第239話 熱狂的ファンの痕跡


 テオはトラブルの気持ちを確認するように、強く抱きしめる。


 トラブルの手の震えは止まっていた。


 2人が抱き合っていると医務室のドアがノックされた。


 慌てて体を離し、トラブルはロールカーテンの隙間から廊下を見る。


 そこには、代表が立っていた。


 トラブルはそでで口をぬぐい、ドアを開けた。


「話は終わったか?」


 代表は遠慮する様子もなく、ドサッとソファーに座り「話し合いの結果は?」と、足を組む。


「えっと、トラブルは日本に同行してノエルのコンディション管理をします。僕は自分の仕事をします」


「ふーん……」


 代表はテオの顔を真正面から見据みすえた。


「ハイリスクだぞ。うちのスタッフは、お前らがトラブルになついているのに見慣れているが、日本人スタッフは、そうではない。少しでも疑いの目を向けられれば、そく、スキャンダルだ」

「はい、それは分かっています」

「もし、騒ぎになれば……こいつは帰国させないからな」

「なっ、なぜですか⁈」

「前にも話したはずだ。こいつの過去が明るみになる事は許さん。こっちでは週刊誌のモザイクの顔だけが報道される様にする。いいか、マスコミに追い回されるのはお前だけだ。あと、もう一つ面倒な事がある。パスポートだ」

「トラブルの赤いパスポート……」

(第2章第171話参照)


「そうだ。公人こうじんは出入国審査が別ルートだ。何か手を考えるが、そこをクリア出来なければ、行く事は出来ない。ま、何とかなるとは思うが……」


 言葉を濁した代表は咳払いをする。


「ノエルの骨折は正式に発表した。今回のツアーに参加するのかしないのか、ネット上で賭けが始まっている。後戻りは出来ないぞ」

「それは、僕もトラブルも覚悟は出来ています」

「ふんっ、分かった。ノエルの付き添い看護師か……うーん、もう少し、説得力が欲しいな……」


 代表はテオの顔を見ながら、独り言をつぶやく。


「説得力?」

「いや。テオ、休憩は終わりだ。収録に戻れ」

「は、はい」


 テオは、一言も発しなかったトラブルを見る。


 トラブルはけわしい顔で、床を見ていた。


「じゃあね……」


 笑顔を向けるテオに、トラブルは返事をしなかった。


 テオは1人、医務室を出る。


 ガラス越しにトラブルを振り返り見ると、トラブルは代表の手に、赤いパスポートを渡していた。





 トボトボとメンバーの控え室に入る。


 ゼノはテオの姿を見ても、すぐには聞き出そうとしなかった。


 それどころか、頭の中で話をまとめているテオの思考を止める様に「これを見て下さい」と、スマホのニュース速報を見せる。


『K-POPアイドルグループの1人、ノエルの入院する病院に熱狂的ファンが侵入か⁈ 医師になりすまし、電子カルテを閲覧えつらん痕跡こんせきが』


「嘘⁈ 僕達のファンは……少なくとも、ノエルのファンは、こんな事しないよ!」


 テオは、スマホから目を離さずにゼノに言う。


「私も、そう思いますがノエルの骨折がさらに話題を集めています。トラブルとの話し合いは、どうなりましたか?」


「トラブルは……」


 テオは、トラブルが代表に赤いパスポートを渡す光景を思い出した。


(リュックの中から、こう、パスポートを取り出して……リュックの中に白衣が見えた……丸めて、ぐちゃぐちゃで……慌てて入れたみたいに。医師になりすましって、まさか……)


 テオはゼノにスマホを返すが、その手は震え、顔から血の気が引いて行く。


「テオ、大丈夫ですか?」


 ゼノの声に我に返ったテオはソファーに座る。


 セスが、すかさずテオに聞いた。


「お前、何を聞いて、何に気が付いた?」


 テオは、ハッと顔を上げる。


「あ、ううん……トラブルはノエルのお見舞いに行ったんだって。で、お母さんに会って、ノエルをお願いって頼まれて、で、仕事をやりげたいから日本に行くの決めたって。ノエルに自分の為に我慢して欲しくないって。代表が来て、トラブルの赤いパスポートは、どうにかするって言ってた。日本行きを発表したら後戻りは出来ないって、僕達は覚悟を決めたんだ」


 そうですかと、ゼノはテオの肩を抱いた。


「では、トラブルとノエルのツアー参加は決定ですね」

「うん。あのさ、パスポートっていつも持っているもの? トラブルが代表に渡していたから……」

「家に1度、帰ったのでは?」

「そうかな……」


 セスが「そうじゃない」と、話に入って来た。


公人こうじんは常にパスポートの携帯が義務づけられているんだ。有事ゆうじの際に対応する為にな」

有事ゆうじって戦争⁈」

「だけじゃない。外国で俺達が災害やテロに巻き込まれても、あいつだけは政府に保護されるって事だ。で? ノエルの骨折が2本って知っていた理由は?」

「セスも気付いていたんだ……お見舞いに行ったからだよ。たぶん……」

「たぶん? 確認してないのか? あいつがこの熱狂的ファンの可能性もあるのか?」


 ゼノは呆れてセスを見る。


「セス、それは飛躍し過ぎですよ。ノエルから聞いた方が自然です。知り合いなのに医師になりすます必要がないですよ」

「うん……ゼノ、僕もそう思いたい……」

「テオまで!トラブルはノエルのお母さんにも会ったのでしょう? 医師として会っていたら、さすがに違うと、その場で騒ぎになっていますよ」

「そ、そうだよね……」


 テオは力なくうなずく。


 しかし、セスは食い下がった。


「ノエルが、あいだを取り持っていたら? 白衣のあいつとバッタリ出くわして咄嗟とっさに『先生』と紹介したら母親は信じるし、ノエルをお願いしますって言葉も不自然じゃなくなるだろ?」

「そう……だね」

「テオ、トラブルを疑うのですか⁈」

「……僕、もう一度、トラブルと話して来るよ」


 テオは「あまり遅くならないように」と、言うゼノの声を背中で聞いて、返事もせずに控え室を出て行った。






 一方、医務室では代表が、こぶしを怒りに震わせていた。


「バカ野郎!」


 大声が廊下に響き渡る。

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