第118話 声を奪った犯人


 トラブルは白い歯を見せながら上体を起こす。


「安心しろ。全然、興味ないから」


 トラブルが蹴るマネをすると「膝はやめて!」と、セスが悲鳴をあげる。


 ゼノは大笑いをしながら、改めて昔から筋トレなどに詳しかったのか聞いた。


 トラブルは手話で答え、今度はテオが通訳をする。


退院してからパク・ユンホの家でしばらく引きこもっていました。散歩に出られるようになっても、すぐに息が上がってしまって……。これではいけないと少しずつトレーニングを始めました。


「自己流ですか? それにしては専門的ですが」


筋肉についての基礎知識は看護学校で学んでいたので。で、えーと…… 効果的なトレーニング方法をイム・ユンジュ医師に教えてもらいました。


「今、背中のキズ全然分からなかったよー?」


 ジョンが見たままを口にした。


「バカ!しっ!」


 ノエルは慌てるが、トラブルは笑顔のままで、大丈夫ですと、ジェスチャーをする。


見せましょうか?


「うん!」


 ジョンが元気に答えるが、テオが「ダメー!絶対ダメー!」と、トラブルとジョンの間に割って入った。


「僕しか、見ちゃダメです!」


 末っ子をにらむテオを見て、トラブルは上を向いて笑う。


「はい、はい。ナイトくんはプリンセスを守って立派ですよ」

「どっちがプリンセスか分からないけどな」


 ゼノの拍手にセスが皮肉で答え、トラブルはセスの膝を蹴る。


「またっ! いてー! 顔が同じって意味だっ!」


 おー、ごめんと、口パクで言うトラブル。その顔は実に楽しそうだ。


「ねー、トラブル? イム・ユンジュ先生と付き合ってたの?」

「ジョン!さっきから際どい事ばっかり言ってるよ!」

「え? そう?」

「トラブル、気分を害したならすみません。ジョンは悪気があって言っているわけではないのですが」


 最年長のゼノはリーダーらしく末っ子のフォローを入れる。


 トラブルは、大丈夫と、手を振って見せ、メンバー達の顔を見回して、うーんと、考える。


 そして、言葉を選びながら手話をした。


たぶん、ずっと気になっていましたよね。パク・ユンホが、なぜ私がイム・ユンジュと仕事をしているのかと言った事。

(第1章第63話参照)

あれは、おそらくイ・ヘギョンさんから聞いたのだと思います。しかし、事実ではありません。

イム・ユンジュは誠意から私にナイフや…… 血液の事を話したのではなく、実は、私が…… あの……


「トラブル、話したくないなら話さなくていいんだよ」


 テオは優しく言う。


いいえ、そうではなくて…… テオ、私の事を嫌いにならないで下さい。


「何で⁈ 嫌いになるわけないよ!」


ありがとう。あの、実は…… 病院で目覚めた私は、れ物を触るようにしか扱ってもらえなくて、何があったのか誰も教えてくれませんでした。私は本当の事が知りたくて、それで、回診に来たイム・ユンジュの…… 首を聴診器で絞めて聞き出したんです。


「本当に⁈ 先生の首を絞めたの⁈ 」


 トラブルは、ああっと、顔を手で覆い下を向いてうなずく。


「ハッ! その頃からドSだったか」


 セスににらみ返す事も出来ない。


「じゃあ、イム・ユンジュ先生がトラブルの声を奪ったのでは、ない?」


 ノエルが確認をする様に言う。


 はいと、トラブルは顔を覆ったまま認めた。


「では、誰が奪ったのですか?」


 皆の刺さる様な視線を感じながら弱々しく手腕をする。


誰も奪ってはいません。目覚めた時から手足や舌に麻痺まひが出ていて、水を飲む動作も喉が思うように動かせない状態でした。虚血きょけつ状態が長く続いたので、その後遺症だろうとイム・ユンジュに言われました。手足はリハビリで動くようになったのですが、喉の麻痺まひが治らなくて。しかも、毎日来るイ・ヘギョンも刑事も一方的にしゃべるだけで私はうなずくか首を横に振るしかありませんでした。話す機会がないまま過ごしている内に完全に声帯が麻痺まひしました。


 トラブルはうつむいたまま、さらに弱々しくゆっくりと手を動かした。


『話したくない』と願ったつもりはないのですが『誰とも関わり合いたくない』と思ったのは事実です。奪った人がいるとすれば……それは、私です。


「ち、違うよ! トラブルは悪くない。だって、何度も死のうとしたんでしょ? イム・ユンジュ先生がもっと上手に伝えていれば、違う結果になっていたかもしれないよ!」


 テオは通訳を忘れて叫ぶ様に言う。


テオ……イム・ユンジュは私に首を絞められながら真実を知る覚悟は出来ているのかと、聞きました。私は、その意味が分からないまま愚かにも、ただ知りたいという理由だけで、うなずきました。イム・ユンジュは『君を信じる』と、言って話してくれました。


 でも…… と、続ける。


私は何の覚悟も出来ていなかった。信じるの意味も分かっていなかった。自分が聞き出した結果なのに受け止めきれなくなって現実から、ただ逃げようとした。何度も逃げようとしました……


「今でも逃げたくなるか?」

「セス…… 」


 テオは悲痛な面持ちでセスの顔を見る。


 トラブルは手をギュッと握り微笑んだ。


今は、逃げたくありません。正確に言うと、あの、誤解はしないでほしいのですが、いつ死んでもいいと思っています。死にたいのではありません。突然、死が訪れても後悔しないように生きている自信があります。彼の家に入った時、強くそう感じました。





 ゼノはセスとの会話を思い出した。

(第1章第12話参照)


(セスも同じ事を言っていた。これが乗り越えた者の強さか……)





「イム・ユンジュ先生は、良い先生?」


 テオは務めて明るく言う。


はい。私の知る医師の中では最高の医師です。彼は大学病院で1番の出世頭でした。腕が良くて、上司にも看護師にも患者にも好かれていました。次期外科部長になるとイ・ヘギョンは言っていました。私の傷を縫い直して医局を追われるまでは……


 トラブルは顔を上げて手を鳴らす。


さあ、あと、質問は? なければもう寝ましょう。明日は健康診断ですよ。


 しかし、メンバー達は動く事が出来ない。


 トラブルは、ため息をひとつして顎を上げて手話で言った。


私に寝かしつけてもらいたい人は?

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