第534話 余震


「ご馳走を持って来ましたよ。ソンさん、どこか炊事が出来る場所はありませんか?」


 ソン・シムは、それなら自分の部屋に簡易コンロがあると返事をして、ラーメンなら用意出来ると言った。


「私もラーメンを持って来たんですよー。そうだ! 皆んなも、韓国料理を食べてみませんか?」


 ヤン・ムンセは子供達と若い看護師にマレー語で声を掛けた。子供達は「ヤッター!」と、喜び、看護師も遠慮しながらも「嬉しいです」と、笑顔を見せる。


「そうと決まれば、ラーメンパーティーだ!」


 ヤン・ムンセはトラブルを抱え上げ、神輿みこしの様に上げ下げした。


「ラーメン! ラーメン!」


 ヤン・ムンセのノリに合わせて子供達も小踊りする。


「ところで、マリア。ラーメンって何?」

「バカねー、ヌードルの事よ」

「カンコクって何?」

「トラブルが来た国よ」

「マリア、さすがー」

「まあねー」


 腰に手を当てて顎を上げるマリアを見て、ヤン・ムンセはクスッと笑う。


 ソン・シムの案内で、アパートの2階に入り、それぞれ思い思いの場所に座った。


 ヤンは、トラブルをソンのベッドに下ろし、自分の荷物を取って来ると部屋を出て行った。


 ソン・シムは床に簡易コンロを置いて湯を沸かし始める。韓国海苔や乾燥のラーメンを取り出し、割り箸を皆んなに配る。


 箸を不思議そうに見る子に、若い看護師は使い方を教えた。  


「へー、箸が使えるのか。すごいなー」


 驚くソンの言葉は分からなくても、看護師は笑顔で応えた。


 ヤン・ムンセが持って来た乾燥ラーメンは、キムチ味と塩味だった。あと、乾燥ネギも。


 ソンは乾燥ネギに感動し、ヤンは韓国海苔を「会いたかったー」と、胸に抱く。


 ヤンはまず、塩味のラーメンを茹でる。韓国海苔を入れる為、少し薄味に作り、紙コップに入れてトラブルに渡した。


 トラブルは体を起こしてラーメンを受け取るが、良い匂いだとは感じても胃が拒否をした。


(食べたいけど、吐きそう……)


 ヤン・ムンセはそれを察し「一本づつ、ゆっくりと良く噛んで飲み込んで下さい」と、食べる様に促す。


 子供達は紙コップが足りないので、鍋のまま、皆で回し食べをした。


「これがカンコク料理?」

「美味しい!」

「しょっぱい」


 言葉と手話が飛び交う中、ソンはもう一つの鍋で真っ赤なラーメンを作った。その色に子供達は「地獄の鍋だ〜」と、大笑いをする。


 トラブルは何とか紙コップ一杯分のラーメンを食べ終え、横になった。


(あー、吐かなくて良かった……疲労ひろう困憊こんぱいとは、この事だな……)


「食べられましたか。スハルトの話をして良いですか?」


 ヤン・ムンセは、なぜ自分がドクターヘリを呼んだのか理由を説明した。


「あなたのエコーの読影どくえいを見て、スハルトの熱は腎臓に感染を起こしていると分かりました。単なる感染症として抗生物質の投与で経過を見ようかと思いましたが、マリアが、ミン・ジウさんは緑のファイルを探していたと教えてくれ、さらに免疫抑制剤がシクロスポリン10mgしか、この2日飲んでいないと情報をくれました」


 トラブルはうなずいて耳を傾ける。


「緑のファイルによると、スハルトは半年前に叔母から膵腎同時移植を受けていて、その時に急性拒絶反応を起こし再入院した経緯がありました。その後、慢性拒絶反応を防ぐ為に高濃度のシクロスポリンが投与されていたので、現在の発熱は拒絶反応だろうと……生命に危険があると判断して、無線で仲間に連絡した次第です。あなたが緑のファイルにこだわってくれていたので助かりました。でなければ手遅れに……ミン・ジウさん?」


 インドネシアの甘辛い味に慣れている子供達も唐辛子で真っ赤なラーメンに苦労していた。


 皆で大騒ぎをしながらも「慣れてきたら美味しい!」「僕の口、れてない?」と、キャッキャッと騒ぐ。そんな子供達に、ヤン・ムンセは「しーっ」と、口に指をやった。


 トラブルは眠っていた。


 マリアも、しーっと真似をして、皆、トラブルの為に静かに食べる。


 ソンが「部屋に帰れよ」と、揺さぶるが、ヤンは「私が運びますよ」と、トラブルを抱え上げた。


 トラブルはピクリともせずに、意識を失っている様に眠り続ける。


 1階のトラブルの部屋は、まるで空き部屋だった。


 シーツは剥がされ、洗面台は埃をかぶっている。


(寝に帰っていないのか……これは、保護しろと命令が来るわけだ……)


 死んだ様に眠るトラブルをベッドに寝かせ、ヤンは脈を測る。


(うん、大丈夫だ。顔色も良いし、明日には今日よりも元気になるだろう)


 ヤンがソンの部屋に戻ろうとすると、子供達が外階段を降りて来た。


「先生、トラブルは大丈夫?」


 マリアはヤンに駆け寄る。ヤンはマリアの頭を撫で、大きくうなずいて指でOKと作った。


 マリアは安心して微笑みを返す。


 その夜、ヤン・ムンセは子供達と病院に泊まった。


 トラブルが使っていたベッドに横になり、マリア達からトラブルの出会いから順番に聞かされる。


 飼っている犬に似ているだの、毎日掃除をする潔癖症だの、悪口とも取れる内容を子供達は愛情たっぷりに語った。


「先生がいなくなっちゃって悲しかったけど、トラブルが来てから良い事ばっかりなの。もうすぐ帰っちゃうけど病院の皆んなが面倒を見てくれる様になったから……だから、私達は大丈夫よ」


 マリアは気丈に語り、寝息を立て始めた友達の毛布を掛け直す。


(子供達の連絡先も分かった事だし、近くにいるセーブ・ザ・チルドレンに家族の捜索と身柄の保護を頼もう)


 ヤン・ムンセは、それがトラブルが1番安心して国に帰れる方法だと確信し、マリアにも寝る様に促した。


 マリアもヤンも、皆の安らかな寝息を聞きながら、睡魔に逆らう事なく、夢の中に落ちて行った。






 夜明け前、マグニチュード7の余震が島を襲う。

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