ、分からない箇所は何度もノエルに確認して、セスに突っ込ませる隙を与えず、ジョンを可愛いと褒め続けた。


 ゼノはたまらずカメラを止めさせる。


「テオ、普段通りにお願いします」

「え! なんで⁈ 完全に頑張ってるのに!」

「完全にって……そう! それがテオらしいです」

「だから、完全でしょ⁈」

「あー、ノエル。テオ語の通訳をお願いします」


 ノエルは笑いをこらえて言う。


「テオはね『完璧』って言いたいの」

「ああー……しかし、テオがセスに突っ込まれないのも、ジョンに可愛いを連発するのもテオらしくありません」

「そうだよー! テオに可愛いなんて言われた事ないよー! 気持ち悪ーい!」


 ジョンが両手で自分を抱きしめて、身震いする。


「テオ、自然体で行きましょう。私達の番組は自分の家にいる様な日常をファンに見せる場なのです。自然体で。でも、台本からはずれ過ぎず。いいですね?」

「はい。自然体で……」


 テオは自分が頑張ると、なぜ、いけないのか今ひとつ理解に苦しんだが、それでも肩の力を抜いて、不謹慎にならない程度にファンの笑顔を意識して撮影にのぞんだ。


 トラブルを想うと『友人』という言葉が重くのし掛かり、胸が締め付けられるが、友情も愛情も相手に好意があるのは同じだと、自分を無理やり納得させた。


(あと、12日……)






 汗ばむほど蒸し暑い部屋で、スハルトの腹部にエコーをあてながらトラブルは画面をにらんでいた。

 

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