第494話 私達は正反対


「もしもし、ハニ〜? 着信に気付かなくて……いや! 電源は切っていないよ〜。あー、地下に! 地下のラーメン屋にいたからさー……いや、いや、1人ですよ。はい、今から帰ります。はい、はい、はいー……」


 代表はスマホに話し掛けながら、トラブルに手を挙げて、肩で玄関を押して出て行った。  


 代表の高級車は急発進で砂利道を登り、ブレーキ音をさせながら幹線道路に消える。


 残されたトラブルは、玄関の鍵を掛けながら(ハニー? 相変わらず奥さんに頭が上がらないのか)と、呆れて肩をすくめた。


(あー、疲れたなぁ。シャワー浴びて早く寝よっと)


 早々にシャワーを終わらせたトラブルは、ラーメンの丼は明日の朝、洗う事にして、ベッドに入りテオからの着信がないか確認をした。しかし、着信は入っていなかった。


(テオ、怒っているのかな……まだ、着陸してないか。ホテルに着いた頃にラインを入れて……謝る? うん、謝るべきだよね。話し合いを放棄して飛び出してしまったのだから。でも、話し合いで解決出来るのだろうか? 私達の温度差は縮まらない気がする……)


 その夜、トラブルは悪夢ではない夢を見た。


 場所も時期も分からないが、誰かに褒められて笑う自分がいる。


 手を挙げて答えれば『当たり』と、拍手され、走れば『頑張った』と、両手を広げて受け止めてもらえる。


 微笑むだけで『いい子』と、頭を撫でられて、自分は愛されていると実感する。


 その愛を少しでも返そうとすると『なんて優しい子だ』と、感動され、自分は愛される価値のある人間なんだと心から嬉しくなる。


(あー、幸せだなぁ……)


 たくさんの人に温かく見守られ、笑顔を向けられ、明るい未来に向かって、ただ、足を進めるだけで良い人生。


(ありがとう。皆んな、ありがとう……母さん、あのね……)


 手を繋ぎ、自分に小さな歩みに合わせてゆっくりと歩く女性を見上げる。


(ねぇ、母さん。僕ね……母さん? 僕? 私に母さんなんていたっけ……?)


 女性は歩みを止め、腰を下ろして『僕』に視線を合わせた。


 その目は、包み込む様な優しさと、『僕』を正しい道に導いているという自信に溢れている。


(ああ、この人は信頼できる……ねぇ、あのね……)

(なぁに?)

(あのね、ぼ……私ね、幸せなの)

(まあ、この子ったら。母さんも幸せよ)

(本当? それが1番嬉しいな……)

(優しい子ね。母さんの子供に生まれて来てくれて、ありがとうね)

(うん! 母さんの子に生まれたかったんだ! 神様にお願いしたんだよ。母さんの子に生まれます様にって)

(願いが叶ったのね。素敵ね)

(うん、僕、神様に何度もお願いしたから!)

(さすが、太陽の子ね)

(うん!……え? 今、なんて……)

(太陽の子よ。あなたは太陽の子なの)

(太陽の子って……)

(あなたの事よ。テオ……)


 微笑む母の瞳の中に自分の姿が映る。それは幼い面影を残す、テオの姿だった。


 母は突然、大きく目を見開く。目に映るテオは、驚いた顔をしていたが、1度瞬きをするとニヤリと笑い『私』を見た。


 母の目をはさんで、茫然ぼうぜんとする『私』とさげすんだ目で笑う『僕』は対峙たいじする。


 『僕』は……テオの顔をした『それ』は、口を動かした。


(お前が愛されるはずがないだろ? 愛されるべきは僕だけだ。幸せは僕に降り掛かるんだ。万人ばんにんに愛される為には、僕みたいな考え方をしなくちゃならないのに、お前は拒否しただろ? なんで、そんなにひねくれているんだ。ほら、お前の幸せの最後の1滴が逃げて行った。幸せにも見放されて……残念な奴)


 女性は立ち上がり、背を向けて歩き出す。その手に握られているのは『私』ではなく『僕』の手だった。2人は微笑み合いながら光に向かって進んで行く。


(待って! 私もいるの。ここにいるの)


 2人を追って行こうとしても、光は強い向かい風の様に『私』を押し返す。 


(お願い、私の手も……)


『僕』は振り向き、手を差し伸べた。


(ああ、ありがとう……)


 『私』は、その手を取ろうとするが、まるで磁石が反発する様につかむ事が出来ない。


(あれ、おかしいな。もう少し……)

(君には無理だね。さようなら)

(待って! きっとつかめるから! 置いて行かないで!……お願い、1人にしないで。1人は嫌なの……お願い……)






 トラブルは天井に手を伸ばしたまま目が覚めた。


(夢……テオの……ううん、テオはあんな、ひどい事は言わない。今のは私の勝手な夢……でも、テオは常に愛されて幸せを感じながら大人になったんだろうな。何をしても褒められて大事にされて……私とは正反対。太陽の子の手をつかめなかった。きっと、現実でも……)


 時計は午前3時を指していた。


(オーストラリアは、午前4時か。寝てるよね。連絡しそこねちゃった……)


 トラブルのまぶたは、自然と落ちてくる。


 眠りに付きながらテオと自分の境遇の違いを今更ながら思い知り、心が重く感じた。


(でも、私達は大丈夫。テオなら大丈夫……)


 そう言い聞かせながら眠りについた。

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