第82話 目撃



「遅い!」


 ジョンがしびれを切らして立ち上がった。


「確かに遅いですね」


 最年少のジョンのゲームに付き合っていたリーダーのゼノも、子守の限界だと疲れた顔を見せる。


 セット確認の為の小休憩が、大休憩になろうとしていた。


「寝ていていいかも教えてくれないなんて何かあったのかな?」


 ノエルはうんざりとして髪をかき上げる。


「見に行こー!」


 ジョンの一言でテオとノエルは立ち上がる。が、上の2人は動かない。


「いってらっしゃい」


 子守に辟易へきえきしたゼノと子守をする気のないセスは3人を見送る。


「あ、すみません。まだ、調整が終わってなくて。間もなくリハーサルを再開出来ると思うのですが……」と、機材スタッフは恐縮してみせた。


「いえ、大丈夫ですよ。遊びに来ただけですから」


 ノエルが社交スマイルで答える。そして、ため息まじりに2人に伝えた。


「まだ、時間が掛かりそうだね」

「探検行こー!」

「探検?」

「ほら、あそこ。ハシゴで登れるみたい」


 ジョンの指差す方向には、スタジオ2階通路から更に上へ行くハシゴが伸びていた。


「屋上へ出るだけじゃないの?」

「ノエル、行って見ようよ」


 3人はジョンを先頭にハシゴを登る。


(こんな所、マネージャーに見つかったら大目玉だ)


 ノエルは叱られると分かっていても、好奇心のままにスルスルと登るジョンに付いて行く。


 ハシゴの先にはドアがあった。


 ジョンはハシゴにつかまりながらドアに手を伸ばす。


「よいしょっと」


 久しく開かれていなかったのか、ドアは重い音をさせて開いた。


 外の風が吹き込んでくる。


 そこは3人がやっと並んで立てる程度のバルコニーになっていた。


 ほんのり香る川の匂いに、思わず深呼吸をする。


「いい天気だねー」

「まだ、上があるよ!」


 ジョンは外壁に張り付いているハシゴを見上げ、躊躇ちゅうちょなく登って行った。


「怖いな」


 テオもあとを追う。


 ノエルは下を見て、身震いしながらも登って行く。


「うわー! すごーい!」


 ジョンが叫ぶ。


 スタジオの屋上は思っていたよりも高かった。


 倉庫の屋根を見下ろせる。その向こう側に土手があり、キラキラと水面の流れが見えた。


「こんな所、知らなかったね」

「うん、いい景色だね」


 テオとノエルは顔を見合わせて微笑む。


「ヒャッホ〜イ!」


 ジョンが奇声を上げながら走り出し、テオもそれに続いた。


 ノエルは(気持ち良いなー)と、目を細めて眼下を見渡した。ふと、土手にいる人物に目が吸い寄せられる。


(あれ? トラブル? もう1人はカン・ジフンさんだ)


 テオを呼ぼうと振り返るが思い直した。


(カン・ジフンさんと2人でいる姿なんて見たくないはず……)


 ノエルは目を凝らして土手の2人を観察する。


 何かを食べている様だ。スマホをカメラモードにしてズームしてのぞき見る。


 サンドイッチを食べている。トラブルの口元をカン・ジフンが拭く。


 クスクスと笑い合う姿は恋人同士そのものだった。


 トラブルが口を開けるとカン・ジフンがチョコレートケーキを食べさせた。そして、また笑い合っている。


(ラブラブじゃん! 付き合ってるのか⁈ さっきテオの肩で寝てたのは、なんだったんだ?)


「ノエル、なに見てんの?」

「な、なんでもない!」


 慌ててテオからスマホを隠す。


「ふーん。なにを見ていたのかな?」


 川沿いをのぞむテオ。


「いや、あー、あ! あっちから駐車場が見えるよ。トラブルのバイクも見えるよ!」

「本当?」


 テオは反対側の駐車場が見下ろせる場所に移動した。


 ジョンと「今度、代表の車で卵当てゲームをしよう」などと、イタズラ話しで盛り上がり始める。


 ノエルは再び、スマホでトラブルを盗み見る。


 トラブルはカン・ジフンの足を枕にして横になっていた。カン・ジフンが草でトラブルの顔をくすぐる。トラブルは猫の様にその草にじゃれ付いていた。


(こ、これは、テオに見られたら大変な事になる)


 ノエルは青い顔をしてスマホをしまい、そろそろ戻ろうと声をかける。


「はーい」と、2人は素直に従いハシゴを降りた。





「こら、遅いですよ」


 ゼノに叱られ、ジョンは秘密のハシゴと屋上の存在を話して聞かせた。


「へー、今度、案内して下さい」

「了解です!」


 スタッフがリハーサルの再開を伝えた。





 トラブルはカン・ジフンとの休憩を終わらせ、エレベーターホールで医療機器メーカーの営業マンと心電図検査器の型番と購入金額を照らし合わせる。


 やはり、高額だった。


 代表から予算はたっぷりと頂いたが、節約しなくてはならない。

 

 中古品の取り扱いを聞くが、保証とメンテナンスはオプションになると言う。新品で保証内容とメンテナンス内容、電極の形状と値段を確認していく。


 そのエレベーターホールに、リハーサルを終わらせたメンバー達が通り掛かった。


 本撮影の為、メイクに行く所だ。


 あ、トラブルと、テオは笑顔になるが、トラブルは真剣な顔でスーツ姿の男性と交渉している。


 静かに通り過ぎようとすると「トラブルー!」と、ジョンが声をかけた。


 ゼノが無邪気なジョンの口を塞ぐがすでに遅く、トラブルと営業の男性が振り向いた。


 医療機器の営業で芸能人と出会う事はなく、顧客の前でも反応は一般人と同じだった。


「う、うわー、本物だ」


 営業マンは立ち上がり挨拶をする。


 メンバー達はマネージャーにうながされて、頭を下げるのみで立ち去った。


「本当に芸能事務所なんですね。えー、彼らとご縁が出来るなら、もっとサービスしようかなー」


 営業マンは自分の上司らしき人と電話を始める。

トラブルは、まったく……と思うが、これで交渉し易くなった。


「上司がすぐ来ますので、少々お時間を下さい」


 トラブルはもちろんと頷き立ち上がった。

 

 医務室の作業状況を確認にいく。


 廊下にkeep outのテープとブルーの保護シートが張り巡らされている。


 隣の部屋も空っぽとなり、埃だけが住人となっていた。


 総務の2人は解体業者と図面を確認しながら、取り壊す壁の位置をチョークでマーキングしている。


「今日中に穴を開け終わりますよ」


 トラブルは仕事の早い2人に拍手を送る。心の中で代表にも。





 小1時間ほどして営業マンからメールが来た。


 上司が到着したらしい。


(なにが、すぐ来ますだ……)


 待たされたと顔に出さない様にして、トラブルは再びエレベーターホールへ向かった。

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