第139話 明日、引っ越し


 翌朝8時すぎ。


「まったく! 9時に迎えに来ると言ってあったのに! ノエルが連絡してくれなければ遅刻でしたよ!」


 マネージャーの大声で起こされるメンバー達。


「ノエルが早目に来てってメールしたの?」


 テオが歯磨きをしながら聞く。


「うん、絶対皆んな起きられないと思って」

「さすが、ノエルですねー」


 コーヒー片手にゼノが目を細める。そして、いつもの朝の最重要課題を口にする。


「今朝は誰がジョンを起こしに行きますか?」

「僕、嫌だよ。前に蹴飛ばされた」


 テオは洗面所に逃げる。


「僕が起こしてくるよ」


 ノエルが立ち上がるとセスが起きて来た。


「セス、おはよう」


 ノエルの声に、うなずくだけで風呂場へ向かう。


「今からシャワーするんですか⁈ 急いで下さいよ!」


 セスはマネージャーを軽く無視する。


「ジョン、朝だよ。時間だよ。起きて」


 ノエルがジョンの体を揺するが一向に起きる気配がない。


「ジョンってばー。遅刻しちゃうよ」


 ノエルはジョンの足を警戒しながら体を揺すり続ける。ジョンはうーんと伸びをしながらベッドからずり落ちた。


「何やってんだよー」

「引っ張ってってー」


 ノエルは目の開かないジョンを引きずってリビングに放り投げた。


「ジョーン!」


 マネージャーが寝たままのジョンを着替えさせていると、シャワーから出て来たセスが無言のままゼノのコーヒーを奪う。


「皆さーん! あと10分で出ますよー!」

「はーい」


 マネージャーのあせる声にノエルだけが返事を返す。


「テオ、準備出来た?」


 ノエルがテオの部屋をのぞいた。


「うん。何、着ようかなー」

「まだ、悩んでるの⁈」

「んー」

「早くー!」


「ジョン、どのカバン持って行くんだ?」

「それー」

「ほら、自分で持て。いつまでも床に寝てないで、そろそろ起きろ」

「はーい。お母さん」

「誰がお母さんだっ」


 セスがジョンの頭をはたく。


「行きますよー!」


 ギリギリ、9時に宿舎を出発する事が出来た。






 トラブルは欠伸あくびをしながらバイクのエンジンを止める。ヘルメットを脇に抱えて医務室のドアを開け、ロッカーで白衣を羽織った。


 明け方まで眠れずに出社していた。恐らくテオもだろうと思う。 


(セスに相談しただろうな。メンバー全員が眠れなかったかも。あまり、思った事を安易に口に出さないようにしよう。セスに言われた『普通』を装わなくては。気を付けないと……)


 トラブルは止まらない欠伸あくびを噛み殺しながらパソコンに向かう。





 昼過ぎ、カン・ジフンからランチに誘うメールが入った。


 トラブルは少し迷いながら返事をする。


 30分程して倉庫出入り口に行くと、いつもの柔らかなカン・ジフンの笑顔が待っていた。


 久しぶりと、トラブルは手話で言う。


 案の定、ん? と、聞き返された。


 トラブルはスマホのメモで『久しぶりですね』と、打って見せる。


「うん、久しぶり。1ヶ月ぶりくらいだね」


 カン・ジフンは照れたように目尻に柔らかなシワを作った。


 2人は、いつもの土手のいつもの場所でピクニックシートを広げる。カン・ジフンは「どうぞ」と、トラブルが座る場所を手で払った。


「今日は趣向を変えて、イタリアンにしてみたよ」


 おーと、トラブルは拍手をする。


「パスタは海老のペペロンチーノとスモークベーコンのカルボナーラ。あとは、キノコのマリネと温野菜のバーニャカウダー。これ、美味しそうだと思って、ピスタチオのパテ」


すごいです。


 トラブルは手話と口パクで笑顔を向ける。


 カン・ジフンはトラブルの口パクを見て「久しぶりだから、奮発したよ」と、目尻のシワを深くした。


「どっちのパスタがいい?」


 トラブルは悩んだすえにペペロンチーノを選んだ。


「辛かったら、僕のと取り替えてあげるからね」


 パスタの蓋を外しフォークを添えてトラブルに渡す。


 一口食べるトラブルを見守り「どう? 辛くない?」と聞く。


 うなずくトラブル。


「良かった」と、柔らかい笑顔のまま自分も食べ始めた。


 トラブルは、辛くないけど塩からいと思ったが言うのを我慢した。


 カン・ジフンは満足そうにカルボナーラを食べながら、他の物もすすめる。


 マリネは酸味が強く、バーニャカウダーは味がなく、ピスタチオのパテは生臭かったが、カン・ジフンは、いつもの穏やかさで何も言わずに食べ続けた。


(そういえば、彼とは初めから味の好みが違っていた……)


 そんな事を思いながら水を飲み、すすめられては一口食べるを繰り返した。


「引っ越し、明日でいいんだよね? 本当にあのトラックで足りるの?」


 OKと、指で作って見せる。


「家具はないの? 僕とトラブルだけで人手は足りる?」


はい。重いのは医学書だけ……


 トラブルは手話を中断し、メモで伝え直した。


『重いのは医学書のみで、荷物はほとんどありません』


「全部、家具は置いていって買い直すの?」


『寮生活だったので家具は寮の物しかありません。元々、住んでいた家に戻るので家具や家電はあります』


「そうなんだ。寮暮らしだったんだ。時々、遊びに行ってもいい?」


『いいですが、連絡してからにして下さい』


「勿論だよ。家の人に悪いからね」


 トラブルはカン・ジフンに愛想笑いをしてうなずく。


(何か勘違いしているけど、させておこう……)

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