第300話 良い子は絶対にマネしないでね


 トラブルは(えーと、日本語で何て言うんだっけ……?)と、考えた後、メモを書いて見せた。


『絶縁手袋なので大丈夫です』

『絶縁? 姉ちゃん、電気屋か? いや、ショートさせたら会場全体が落ちるぞ』


(そんな、ドジは踏みませんよ……たぶん)


 トラブルは、お構いなしにニッパーで被覆ひふくをカットして行く。


『おい、やめろ! そんな薄い手袋で!』


(医療用だから大丈夫ですよー。ん? この手袋、何ボルトまでだったっけ?……ま、いいか)


『おい、やめろって!』


(うるさいな。お、導線にも被覆剤ひふくざいが塗ってある。さすが、日本製)


『おい! 死ぬぞ!』


(今、手が離せないから……黙っててっ、とっ!)


 トラブルはき出しの導線を素早く1つにねじり上げた。


 モーターが低い音を立てて動き出す。


『通電が開始されました!』


 テオのりは、数センチ上がり、そして元の位置に下がって止まった。


 トラブルは立ち上がり、日本人スタッフと笑顔を交わす。しかし、本当に動くまでは原因を取りのぞけたか分からない。


『もうすぐ、トークタイムです』


 奈落ならくの下から息を飲んでりを見守る。


 舞台装置スタッフにインカムでキューが伝えられた。


 スタッフがボタンを押すと、5台のりはゆっくりとそろって上がり、所定の高さで止まった。


 細い光の差し込む天井に影が動く。


 メンバー達の声が聞こえて来た。


(すぐ、そこにテオがいる……下から見上げているなんて不思議……)


『成功です!』

『やった!』


 手放しで喜び合う若いスタッフの横で、中年の、いや、ベテランのスタッフは首を振った。


『……姉ちゃん、俺は気に入らねー。こんな、やり方は若いもんには教えられねぇ。だか、助かった……ありがとな』


 スタッフが差し出す手と硬く握手を交わす。 


 トラブルはペコッと頭を下げて、奈落ならくを後にした。


 控え室に向かう途中、急に眩暈めまいに襲われた。


(調子に乗って動きすぎた……)


 壁に手を付きながら、何とか足を動かす。


(ダメだ。どこか、近くに……)


 早く横になれと、視界が砂嵐の様に暗くなって来た。


 その時『トラブルさん!』と、ダテ・ジンが肩をつかんだ。


『大丈夫ですか! 貧血ですか⁈』


 トラブルはうなずきなから、目に付いたメイク室を指差す。


『メイク室に行くんですね? つかまって下さい』


 ダテはトラブルに肩を貸し、メイク室の長椅子に寝かせた。


 トラブルは腰の工具ベルトを外して床に投げ捨て、膝を立てる。


 血液が頭に戻って来る感覚がした。


『大丈夫ですか? 誰か呼んで来ましょうか?』


 トラブルは、いいえと、首を横に振り、ズボンのポケットからスマホを取り出そうとする。


っ! 忘れてた……)


 顔をしかめて、モーターで切った人差し指を口に入れる。


『ケガをしたのですか?』


 トラブルはスマホにメモを書き、ダテに見せた。


『リュックですか? どこにありますか?』


 ダテの言葉にトラブルはリュックをステージ袖に置いて来たと思い出した。


『ステージ袖? 上手かみてですか? 下手しもてですか?』


(えっと、ゼノに腰椎ベルトを巻いたのはー……)


 回らない頭で、なんとか思い出す。


『はい、上手かみてですね。すぐに取って来ます』


 ダテは走ってメイク室を出て行った。


 トラブルは額に手をやって、眩暈めまいが治まるのを待つ。






 ダテは、ステージ上手かみてでトラブルのリュックを探した。


『確か、黒だったような…… 暗いから分かんないよー。どこだろう……」


 ダテが目を凝らしながらリュックを探していると、ラストの新曲を終わらせたメンバー達が戻って来た。


 メンバー達は一斉に衣装を脱ぎ、汗を拭いて、そろいのTシャツを着る。


 ジョンがダテに気が付いた。


「ダテ・ジン! どうしたの?」

「あ、あの、トラブルさんのリュック、探す」

「トラブルのリュック? なんで? トラブルに頼まれたの?」

「はい、テオさん、トラブルさん、メイク室、頭……えー……」


 眩暈めまいの単語が出て来ないダテは、大袈裟おおげさに頭を押さえて倒れる仕草をして見せた。


「え! トラブル、倒れたの⁈ 今、どこにいるの⁈」

「メイク室、です。ケガ、した」

「ケガ⁈」

「あ、大丈夫、トラブルさん、言いました」


 テオは走り出したい衝動を唇を噛んでおさえた。


 ファンから、途切れないアンコールの掛け声が聞こえる。


「……ダテさん。僕は今からアンコールだから、トラブルを頼みます。救急車が必要かはトラブルが決めるから。……ホテルまで送ってあげて」

「分かりました」


 ダテは機材の間にトラブルのリュックを見つけ、走って行った。


「……テオ、よく我慢しましたね」


 ゼノはテオの肩を抱く。


「うん、僕は僕の仕事をするって約束したから……」


『スタンバイ! 3、2、はい、出て!』


 メンバー達は最後の力を振り絞り、笑顔でファンの声援に応える。


 ノエルは自分のパートを歌う事が出来なかった。


 感極かんきわまって涙で震えるノエルの声をマイクが拾う。


「ごめん、ごめんね……」


 テオは驚いてノエルの元に走る。マイクを切って幼馴染を抱きしめた。


 悲鳴に似た歓声を浴びながら頬の涙を指で拭く。


「どうしたんだよー、ノエルー」

「だって、僕、踊れなくて……申し訳なくて……皆んな、ごめん」


 ゼノ達も集まり、全員でハグをする。


 セスが涙に暮れるノエルを引き寄せ「それ、計算だったら地獄に堕ちるぞ」と、ハグをして耳元で言った。


「その発言が地獄行きだよね?」


 ノエルはあたかも、ありがとうと言っている様に目を細め、口を最小限に動かして言い返す。


「こら。やめなさい、2人とも」


 ゼノは、そう言いながら笑顔を崩さないで、ファンに手を振った。

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