第524話 ヘルスルーム


 マリアは目の見えない友達の世話をしながら、チビチビと小さくかじりながらチョコバーを食べていた。


(マリアはチョコが好きではないのかな?)


 トラブルがそう思った時、マリアは一気に食べてしまった年下の子に自分のチョコバーを「まだ、あるわよ」と、かじらせた。


「マリア! 僕も!」


 結局、マリアは1人1人に一口ずつ、自分のチョコバーを食べさせてしまった。


 ソンはそんなマリアに気が付いていた。


 マリアを手招きして呼び、手を、まるで手品師の様にクルクルと回し、そして、ズボンのポケットからアメ玉を「ジャジャーン!」と、取り出した。


 マリアは満面の笑顔になり、ソンの首にギュッとハグをして、そのアメを宝物の様に受け取った。


 トラブルは意外そうにソン・シムを見る。


「娘のぐずり対策で、アメを入れておくのが習慣になってるんだ。トラブルも欲しいか? ほれ?」


 トラブルは呆れて腰に手をやる。


 マリアは、本当にトラブルって呼ばれているのねーと、笑った。


 ソンは発電機の修理に戻り、マリアは、そろそろ寝る時間だと言う。


早いですね。


「朝は5時前に起きてお祈りをするの。だから子供は早く寝かされるのよ」


(なるほど、イスラム教の習慣か……掃除をしようと思ったけど、たしか、夜に掃除をしてはいけなかった様な……)


 トラブルは子供達に、寝る前にトイレに行く様に促した。


 子供達はマリアに従い、皆でトイレに歩いて行く。

 

(歩行に問題のある子はいないな)


 トラブルは子供達の障害の程度が比較的軽いと安堵あんどした。


(そうだよね。通学が出来て、瓦礫がれきからい出せた子達だから……いったい何人の子供が亡くなり、何人が取り残されているのだろう……)


 マリアのベッドにシーツを広げ、皆がベッドに入ったと確認してから、トラブルは自分のアパートに戻り、黒いリュックに懐中電灯と水を入れて、マリア達の学校に向かった。


 津波の被害に合わなかった小学校は、病院よりも高台に建っていた。


 まだ、充分に明るい夕焼け中、舗装されていない道を登って行く。

 

 すると、ひときわ広い範囲に、倒れた木材と割れたコンクリートが入り混じり、捻じ曲がったトタン屋根が地面に突き刺さる場所が現れた。そして、大量の日干しレンガが散乱している。


 その場所が学校だったと分かるものは何一つ、残されていない。


 しかし、数名の作業着姿の男性が瓦礫がれきを手で退かす作業をしているところを見ると、この下に重機で掘り起こす事の出来ないがあるのだと、容易に想像出来た。


 その中の1人が大きな紙を見ながら指示を出している。


(学校の見取り図か設計図だな……)


 マレー語とジャワ語が入り乱れる中、トラブルは、そっと、その指示を出す男の背後に回る。


 背伸びをして男の手元をのぞこうとしていると、足元の瓦礫がれきが音を立て、男はトラブルを振り返った。


 トラブルを頭から足の先まで見てから、首に掛かるIDに目を止めた。


 ボソボソッとマレー語でつぶやいてから、学校の見取り図をトラブルに見せて、何やら説明を始めた。


(うわ、全然分からない……翻訳アプリは使えなかったし……うーん、保健室の場所を知りたいんだけどなー)


 男はトラブルが言葉を理解していないと分かると、英語で単語を並べ出した。


(お! 共通言語があった! でも、聞き取れない……筆談なら分かるかなぁ)


 トラブルはメモに『nurse's office』と、書くが男は首を大きく振った。


(んー、ナースオフィスで通じないなら……)


『Health room』


(ヘルスルームなら通じるかな?)


 男は見取り図を指差して、瓦礫がれきの位置を身振りで示した。


(やった、通じた! あの辺りね。ありがと!)


 トラブルが足を進めると男は大声を出してトラブルを止めた。


 見取り図を振り回して、何かを言うがトラブルには、さっぱり分からない。トラブルは男の元に戻り見取り図をのぞく。


 男は見取り図の2ヶ所を交互に指差した。


 その2ヶ所には、同じマレー語が書いてある。


(そうか、健常児と障害児の保健室が離れて……どちらが、障害児のだろう……でも場所は分かった)


 男達は作業を止めて、帰り支度を始めた様だった。


 見取り図を見せてくれた男は、首からネックレスを外してチェーンの先についているロケットを開けて見せた。そこには、妻であろう女性と男の子の写真が入っていた。


 男はロケットを握り、何かを言いながら瓦礫がれきの山を指した。


(そうか、この何処かにこの人の子供が……)


 トラブルは鼻の奥をツンとさせながら、ポケットからソン・シムにもらったアメ玉を取り出した。


 無理に笑顔を作って、男の手に握らす。


 男も赤い目で笑顔を作り、トラブルに頭を下げた。


 薄暗くなって来た帰り道、トラブルは昼から何も食べていないと思い出した。


(死者の前でも腹は減る……)


 そんな事を考えながらアパートに戻ると、外の階段がカンカンカンと鳴り、誰かがドアをノックした。


 トラブルがドアチェーンを掛けたまま開けると、ソン・シムが驚いた顔で立っていた。


(どうした?)


 トラブルは急いでチェーンを外し、ドアを開ける。すると、ソンは「どこ行ってだんだよ!」と、怒っていた。


(あれ、探してた?)

 

『学校を見て来ました』


「学校⁈ あの子達のか? そうか……俺に一言、言ってからにしてくれよ」


(代表に連絡するところだったぞ……)


「飯を食おう」  

  

 ソン・シムは自分の部屋にトラブルを招待した。簡易コンロの上でラーメンがすでに完成していた。


(わぁ、いい匂い)


 トラブルはソンが作ったラーメンを遠慮なくいただく。苦手なはずの辛いラーメンがやけに美味しく感じた。


(疲れているな……御馳走様でした)


 トラブルはソンに頭を下げ、疲労感を感じながら立ち上がった。


 ソンは、すぐ下の部屋なのにトラブルを送り届ける。トラブルがドアチェーンを掛ける音を確認してから、自室に戻り、代表にメールで今日の報告を送った。


(この衛星スマホすげーな。帰ったら俺もこれに変えよう)

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