第344話 代表と胃カメラ


 トラブルは、イム・ユンジュの指示に従い、スーパーで食材を購入した。


(手軽に栄養素とエネルギーを摂れるのは……揚げ物! 今日は天ぷらに挑戦してみよう。日本で食べた海老と大葉の天ぷら、美味しかったなぁ)


 食材をリュックに詰め、会社に向かう。


 会社の駐車場にバイクを停めていると、代表が事務スタッフと雑談をしながら出て来た。


 トラブルを見つけ、代表は呼び止める。


「お、ちょうど良かった。胃の調子が悪くてな……おい、お前ら、好きな場所で打ち合わせしてろ。結果の報告をくれればいい」


 代表は事務スタッフと別れ、トラブルに付いて医務室に行く。


 トラブルは買い物袋を冷蔵庫に放り込み、ソファーにドサっと座る代表を待たせて留守中に置いておいた常備薬のチェックをした。


 ノートに持ち出しの日時、名前、薬品名を書いておけば、誰でも市販薬を持ち出せる様にしておいたが、残数が合わない。


 トラブルは空になった傷薬や風邪薬の箱を見てため息をく。


「胃薬がなくなっていて困ったぞ」


 代表の言葉にトラブルはうなずき、鍵の付いた棚を開けた。


「痛くはないんだが、キューッとつかまれている感じが続いて……」


 胃薬の箱に手を伸ばすトラブルの動きが止まる。代表を振り返り、じっと観察をした。


(顔色は悪くない。みぞおちを押さえているな……)


いつからですか?


「あー、以前から胃薬は手離せなかったが、1週間前から強く感じる様になって来た」


背中まで痛みませんか? 油汗が出るほどの痛みは?


「いや、背中は痛くない。そこまで痛くはない」


(急性膵炎や胆石ではないか……)


黒い便は出ませんか?


「いや? 便の色を気にした事はないが……」


 トラブルは代表を診察台に寝かせ、まぶたを下げて貧血の症状はないか確認をした。


 次に腹を押して、痛みや硬結こうけつの有無をる。みぞおちを押すと、代表は苦痛の表情を浮かべた。


 手を離して手話を見せる。


胃液が上がってくる様な、酸っぱい味はしますか?


「ああ、時々ある。前からだけどな」


どのくらい前からですか?


「ずっとだ。何年も前から。気になった時に胃薬を飲めばなおっていた」


早く知らせて欲しかったです。


「なんだよ、脅かす気か?」


胃潰瘍か十二指腸潰瘍の可能性があります。胃カメラの検査を行わなくてはなりません。


「はぁ⁈ 胃カメラ⁈ そんなヒマあるかっ」


 代表は診察台に起き上がる。


では、血を吐いても呼ばないで下さい。


「ふざけているのか⁈」


ふざけてはいません。ここには胃酸を抑える薬しかありません。胃粘膜保護剤か潰瘍治療薬が必要ですが胃壁を見ないと診断は付きません。消化器内科のある病院を紹介します。内視鏡の予約を取って来て下さい。


 代表の目が泳ぎ、声が小さくなる。


「……薬をもらって、様子を見るさ」


ダメです。症状が強くなってから1週間が経過しています。充分、様子観察しました。


「忙しいんだって」


奥様に連絡しますよ。


「連絡先なんて知らねーだろ」


 トラブルは代表のスマホを振って見せた。


「それ! お前、いつの間に! 診察するフリをしてスリ取ったのか⁈」


代表が教えくれた技ですよ。


「返せ!」


イム・ユンジュの遠隔診療を受けてもらいます。


「分かったから。返せって」


 トラブルはスマホを代表に返し、パソコンの電源を入れた。


 イム・ユンジュに連絡を取り、診察を待つ間、代表はセスについて質問をした。


「その後、あいつに嗅ぎ回られてないか?」


 トラブルは、セスとノエルの能力について説明をする。


「は? エン……何とかで、嘘を見抜けていたのか? は? ただの勘のいいガキじゃなかったって事か?」


エンパスです。ノエルは相手の気持ちを直感的に感じ取り、相手の欲しい言葉を言う事が出来ます。なので、人心じんしん掌握しょうあくに優れています。しかし、セスの様に相手に完全に同調シンクロする事は出来ません。


同調シンクロって……」


セスは人やモノと感覚を共有する事が出来ます。踏まれる花の痛みを感じるそうです。ノエルは早い時期に自覚し、自分で対処法を見つけていました。セスは、ただ耐えて苦しんでいましたが、ノエルから対処法を学び、落ち着いた様です。ツアーが終わったら専門医に受診をさせます。


「精神科か?」


はい。


「それは……マスコミにバレない様に……」


セスが望めば公表もあり得ます。同じ症状で苦しんでいる人はたくさんいます。


「そりゃあ、ありとあらゆる痛みが伝われば苦しいだろうが、イメージが…… ノエルもそれだなんて、セスしか警戒していなかったぞ」


ノエルは、相手から出て来た感情や感覚をキャッチするだけで、セスの様にさぐりに行く事は出来ません。


「あ? 思った事が分かるんだろ?」


いえ。あ、はい。そうですがー……違います。


「何だよ、分かりにくいな」


ご自分で調べて下さい。


 代表はスマホを検索しながら「精神科領域だが精神病ではないのか……ややこしいなぁ」と、独り言で文句を言いながら「で?どのタイプなんだ?」と、聞いた。


 トラブルは代表のスマホの、ノエルのタイプを指し示した。


「セスは?」


すべてです。


「なに⁈ これ全部に当てはまるのか⁈」


はい。


(さっきから、そう言ってるでしょう)


「……冷戦時代、旧ソ連で兵士を人間嘘発見機に仕立てる実験があったと聞いたが、まさに、ノエルがそれだな。そして、セスはその中のエリートって事か……」


(嘘発見機って。なんか、話が噛み合わないな……)


代表は知らないフリをしていて下さい。セスには代表が知ったとバレると思いますが、今まで通り本当の事だけを彼に言う様に。強い感情を出さないで平常心で。


「俺は、いつも平常心だ」


(どの口が言う〜)


 思っても相手は雇い主だ。顔には出さない。


守秘義務を超えて知らせておいた方が良いと判断したのですから、余計な事を言ったり、したりしない様に。対処に困ったら相談して下さい。


「ああ、分かった。ところで医者はまだか?」


まだ、連絡が来ませんね。


「俺は忙しいんだ」


待って下さい。


「待てない! 早くしろと電話しろ!」


平常心は?


「今は、勘のいいガキ2匹は日本だろ! 早くしろ! 胃が痛くなる!」


その、せっかちがストレスの原因ですよ。


「これは、せっかちかではない! 時間を有効に使いたいだけだ! 待たされるのがストレスだ!」


(まったく……)


 トラブルが呆れていると、イム・ユンジュ医師が画面に現れた。


『お待たせしました。診察を始めますね』


 トラブルが症状を説明し、イム・ユンジュは代表に幾つかの質問をして、近くの消化器内科を予約した。


 代表は大人しく医師に従い、人生初の胃カメラを行う事が決まった。

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