第301話 場違いな高級ホテル


 日本公演初日はノエルの涙もあり、大成功で終了した。


 メンバー達は余韻に浸る間もなくマイクを外され、足早に控え室に戻り、衣装の上から上着を羽織る。


「ほら、早く」


 マネージャーにかされ、テオはメイク室をのぞくヒマがなかった。しかし、デザートが減っているのを見て、ホッと胸を撫で下ろす。


(ずいぶん、たくさん食べたんだ)


 荷物を持ち、ホテルに向かう移動車に乗り込む。


 会場に入れなかったファンに取り囲まれながら、何とか車は走り出した。






『何だ? あの、バイク……』


 しばらくすると、日本人運転手はバックミラーを見ながら眉間にシワを寄せた。


 バイクはメンバー達の車の真横で並走する。


「何でしょうね……パパラッチか……まさか、日本で銃撃を受けるとは思えませんが」


 マネージャーは謎のバイクを警戒した。


 不審なライダーはヘルメットのバイザーを上げ、顔を見せた。


「トラブル!」


 テオが叫ぶ。


「ええ! 本当だ、トラブルだよ!」


 ジョンは車の窓を開けて、手を振った。


 トラブルもヘルメットの中で笑顔を作り、手を振り返す。


「トラブルー! バイク持って来たのー?」


 ジョンが叫び、後ろでセスが「バカかっ」とツッコむ。


 トラブルは、指で幾つかの形を作った後、バイザーをげ、スピードを上げてメンバー達を追い抜いて行った。


「何? トラブルは何て言ったの?」


 ジョンはテオを見る。


「分かんないよ」

「ホテルで、だと。指文字だ」


 セスが答えた。


「バイク、レンタルしてたんだ……」


 何も知らされていなかったテオは小さくつぶやく。


「ねぇ、ジョン。東京でバイクなんてアニメみたいじゃない?」

「うん、ノエルも思った? カッコイイよねー!」


 メンバー達の数台前を先行していたア・ユミとダテ・ジンの乗る車の横でも、トラブルはバイザーを上げて挨拶をした。


『あ! 先輩、トラブルさんですよ!』

『え? 本当? え! トラブルさん! オートバイ用意していたの⁈』

『成田を出た時も、颯爽さっそうと素敵でしたー』

『……伊達くん、惚れっぽいんだから気を付けてよ』

『先輩! 公私混同はしませんよー』

『本当かしら? ……セスさんに食事に誘われたら?』

『全身脱毛して行きます〜』

『気持ち悪いわっ!』





 トラブルは、スタッフの車の間を走り抜けて行く。


 信号待ちで標識を見上げると《新宿》の文字が見えた。


(新宿……あっちが新宿……)


 トラブルは新宿にハンドルを切るか迷う。しかし、思い直して真っ直ぐホテルにバイクを向けた。


(ゼノの足をなくては。それと、セス対策……)


  



 ホテルに到着すると、正面玄関にバイクを停車させる。


 駐車係が来るのを待つ間、リュックから宿泊予約の用紙を取り出しておいた。


 駐車係が走って来た。


 トラブルの宿泊予約を確認して、地下駐車場に行けと指示を出す。


 トラブルは誘導に従い、地下に降りて行った。


 地下駐車場のゲートで係員に再び確認され、駐車券と番号を渡される。その番号に停めろと書いてあった。


 指定された場所はオートバイ専用などではなく、普通車を停めるスペースと同じだった。


(こんな広い所に停めていいの? さすが、高級ホテル……)


 トラブルはバイクを降り、ヘルメットを抱えて、エレベーターでロビーに上がった。


 ロビーは日本を意識した装飾に囲まれ、目を凝らさないと見えないほど高い天井にトラブルの口は自然と開く。


 パク・ユンホのアシスタントとして世界中を回ったが、この高級ホテルの洗練された雰囲気は群を抜いていた。


(すごいなぁ。完全にアウェーだ)


