第285話 2日目のソヨン


 会社のメイク室で、ソヨンはおなかを押さえながら、痛みに耐えていた。


「ソヨン、生理痛の薬ないの?」

「うん、ここに入れておいたはずなんだけど……」

「医務室に行く?」

「うん、トラブルにもらって来ようかな」


 ソヨンがなんとか立ち上がると、同僚は首を振る。


「トラブル、今日は休みみたいよ。医務室のドアに札が掛かってた」

「本当? どうしよう……」

「もう、帰ったら? 後は私達がやるから。明日から日本でしょ?」

「うん、帰ろうかな……ごめん、皆んな」


 ソヨンは帰り支度を始めるが「痛た……」と、座り込んでしまった。


「ちょっと、ソヨン! 大丈夫⁈」


 同僚が駆け寄り、ソヨンを助け起こそうとするがソヨンは立ち上がる事が出来ない。


「バカな子ねー。薬をあげちゃうからー」

「だって……キャッ!」


 床にうずくまるソヨンの体が、ふいに、宙に浮いた。


 ノエルはソヨンを抱きかかえ、椅子に、そっと座らせる。


「ノエルさん!」


 ノエルは驚くソヨンの手を取り、痛み止めの錠剤を乗せた。


「あ、あの、これ……」


 錠剤とノエルの顔を見比べる。


 ノエルは無言で、メイク室の紙コップに水を入れてソヨンに差し出した。


「ちょっと、皆んな、出るわよ!」


 メイク女子達は気を利かせて、ニヤニヤと笑いながらメイク室を出て行った。


 静かになったメイク室で、ノエルはソヨンを見下ろす。


「ノエルさん、あの、これ……」


 ソヨンは目をしばしばとさせて、手の平の錠剤を見つめた。


「見ていても痛みはおさまらないよ」


 ノエルは、そう言って錠剤をシートから取り出し、ソヨンの口に入れようとする。


 ソヨンは慌ててその錠剤を受け取り、自分で口に入れ、水で流し込んだ。


 ノエルは、ソヨンの隣に座った。


「薬。僕よりもソヨンさんの方が必要だったんじゃん」

「いえ、あの、ただの生理……腹痛です」

「2日目ってやつ?」


 ソヨンの顔が、みるみる真っ赤になる。


「ごめん、ごめん。つい、からかいたくなっちゃって」

「ノエルさんは意地悪ですよね……」

「そう?」

「皆んなには、優しいのに……」

「……うん、そうだね」


 真っ赤な顔のソヨンと、ピンクの髪のノエルは視線を合わせずに話した。 


「今日はありがとう。ゼノが助かったって言っていたよ」

「いえ。あのサブの方が、あまりにも……」

「仕事、出来なさすぎだよねー。ゼノが青スジ立てて耐えてたよ」

「プッ」

「あ、ゼノの事、笑った?」

「違いますー。私も新人の時、ユミちゃんに青スジ立てられていたから……」

「そうなの?」

「私、どんくさくて……でも、辛抱強く教えてもらいました」

「じゃあ、あのサブマネージャーも辛抱強く待てば、使える様になるのかなー」

「天然は直せないって、ユミちゃんは言っていました」

「ソヨンさん、キツイ事言うねー」

「いえ、違います! ユミちゃんの言葉です!」

「またー、ユミちゃんのせいにしてー」

「違いますよ! もー、意地悪ですー」


 ノエルは髪をかき上げて笑う。


「あの。痛み止め、ありがとうございました」

「効いてきた?」

「はい、少し楽になって来ました」

「良かった……あのさ、手紙の返事をしなくて、ごめん」

(第2章第244話参照)


「いえ! あれはー……お見舞いの手紙なので、忘れて下さい」

「……本当は、封筒の内側のメアドに気が付いてたんだ」

「え……」

「でー、気付かないフリをしていた」

「あ……」

「ずっと、気付かないフリをしていようと思ったんだけど、今日のソヨンさんを見てて、誠実に答えないと、いけないなぁって思ってさ」

「あ、あの!」


 ソヨンはノエルに向けて座り直す。


「ん?」

「気付かなかった事にしておいて下さい。私が先走ったと言うか、あんな……ためす様な事をして、すみません」

「ううん。頭の良い子だなぁって思ったよ」

「すみません。あの、本当に手紙はなかった事にして下さい」

「……僕の答えは知りたくないの?」

「困らせるつもりはなかったのですが、結果的にプロ意識に欠ける事をしてしまって。すみません」

「……うん、じゃ、なかった事にする」

「はい、すみません」

「……」


 ノエルはソヨンから視線を外し、窓の外を見る。


「ソヨンさん。テオとトラブルの事、黙っていてくれて、ありがとう。あの2人は本気で付き合っているんだよ。だから、僕も応援しているんだ」

「はい、私も応援しています。言いふらしたりしません」

「うん、ありがとう」

「私と私の家族はトラブルに助けられたんです」

(第2章第112話参照)


「そうなの?」

「はい。トラブルには幸せになってほしいです」

「うん、僕も同じ気持ちだよ」

「あの、この後、ア・ユミさんとダテ・ジンさんに会いますよね? 明日から、よろしくと伝えて下さい」

「え、2人くるの?」

「はい、スケジュールの打ち合わせの下に、カッコして日本側とって、書いてありましたよ」

「本当? あの、サブ野郎、何も言わないから……ソヨンさんの方が、よっぽどマネージャーに向いているよ」

「いえいえ、私なんかが……」

謙遜けんそんも、し過ぎるとイヤミだよ」

「な!」

「嘘。また、真っ赤になるんだから」

「ノエルさん、本当に意地悪です!」

「あはっ! じゃ、仕事に戻るね。明日は痛み止めを忘れない様にします!」

「はい、私もです!」


 2人は笑顔を交換して、立ち上がる。


「じゃあね。お疲れー」


 ノエルは、そう言いながらソヨンの頭をクシャクシャッと撫でる。


 ソヨンは、再び真っ赤になった。 


 ノエルは、クスッと笑いながらソヨンの頬を指でつついて出て行った。


 1人残されたソヨンは、その頬に手をやる。

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