第616話 育ちの良い強さ


 監督は、使えるのはジョンの大食いと昼食がピザに決まったところくらいだなと、メモを取る。


(ノエルとテオの喧嘩けんかは……)


 幼馴染み同士の喧嘩シーンは珍しいが、さすがにゼノが引っぱたいた部分は使えないので、お蔵入りだと、諦める。


 冷凍食品や氷を買ったので、一旦、帰る事になった。


 トラブルもキム・ジヒョンの姿も見えない。


(2人で帰ったのかな……)


 テオは眉間に寄るシワを、頭を振って伸ばす。


 車の中でジョンが「ピザ〜、ピピピ、ピザ〜」と、陽気に歌い出した。


「ジョン、何の歌ですか?」

「ピザの歌!」

「その歌詞で、それ以外ないよねー」


 ノエルが笑う。


「ピ〜ピピッピ、ピ〜ピピ〜、ピピピ、ピピッピ、ピ〜ピピピザ〜、ザザザピザ〜」

「うるせっ」


 セスはジョンの試食ドカ食いと今の歌で腹が満たされたので、昼食は食べずに部屋で作業をしていると言い出した。


「次はテオの石鹸作りですが……まあ、いいでしょう」


 監督の許可を得て、食材を冷蔵庫にしまう係をかって出る。


 帰宅して小休憩となった。


 ジョンはチビにエサを作り、聖書の上で美味しそうに食べる姿を見ながら床で寝てしまった。


「うわ、こんなところで寝ちゃったよー」

「あれだけ食べたのですから、満腹なんですよ。我々も少し休憩しましょう」


 テオは自分の部屋に戻り、スマホを握りしめる。


「トラブルに?」

「うん……部屋にいるかもしれないけど」


 20年の付き合いのある幼馴染同士は、改めて謝らなくても、すぐに元の関係に戻れた。


「ノックして来ればいいじゃん?」

「でも……」


 もし、いなかったら……そう思うと、次は自分のやりたい事リストであり、いわば主役だ。取り乱して主役のいない撮影にだけはしてはならないとテオにでも分かる。


 テオはスマホを置いた。


「石鹸をトラブルのお土産にするよ。帰って来てから話をする」


 ノエルはテオの、この強さが好きだった。


 始めての恋愛で、しかも相手が正反対の人生を歩んで来たトラブルなのだから、常に幸せを感じ続けるのは無理な話だ。


 テオでなければ、トラブルはとっくに恋人を失っていただろう。


 ただ、真っ直ぐなだけではなく、育ちの良い強さは人をきつける。


 まさしく『太陽の子』と呼ばれるに相応しいと感じた。


(ま、パク先生しか呼んでなかったけどねー)


「テオちゃーん。寝んねしよ〜」


 ノエルはテオを押し倒してベッドにダイブする。


「ノエル、なんなのー?」

「癒してあげる〜」

「イヤらしい言い方しないでよー」

「イヤらしい事して欲しいの?」

「なんで、そうなるの! 変なとこ触らないで! キャー! イヤー!」






 幼馴染2人の笑い声は、隣のゼノの部屋に届いていた。


 ゼノはテオが撮影に戻った事も笑顔になった事もノエルに感謝していたが、自分はどうしようもなく落ち込んでいた。


(叩くなんて最低です。他に方法はあったはずなのに……なんて事を、ああー……)


 部屋に充満するマイナスの感情に、セスは息が苦しくなる。


 長年の付き合いだが、様々な感情が絡み合いながら落ちて行くテオやノエルと違い、ゼノの落ち込み方は真っ直ぐズドーンと行くので、途中で救い上げる事が難しかった。


 放っておいても成熟した精神の持ち主なので、自分でそれなりにい上がって来れると分かってはいるが、同室でこの薄い空気を吸い続けるのは拷問に近い。


 面倒臭いが仕方がないと、パソコンから顔を上げた。


「ゼノ、他に方法はなかった。テオは戻って来た。それが、お前の行動が正しかった証拠だ」

「そうでしょうか? 暴力は正当化出来ません」

「もちろん結果論だが、テオには目を覚ますキッカケになった。ノエルではなく、お前だった事に意味があるんだ」

「私だった事……」

「リーダーにぶん殴られれば、どれほど悪い事をしたんだと自分を見直すキッカケになる。友達にぶん殴られても、ぶん殴り返すだけだ」

「ぶん殴ったつもりはないのですが……」

「暴力は暴力だ」

「う。そうですよね……」

「お前はテオが受け止められる程度に加減した。だからテオは受け止める事が出来た。お前の方法は正しかった」

「暴力は暴力だと言いましたよね?」

「そこは、反省してろ」

「……そうですね、反省しています。でも、判断は間違ってはいなかった?」

「そうだ。テオの頬はもうれていない」

「……セス」

「あ?」

「一緒に寝ませんか?」

「ああ⁈ 」

「では、せめてハグを」

「バカかっ」

「逃げないで下さいよ」

「こっち来んな! バカっ!」

「私の感謝の気持ちをー」

「いらん! 行く時間だぞ!」

「まだ、マネージャーは来ていませんよー」

「皆さーん、出発しますよー! あー! ジョンが寝てるじゃないですかー!」


 リビングからマネージャーの大声が聞こえて来た。


「ほら、豚を起こして来い」

「セスは本当に行きませんか?」

「行かん」

「まったく……」


 ゼノはマネージャーと2人がかりでジョンを起こし、幼馴染2人も合流して昼食場所に向かう。






 やっと静かになったと、作曲作業を続けていると、キッチンからゴソゴソと物音が聞こえて来た。


(ネズミが1匹残っていたか……)


 セスは部屋を出る。

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