第95話 家の中へ


 長い間、閉め切られていたドアは恐ろしい音を立てて開いた。


 ドアの上から木クズと埃が降ってくる。


 すべての窓のブラインドは閉められ、室内は昼間にもかかわらず真っ暗だった。


 ドア横のスイッチを押すが電気が点くわけがない。


 しばらく目が慣れるのを待って、一歩入る。


 軋む音はするが意外にも床は腐っていないようだ。


 1階はがらんとした板の間で奥に彼の仕事場がある。


 窓のブラインドを開けながら奥へ進む。


 作業台も棚も元の色が分からないほど埃を被っている。一歩進むたび、家具たちの視線を浴びているように感じた。


 まるで侵入者を見るような。


 その視線と舞い上がる埃に息が苦しくなってきた。


 抵抗する窓を力づくで開ける。


 家が大きく深呼吸したように風が入って来た。その瞬間、トラブルは侵入者ではなくなった。


 彼の仕事場にはカメラが所狭しと置かれている。


 パク・ユンホ宅のような暗室はない。レンズやメンテナンス道具の隙間に、古いパソコンとプリンター、スキャナが座っている。壁にはカメラバッグと三脚が何本も掛けられていた。


 反対側の壁に一枚の写真が飾られていた。その写真の埃をふーっと息で払う。


 女性の後ろ姿で、緩やかなウエーブのかかった長い髪が風にそよいでいる。


 大きな花柄をあしらった白いワンピースの裾がひらひらと波打っていた。


 その絵画のような写真を彼は1番気に入っていた。


 しばらく眺めたあと、階段へ向かう。


 2階へ、それこそホラー映画のワンシーンのようにゆっくりと上がって行く。


 2階は居住スペースだった。リビングに顔が出る。


 階段上に小さな靴箱があり、大きなブーツと小さなスニーカーがちようとしていた。


 あまり使われず飾りになっていた、お揃いのスリッパも色を失っている。


 部屋を回りながらブラインドを開けて行く。


 ソファーとテレビの乗っていないテレビ台。


 キッチンの窓際に小さなテーブルとイスが二脚。奥にダブルベッド。その横に医学書が並ぶ本棚。さらに奥にクローゼット。バスルームには猫足の深めのバスタブ。


 すべて、彼と揃えた。


 この階段ではベッドマットが入らず、窓を外してロープを使って上げた。


 壁も床も天井も彼と色を塗った。


 外壁の色でケンカした。彼は空色を譲らなかった。深めのバスタブは私が譲らなかった。


 2人ともテレビは見なかったし、仕事と食事以外は、いつもベッドの中にいた。


 ベッドの中で彼はよく「もっと脱げ」と、言った。


 これ以上脱ぐものはないと言っても「もっと、もっと脱げ」と、私を愛した。


 あの日……そうだ、あの日は朝、彼の方が先に家を出て私が鍵を閉めた。で、ポケットに入れて、そのままになっていたはず。血まみれの服は警察の証拠品として返してもらえなかった。


 ポケットの鍵は誰が保管していたんだ?


 身元引受人だったイ・ヘギョンか? それともイム・ユンジュ医師か?


 精神科を退院した時、私の持ち物は病院が用意した黒いジャージのみだった。やはり、イ・ヘギョンがパク・ユンホに渡したと考えるのが自然か。


 しかし、一年以上も隠して保管していたのか?


 パクは何故、何も知らせずに逝ってしまったのだろう。何故、私は何も聞かなかったのだろう。


 もっと話をすれば良かった……。


 私、今、パク・ユンホの死を悲しんでいる。


 彼ではなくて?


 彼の死を思い出すと寂しいけれど晴々としている。


 彼の死は、真っ黒で重い水晶玉の中で黒いものがうごめいていて私を押し潰そうとしていたのに、今は、それほど重くはない。むしろ、その水晶玉と共に生きていこうとさえ思える。


 これが時間が解決するという事なのか?


 さあ、計画を実行に移そう。まずは、電気・ガス・水道の開通だ。


 2ヶ月後を目指して。

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