第175話 代表とセスの出会い


 ツアーに間に合わせろと代表の無言の圧力を受け、セスは会社専属の作曲家と新曲の仕上げに入っていた。


 作曲家の作業室で、最新の音楽機器を操作する。


 セスは、このパン・ムヒョンという初老の作曲家をしたっていた。


 パン・ムヒョンは、クラシック音楽に深い造詣ぞうけいがあり、特にショパンが好みだった。


 よくセスに、ショパンを例に出して楽曲作りのアイデアを話して聞かせた。


 パン・ムヒョンの作業室には、いつもショパンが流されていた。


 クラシック音楽を聴きながらポップスを作曲する、この人の耳と脳を欲しいとセスは思っていた。


 セスは、この作曲家にだけ敬語を使う。


「随分と急がされているのだね」

「はい、デモはすでに渡してあります。今日中に終わらせる予定です」

「これがメインで……あと何曲かい?」

「あと、3曲です」

「3曲、今週中とは乱暴な注文だねー」

「いえ、今週中はメインだけです。あとの締め切りはツアーが終わった後です」

「また、ホテルで作業に追われるのだね?」

「そうですね」

「せっかく、世界を見て回れるチャンスなのに残念だねー」

「出歩きませんから」


 2人はショパンを聴きながら新曲を完成させた。






 セスは当初、会社の作曲家枠で応募して来ていた。


 しかし、事務スタッフは履歴書の写真を一瞥いちべつし、内容を確認せずにタレント応募に書類を回してしまった。


 オーディション当日、セスは会場の雰囲気が何か違うと気が付いた。


 代表やボイストレーナー、振付師、作曲家などの前で「得意な事をやって下さい」と、言われ、疑問は確信に変わった。


 自分は作曲家募集に応募した事を訴え、代表は履歴書を手に素直に頭を下げて謝った。


 しかし、せっかく来たのだからと、セスをピアノの前に座らせ、自作の曲を歌わせた。


 セスの歌声に、おー、と感嘆の声が上がり拍手が沸いた。


 代表はセスに、アイドルをしていても作曲は出来ると口説いたが、セスは承諾せず物別れに終わった。


 後日、代表から両親に連絡が入り、代表自らがセスの自宅で両親に対面した。


 両親は過去に詐欺に遭った出来事を話し、息子は裏方で好きな事で食べていければ、それで充分であり競争社会には向いていないと代表に言った。


 代表は自宅から通っても良いから是非セスに練習生になって欲しいと頼み込んだ。


 両親は、本人の気持ち次第で決めて良いと折れ、代表とセスを会わせた。


 代表はセスの可能性の高さを力説し、君ならスーパースターになれると、思春期の若者ならよだれものの常套句じょうとうくを並べた。


 しかし、セスは「それは、誰の為に言っているのですか」と、代表の言葉の裏に何かを感じて取り聞き返した。


 代表は驚き、そして認めた。


 実はゼノという練習生をリーダーにメンバーを探している。君にオーディションを受けて欲しいと正直に頼んだ。


 セスは、練習生になってもデビューする為には社内オーディションに合格する必要があると始めて知った。そして、自分は作曲家志望で、やはりアイドルには向いていないと断った。


 諦めきれない代表はセスの部屋を見回し、あるCDを見つける。


 それは、作曲家パン・ムヒョンの楽曲だけを集め、様々な歌手やバンドが参加したベスト版だった。


 代表は、うちに来ればこの有名なパン・ムヒョンと仕事が出来ると言った。


 セスは、パン・ムヒョンは大手音楽事務所に在籍しており、何年も頑張れば、やっと廊下で挨拶出来る程度の事を期待を持たす言い方をするなと、言い放った。


 代表はセスの頭の良さに舌を巻き、ますます彼が欲しくなった。


 そして、まだ外部には絶対に知られてはならない秘密を話した。


「パン・ムヒョンを引き抜いた」


 セスは驚きながら、弱小芸能事務所になぜそんな真似が出来たのか聞いた。


 代表はセスが「嘘だ」と、言わなかった驚きを隠しながら、自分がパン・ムヒョンに提示した条件は『自由な作曲』だけであり『自由』を条件にパン・ムヒョンは移籍を決めたと明かした。


 なぜパン・ムヒョンが必要かと言うとゼノのデビューを成功させる為の話題作りの意味もあるとまで、ぶっちゃけた。


 セスは会社代表にここまで言わせるゼノという人物に興味を持った。


 目の前の代表も、充分、セスの好奇心を刺激する人物だったが、ゼノに会ってみたくなった。勿論、憧れのパン・ムヒョンにも。 


 代表は、パン・ムヒョンの仕事部屋を見学に来ないかと誘った。


 セスは、天にも登る気持ちをポーカーフェイスで隠し「時間を作ります」と、代表に言った。


 代表は、その生意気な物言いに吹き出したくなるのを抑えながら「明後日、受付にこれを渡して。俺の部屋に案内する手配をしておく」と名刺を渡した。


 セスは、魔法のチケットに触る様に、震える指先で名刺を受け取った。






 新曲の完成を知らされた代表は、いつもの様にパン・ムヒョンの作業室で2人きりでチェックをする。


 そこで、セスの昔話に花が咲いていた。


「あのバカ、あの後、2日経っても来なかったんですよ」

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