第539話 両国の狭間で


 代表は、この女性は東京で赤ん坊の頃に拾われ、9歳で韓国に養子に来たと話した。


 韓国で失声症となったが、日本語を理解し、日本の食事が口に合う彼女には日本の治療が最適だと力を込めて説明をする。


 そして、彼女は捨てた日本人を責めず、拾ってくれた日本人に感謝をしていると付け加えた。


 伊達だて総領事は、その女性は日本と韓国、両国に挟まれた、現代社会の被害者であると感じた。


 今だに自分のアイデンティティがどこにあるのか分からず、悩み苦しんでいる人々は両国にいる。


 そして、韓国人が助けようとしているのだから、日本人も協力しないわけにはいかないと腹を決めた。


「すぐに日本に受け入れ体制を整える様に連絡をします。2時間下さい。大丈夫、人の心さえ動かせれば出来ない事などありません」


 代表はその言葉に感謝を伝え、祈る様な気持ちで電話を切った。


 その電話と入れ違いで総領事に息子のじんから連絡が入る。


 じんは東京にいた。


 父親は仕事の続かない息子を頼りないと思っていたが、今回ばかりは息子に頼み事をした。


 それは、3年で退学した医学部時代の知り合いを探せというモノだった。


「お父さん、すごく大切な友達なんです。助けて下さい」

「分かっているよ。出来るだけ、たくさんの人に連絡をしなさい。足の治療が出来る場所を確保しなさい」


 仕事もせず、フラフラと遊んでいたじんには、今回の震災が現実とは思えなかった。どこか遠い外国で起きた、自分には関係のない事に感じていた。


 トラブルの負傷の一報が事務局長から入り、頭を殴られた様な衝撃を受けた。


 知り合いが、しかも1度は好きになった人が助けを求めている。出来る限りの事をしようと父親に連絡を入れたところ、すでに動こうとしているところだった。


 伊達だて じんは恥を忍んで、かつての同級生に電話をする。






 総領事は日本政府の腰の重さを知っていた。事実、今回の震災でも支援金の発表は諸外国に遅れを取り、非難されていた。


 まずは、韓国軍のヘリの着陸は可能か、防衛省に問い合わせる。すでに諸外国の一時発着に門戸もんこは開かれており、政府の指示があればいつでも受け入れ可能で、帰りの給油も出来るとの事だった。


 それを、あたかも防衛省の許可は得ている様に内閣府に伝え、受け入れ病院もすでに何カ所か当てがあると言う。


(外堀を埋めないと日本人は安心して動いてくれないからな……)


 韓国政府からの正式な依頼ではないので、万が一、患者が死亡しても人命救助に尽力した事実だけ残り、非難される事はないと強調する。


 一方、学生時代にじんを可愛がってくれた先輩が都内の大学病院で働いていた。整形外科を専攻し、じんの話に院長を説得してみると言ってくれた。


 トラブルの日本移送の受け入れが整って行く。






 ヤン・ムンセは左足の手術に入っていた。右足はボルトを挿入する必要があったが、ヘリから落とされたダンボールの中には、そんな気の利いたモノは入っていない。骨を滅菌したワイヤーでグルグル巻きにして、皮膚を閉じた。


 左足の骨は整復のしようがなかった。粉々になった白片はくへんを丁寧に取り除く。


(人工膝関節を入れて、骨の代わりにプレートを入れれば何とかなるかもしれないが、このままだと、切断になる……でも、今は感染予防が先だ)


 点滴に抗生剤と強心剤を追加する。






 出勤した代表は事務局長から、ジョンがダテ・ジンの連絡先を知っていたと聞かされ驚いた。


 一昨日から、こき使いまくっている事務局長をねぎらい、しかし、まだ、トラブルは予断を許さない状態であると説明する。


「そうですか、両足を……」


 鎮痛な面持ちのまま事務局長が通常の業務を行っていると、テオが、事務所をのぞいた。


「あれ、どうしました?」

「あの、仕事中にすみません。トラ……ダテ・ジンさんに連絡は……?」

「ああ、取れましたよ。事情を話して釜山ぷさんの領事館にいるお父上にトラブルの日本移送を頼んでもらいました」

「あ、あの、その事情って? トラブルが誰かに付き添うとか?」

「いえ、代表から聞いていませんか? 実はですね……」


 事務局長は声を潜めてテオの耳に近づく。


「こら、こんな所で勝手に話すんじゃない」


 テオと事務局長が振り向くと、代表が怖い顔で立っていた。


「テオ。メンバー達を連れて俺の部屋に来い」


 事務局長は、代表のその様子に最悪な結果を思い浮かべる。


「ま、まさか、死……」

「違う。テオ、すぐにだぞ」

 

 代表は誤解する事務局長を否定して、テオの返事を待たずに行ってしまった。


「あの、トラブルに何があったのか教えて下さい」

「すみません。代表から話をしてもらった方が良いと思います。すみません」


 事務局長に謝られ、テオは引くしかなかった。


 控え室に戻り、皆に伝える。


「代表が来いと?」

「うん、すぐにだって」

「そうですか……では、皆んな、行きましょう」


 ゼノに言われ、ノエルとジョンは腰を上げた。しかし、セスは動かない。


 ノエルは、そんなセスに声を掛ける。


「セス、行こうよ。セスが感じた事がすべてじゃないかもしれないでしょ?」


 セスは顔を上げて、ノエルをジッと見る。


 ノエルは「ね?」と、セスに手を差し伸べるが、セスはその手を無視して立ち上がり、先導してエレベーターに向かった。


「素直じゃないんだから……」


 ノエルは差し出した手で髪をかき上げ、最後に控え室を出た。


 ゼノが代表の執務室をノックして、ドアを開ける。


 代表は電話中だった。


「日本だ! 日本! 受け入れ準備は出来ている! 住所は送っただろう! すぐに出動命令を出せ! 屋上にヘリポートがある! 朝霞あさか駐屯地で給油をさせてもらえるから! 早く命令を出せと長官に伝えろ! 今すぐだ! 行け! 走れー!」


 代表は興奮したまま通話を切る。


「クソ補佐官め……間に合ってくれ……」


 机にこぶしを降り下ろす代表に、ゼノは声を掛けられなかった。


 しばらく、呆然と立ち尽くしていると代表は顔を上げ「来たか。座れ」と、皆をソファーに座らせる。

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