第362話 危機一髪


 古びたアパートの前で、トラブルはバイクに寄り掛かりながらチョ・ガンジンと女が現れるのを待った。


(まだ、時間が早いからな……どこかで食事をしてくるか、女の家に行くか……女の家に行かれたら朝まで帰って来ない可能性も……えー、朝まで見張るのは嫌だー! こういう場合の基本は何だよ⁈)


 代表に現状の報告をメールでしておく。


(1時間待てばイイかな……いや、食事をして来たら2時間か。待てよ、酒場に入ったら3時間じゃ済まない! うわー!)


 一瞬、見なかった事にしようかなと気の迷いが生じる。


(仕方がない、2時間。2時間だけ待つとしよう)


 トラブルは、腹をくくってコンビニで買った栄養補助スナックを食べる。


 バス停の方角を気にするが、チョ・ガンジンの姿は一向に現れなかった。


(やはり、どこかに寄っているな……もうすぐ10時か。帰りたい……)


 チョ・ガンジンのアパートの前は人通りもなく、外灯は所々消えており、トラブルは闇に紛れる事が出来た。


(早く帰って来い。待っていると時間の流れが遅い。今夜は星が見えないな……)


 夜空を見るトラブルの耳に、男女の話し声が聞こえて来た。


 バス停の方角から、腕を組んだカップルが笑いながら近づいて来る。


(チョ・ガンジンと女だ!)


 トラブルは闇の中でスマホのカメラを構える。と、突然、スマホがブルブルと唸り声を上げた。


(テオ! こんな時に! ごめん!)


 トラブルはテオからのビデオ通話の着信を切った。


(後で、謝らないと……)


 チョ・ガンジンと女の笑い声が大きくなる。しかし、まだ、会話は聞き取る事が出来ない。


(遠いし暗いな。次の外灯の中に2人が入ったらシャッターチャンスだ……)


 再び、トラブルのスマホが震える。トラブルは慌てて拒否を押した。


(テオ……あれ、違う。代表から電話だった……何だろ? でも、奴が近づいて来る! 今は折り返し出来ません!)


 また、テオから着信が入った。トラブルはすぐに拒否をする。


(今、忙しいから……あれ? あの2人、どこに行った?)


 チョ・ガンジンと女は、壊れて消えた外灯の下で抱き合っていた。


(家まで待てんのかっ。写るかなぁ……)


 代表から電話が入る。拒否を押す。


(何だよっ! 今、出たらバレちゃうでしょ! もー、私に電話ってどういう事だよ)


 テオからビデオ通話の着信が入る。それも拒否を押す。


(ごめん、テオ。泣かないでねー……)


 チョ・ガンジン達は熱い抱擁をめないでいた。


(おえっ、ここでヤル気かっ! もう少し、近づいて来て欲しいなぁ)


 トラブルはスマホを構える。すると、今度は代表からメールが入った。


(何なの、これよりも緊急事態って事⁈)


 2人の位置を確認して、メールを開いて見る。


『奴の家は近づくと門灯が道路を照らす。隠れる場所がなくなるぞ。逃げろ』


(なに! ヤバっ!)


 トラブルが2人を見ると、チョ・ガンジンと女は1番近くの外灯まで迫って来ていた。


(顔が見えるのに……残念。仕方がない)


 トラブルは2人に背を向けて反対方向に進む。すると、再び、スマホがうなった。


(テオ!)


 トラブルは体で画面の光をさえぎりながら、拒否を押した。


「ねぇ、何か聞こえなかった?」


 女はチョ・ガンジンに甘えた声で聞く。


「あ? いいや、聞こえなかったが……あんな所にオートバイなんてあったか? 見覚えが……」

「ご近所さんのじゃないの? それよりも、早くー」

「おお……鍵を開けるから待てって」


 玄関の閉まる音がして、2人の声は聞こえなくなった。


 トラブルは暗闇から姿を現す。


(危なかった……バイクを見られてしまったな。大失敗だ)


 エンジン音で気付かれない位置までバイクを押して歩き、代表にメールを打つ。


『女の写真は1枚しか撮れませんでした。情報、どうも』






 執務室で代表は胸を撫で下ろしていた。


「何が、どうもだ。下調べもせずにバカが」






 日本のホテルではテオがノエルの部屋をノックしていた。


「テオ、どうしたの? もう、寝ようとしていたのに」

「トラブルに拒否きょひられたー」

「えー? 既読無視なんて、いつもの事じゃん」

「違うよー。電話したら拒否られたー」

「トラブルと電話してんの?」

「違うよー。ビデオ通話してんの」

「で、それが切られちゃったの? もう一度、掛けてみれば?」

「違うよー。もう3回も拒否られたー」


 テオはノエルの部屋にズカズカと入った。


「……テオ。僕、眠いんだけど」

「何で、そんな事言うんだよー! 3回だよ⁈ 3回連続でブチっと拒否られたんだよ⁈」

「もー、何か事情があるんだから、明日、もう一度掛けてみればイイじゃん」

「その事情って何? 昨日は、僕が子守唄歌ってあげて、スヤスヤぐっすり寝たんだよ⁈」

「だからー、急患とかー……急患とか、急患だよ」

「本気で考えてよ! こんな事、始めてなんだよー! お風呂で出ないとかなら分かるよ⁈ でも、ブチっと切るなんて! 3回も!」

「出られないから切ったんでしょ? なら、待つしかないじゃん?」


 ノエルはベッドに座り、髪をかき上げてテオを見る。


 テオは口角を下げた。


「危険な目にっているのかも」

「じゃあ、代表に電話してみれば? トラブルを探してくれって。大丈夫だと思うけどね」

「本当に大丈夫だと思う?」

「うん、思う」

「何で言い切れるのさ」

「セスが代表が付いているから問題ないって言ってたじゃん。だから、大丈夫だよ」

「う、うん。そうだけど……」

「もう……どうせ、気になって寝られなくなるでしょ? 今すぐ代表に確認してみな」

「うん……でも、出られない状況に代表も一緒にいたら、代表も出られない……というか、迷惑だよね……」


(テオ。トラブルが夜中に代表といるって事は、問題じゃないのね)


「そうだねぇ。尾行中とか? 空気読めよって感じになっていたら嫌だねぇ」

「ううう……どうしたらイイの……」


 ノエルは半泣きのテオを見て、ため息をく。


「ほら、テオ、おいで。一緒に寝よう。今夜は僕が子守唄を歌ってあげるよ」


 ノエルはベッドに入り、布団をめくる。ベッドをポンポンと叩いて幼馴染を誘った。


「うん。ノエル、ごめんね」


 テオはノエルに誘われるままベッドに入る。


「僕の右手を踏まないでね」

「うん、気を付ける」

「なんの歌を歌って欲しい?」

「えーと、オススメコースメドレーでお願いします」

「メドレーって! 僕、眠いのにー」

「んふふ、僕も眠いから渾身こんしんの1曲をお願いします」

「子守唄に渾身こんしんの1曲ってある⁈」

「うん、ある」

「もー。1曲だけだよー」


 ノエルは子供の頃、保育園の昼寝の時間にテオと聞いた童謡を歌った。


「懐かしい……ノエル、ありがと」


 テオは、すぐに口を開けて眠りに落ちて行った。

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