 トラブルは周りを見回す。


 当然、ヘルメットを持ってリュックを背負い、薄汚いブーツで歩いている客はいない。


 トラブルは自分が目立っていると意識しながらフロントに立った。


 フロントマンは、明らかに不審者のトラブルに、そうとは、おくびにも出さず対応した。


 宿泊予約と駐車券、パスポートを差し出す。


 パスポートを見たフロントマンの眉毛が、一瞬上がった。


『どうぞ、こちらへ』と、コンシェルジュのデスクに案内される。


『お掛けになって、お待ち下さい』


 トラブルは、言われるがままに椅子に座って待った。


『お待たせ致しました。支配人の山田と申します。ミン様、日本語がご堪能とうかがっておりますが、英語、もしくは韓国語の方がよろしいでしょうか?』


 トラブルは首を振り、デスクのメモに『日本語で』と、書く。  


左様さようで御座いますか、では、日本語で当ホテルの御説明をさせて頂きます』


(さようって何だ⁈ いや、早く部屋に入りたいなー……)


 トラブルはメモで『部屋の案内書を読むので結構です』と、書いた。


『あ、左様さようで御座いますか。それでは、早速、お部屋に御案内致します。お荷物をお預かり致します』


(お荷物? え? このリュック?)


 支配人の合図で、ポーターがカートを引いて来た。


『お預かり致します』


 うやうやしくポーターが差し出す手に、トラブルは自分の汚いリュックを渡した。


『そちらも』と、ポーターは腰を曲げたままヘルメットを指す。


(マジか……)


 金色の大きなカートに、くたびれた黒いリュックとバイクのヘルメットだけを乗せて、ポーターはスタスタとカートを押す。


 その後ろに、ビシッとスーツ姿が決まっている支配人と、舞台裏でいつくばり、いつも以上によれよれのトラブルが付いて行く。


 支配人はエレベーターに乗り込むと、鍵を取り出して専用運転に切り替えた。


《エグゼクティブスイート》と、書かれた階でエレベーターを降りる。


 トラブルは、また自分がテオと誤解されているのではと不安になった。


(でも、日本語を理解しているという情報は自分で間違いない。日本の高級ホテルは支配人が部屋に案内するのか? エグゼクティブスイートだから?)


 支配人は部屋の前に到着すると『こちらで御座います』と、もったいぶってドアを開けた。


 その部屋は、無駄な装飾が一切なく、日本的で落ち着いた作りになっていた。


(うわ、素敵……)


 ポーターが『お荷物はどちらに?』と、聞く。トラブルは、自分でリュックとヘルメットを持ち、ありがとうと、口パクで言った。


 部屋の隅には、いつもの大きなカメラバッグが、リュック以上に居心地が悪そうにしていた。


 支配人は『こちらは、ウエルカムドリンクで御座います』と、洒落たカゴに入ったシャンパンをテービルの上に置いた。


『お部屋の設備について御説明差し上げますか?』


 トラブルは、いいえと、首を振る。


左様さようで御座いますか。では、本日は当ホテルを御選び頂き誠にありがとう御座います。ごゆっくり、おくつろぎ下さい』


 支配人は深々と頭を下げて部屋を出て行った。


 トラブルはブーツを脱ぎ捨て、窓から外を見る。


 東京の夜景はソウルのそれとは比べものにならない位、素晴らしかった。


(代表、奮発したなー。テオ達はいつも、こういう所に泊まっているのか?)


 部屋を見て周り、ドサっとベッドに横になり、ホテルの案内を読む。


(あ、日本食のレストランがある。行きたいな……)


 清潔なベッドは、眠りを誘う。


(ダメだ。シャワーを浴びてセス対策を考えなくちゃ……)


 トラブルはバスルームに向かった。


(わー、深いバスタブ。嬉しい……お風呂に入ろう)


 浴槽に湯をめながら、埃っぽい服を脱いだ。


 たっぷりのお湯に浸かり、うーんと、手足を伸ばすトラブルは、ベッド横の壁のドアに気付いていなかった。

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