第456話 リクープ


 テオは朝起きるとすぐにビデオ通話をして、眠りに付くトラブルに子守唄を届け続けた。


 一方のユミちゃんは時差を考えずに、思い付いた時にトラブルにラインを送っていた。


 トラブルはノエルの手をる為に、ユミちゃんのラインを速やかにチェックする様にしていたが、正直、寝入りや明け方の連絡には疲弊ひへいしていた。


 長い愛の言葉の間に、ノエルやメンバー達の体調の話が入り混じり、全文を読まなくてはならない。


(毎日、よくこんなに話す事があるもんだ……)


 朝からどれほどトラブルを想っていたか。何を見てトラブルを思い出したか。いや、忘れていたわけではない。しかし、似た人を見ると寂しい。美味しいものを食べた。いっしょに食べたい。などと、ユミちゃんの溢れるトラブル愛はとどまる事を知らない。


 トラブルはテオとユミちゃんの愛を感じて幸せに思うと同時に、この人達は私のどこに惹かれるのだろう? と、どこかに冷めた気持ちもあった。


 そして、そんな自分はやはり欠陥品だから仕方がないと、自分で自分を納得させていた。


 テオの帰国日が近づいて来る。


 トラブルは浮き立つ気持ちに恥ずかしさを覚えながら、カレンダーを見ては自然と頬が上がる。


 ある日、テオはいつもの様にベッドの中からビデオ通話をして来た。


 トラブルは、その画面を見て驚く。テオの後ろで誰かが背中を向けて横になっている。しかも、裸だった。


 トラブルは動揺するが、見た事のある背筋に、すぐにその背中の主に思いあたる。

 

『うん、ノエルだよ。昨日、泊まって行ったんだ』

『んー? テオ、誰と話しているの? なーんだ、トラブルかー』


 画面の中のノエルは、再び、背中を向けて眠る。


『ああ、裸なのはね、ホテルの空調が上手く行かなくて、寒くなっちゃうんだよ。風邪を引くよりはイイと思ってクーラーを消したら暑くてさ。ほら、僕も裸で寝たんだよー』


 テオは笑顔で自分の胸筋を映して見せる。


 その日から、ノエルは毎日2人のビデオ通話に現れた。ただ、テオの隣で寝ているだけだが、時に寝返りを打って、テオとトラブルの会話をさえぎった。


 トラブルは、ノエルが自分の存在をアピールしていると感じていたが、その目的は理解出来なかった。テオが寂しがってノエルと寝たがっただけかもしれず、他意はないと特に言及はしなかった。


 2人は、あと何日で会えると、カウントダウンを始める。


 会社の医務室で黙々と仕事をするトラブルにも、メンバー達の成功は伝わって来ていた。


 そして、他でもない代表の機嫌の良さは、社史に残ると、職員達が口にするほどだった。


 事務局長はトラブルに会う度に、代表のしん社屋しゃおく建設計画を止めてくれと頼んだ。


 それほど代表は浮かれていた。


「実際には、それほど黒字ではないのです」


 事務局長は冷静に、そして、ため息をきながら医務室で愚痴をこぼす。


 チョ・ガンジン事件以来、事務局長はトラブルを何かと頼って来た。


「代表は昔から楽天的と言うか、丼勘定で……確かに、昨年度よりは収入は大幅に増えましたが、その分、支出も増えたわけで……まったく、新しいショップとレストランのリクープも出来ていないのに新社屋しんしゃおくなんて……」


 事務局長の愚痴を聞く一方で、増え続けるセットや小道具の置き場所に困っているソン・シムと、同じく収納場所を確保したい衣装さん達の、場所を巡る攻防戦を耳にしているので、トラブルは曖昧にうなずくしかなかった。


 帰国当日は、時差ボケを治す為に休暇にしてあったが、スケジュールがタイトになり過ぎるとの理由で、翌日のトラブルの健康診断が当日に前倒しにされた。


 その為、テオの帰国当日にトラブルの家に行く計画は消滅し、テオはビデオ通話で、あからさまに寂しがる。


 トラブルは、自分も残念だが会社で1ヶ月ぶりの再開を楽しみにしていると伝え、テオを慰めた。


 そんな2人の会話の後ろで、相変わらずノエルは背中を見せていた。


 帰国日当日、トラブルはテオは来ないと知りながらも家の掃除を念入りにした。医務室の掃除も怠らない。


 しかし、常に清潔にしている医務室の掃除は、15分程度で終わり、時間を持て余したトラブルはバイクで空港に向かった。

 

 空港を通り過ぎ、高速道路の入り口でバイクを路肩に停める。メンバー達の移動車を、はやる気持ちを抑えて待った。


 まさかトラブルが、たくさんのファンとマスコミの目のある場所に来ているとは、夢にも思わないテオは、いつも通り、手を振って歓声に応えた。


 ゼノは、ノエルの元気がない様に感じていたが、セスの様子に変化がない為、特に声を掛ける事もなくメンバーと共に車に乗り込む。


 メンバー達の車の前を、ユミちゃんらメイクスタッフの乗る車が先行する。


 後ろにマスコミの車列が出来ていたが、それはいつもの光景だった。


 高速道路に入り、すぐにユミちゃんが車の窓を開けて叫び出した。


 メイク女子達は窓から手を出して熱心に手を振っている。


 メンバー達の車を運転するマネージャーが、その様子に気が付いた。


「ユミちゃん達、手を振っていますね。いったい、誰に……」


 ジョンがすぐに気が付いた。


「トラブルだよ! ほら! トラブルがバイクで走ってる!」


 ユミちゃんの乗る車の横を、トラブルのバイクは並走していた。ユミちゃんは「私を迎えに来てくれた!」と、興奮して身を乗り出して手を振り続ける。


「本当ですよ! テオ! トラブルが迎えに来ていますよ!」


 テオはゼノの指差す方角を見る。


 ゼノの言う通り、見慣れたバイクがユミちゃんに手を振っていた。


「嘘……トラブル、迎えに来てくれたの?」


 テオは窓を開けようとした。しかし、ゼノはそれを止める。


「テオ、後ろにマスコミがいます。窓を開けてはバイクの女性が関係者だとバレてしまいます」

「分かった……」


 テオはスモークの貼られた窓越しにトラブルを見る。


 トラブルは速度を落として、テオ達の車の横に来た。


 テオは窓に手を当てて、並走するトラブルを見る。


 トラブルは後続車を警戒をして、テオに手を振ったり、バイザーを上げたりはしなかった。


 しかし、2人は顔は見えなくとも視線を交わし、トラブルは満足して移動車を離れて行った。


(トラブル、ありがとう。早く会いたいって思ってくれていたんだね。同じ気持ちで、凄く幸せだよ……)


 テオは目の奥が熱くなる。


 そんなテオを見て、ゼノは「良かったですね」と、肩を抱く。


 車内が温かい雰囲気に包まれる中、ノエルだけは、思い詰めた様に反対側の窓を見ていた。


 この後、ノエルがセスさえも予想しない行動に出るとは、誰も気が付いていなかった。

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