第512話 ベンジンを吸い込むと頭が痛くなる


 優しい微笑みを浮かべるノエルと反対に、テオは小鼻を膨らませて気色けしきばむ。


「な! なんで⁈ なんで、そんな事言うの⁈ 今まで、応援してくれてたじゃん!」

「んー、始めは純粋にテオの恋を叶えてあげたいなぁって思ってー、で、テオの成長の為になると考えてー。今は、やっぱりトラブルと合わなかったねって気持ち。チャンチャン」

「そんな……昔のコメディみたいなオチで……」


 テオはノエルを、信じられないモノを見る様に見た。


 それでもノエルの微笑みは消えない。


「テオ、運命の出会いでも上手く行かない事はあるよ。トラブルは……テオにとっては理想的じゃなかったんだよ」


 ノエルはそう言いながら、セスを思い浮かべた。


(セスにとっては、理想的なのかなぁ……本当、セスの事は分からないな……)


「ぼ、僕にとって理想的じゃなくても、僕はトラブルが好きなんだ! 別れたりしないから! 絶対に別れないから!」


 テオは立ち上がり、興奮して部屋を歩き回る。


「じゃあさ、対策を考えないとねー」


 ノエルは髪をかき上げて言う。


「対策って?」

「んー、突然会いに行かない。必ず連絡を入れてトラブルの都合を聞いてからにするとか?」

「そ……そうだね」

「でも、それって愛人みたいだよねー?」


 ノエルは腹を抱え、腰を曲げて笑う。


「ノエル!僕の味方じゃないの⁈ 」

「味方だよー。でも、ファンクラブ会員数No.1のテオが愛人でいなくちゃならないなんてさー。リアルに面白いよー」


 大笑いをするノエルと対照的に、テオは涙目になる。ノエルは慌てて笑いをとめた。


「ごめん、ごめん、テオ。泣かないでよ。ね?トラブルは人並みじゃないって言ってたじゃん? だから、これも想定内でしょ?」

「うん、でも、こんなに腹を立てたり腹を立てたり……あれ? 2回言った?」

「うん、言った」

「こんなにトラブルに振り回されるとは思ってなかったんだよ。もっと、2人で、ただ幸せ〜ってなるんだと思ってた」


(妄想男がここにもいた……)


「リア充は大変だけど、それが恋愛してるって感じじゃん?」

「うん、そうだね……トラブル対策立てる!で、僕が落ち込まない様にする!」

「テオ! ガンバ〜」

「でも、トラブルは? トラブルも僕対策を考えてくれている?」


(また始まった)


「今まで、さんざんテオに合わせてくれてたじゃん。体を気遣ったり、心配させない様にしたりさ。遅刻しない為にバイクの調子まで悪くしてくれたでしょー?」

「そ、そうだよね。うん。トラブルも僕を考えてくれているよね」


 テオが、トラブルに対する気持ちを改めて固めていると、ジョンとゼノが入って来た。


「ノエル、テオ、聞きましたか?」

「うん、ベンジンでしょ? 聞いたよ。ここは臭わないよ」

「えー! 臭うよー!」


 ジョンが鼻を鳴らして叫んだ。


「え! ジョン! ベンジンを感じますか⁈」

「この臭いはー……餃子だぁー! 僕に内緒で餃子を食べたでしょー! ずる〜い!」


 ゼノとノエルが脱力していると、ドアがノックされ、代表がソン・シムを引き連れて入って来た。


「ここは臭わないな。大丈夫そうだ」

「上の階には登っていませんね」


 2人は各部屋を回り、確認をしていると言った。


 トラブルがセスを連れて入って来る。


「お。会議室は臭わなかったか?」


 トラブルは手話で答える。


はい。問題ありませんが2階なので、セスにこの階まで避難してもらいました。


 代表がソンに伝え、ソンは「そうだな」とうなずいた。


 セスが、ソファーにドサっと座る。


「疲れたー。階段で上がって来たんだぞ」

「え、エレベーターは?」

「こいつが止めた」


 セスは親指でトラブルを指す。


「トラブルが止めたって、どうして?」

「エレベーターでベンジンの揮発きはつ物質が上の階に運ばれる可能性があるんだと」


 セスは、喋るのもだるそうに言う。


「全エレベーターを止めて、換気しているな?」


 代表はトラブルに聞く。トラブルは、当然と、うなずいた。


 こめかみを揉んで眉間にシワを寄せている。


「トラブル? 頭が痛いの?」


 テオはソン・シムの存在も気にせず、トラブルの肩をさすった。


「あー、掃除も手伝ってもらったから。俺達はシンナーやベンジンの臭いに慣れているが、お前はなー……」


 ソンは心配して言うが、代表は「マスクもしないで作業するからだ」と、吐き捨てる様に言う。しかし、見捨てはしない。


眩暈めまいや吐き気は? ないな? なら医務室で酸素でも吸って来い。頭痛が治らなければ帰ってもいいぞ」


 代表に言われ、トラブルは肩をすくめて、急ぎの仕事を片付けると、手話をして出て行った。


 代表は控室で遊んでいる様にしか見えないメンバー達を見回す。


「ゼノ、待機中なのか? なに待ちだ?」

「あー、振り付けの先生が会議中でー……セスが戻ったという事は会議は終わったのですね?」


 ゼノはダンス室に行くべきかセスに聞いた。セスは首を横に振る。


「新しく組み直しているから、近づかない方が身のためだぞ」

「あー……なるほど。では、今日は解散ですかねー? マネージャーに連絡してみます」


 ゼノは代表に向き直り、代表はうなずいた。


「帰れるなら帰れ。休める時に休まないとたなくなるぞ」

「はい、分かりました」


 代表は手を挙げ、ソン・シムは頭を下げて部屋を出て行った。


 ゼノはマネージャーに代表から帰宅の許可が出たと伝える。マネージャーは少し待つ様にゼノに答えた。


 テオは、そっとノエルに耳打ちする。


「ねぇ、ノエル。トラブルの所に行ってイイかなぁ?」

「え、忙しいって言ってなかった⁈」

「そうだけど、具合が心配だし手伝いたいし」

「んー、まあ、イイと思うけど」

「やった! マネージャーには上手く言っておいて」

「明日は早いからさー、今日は帰って来るんだよー?」

「分かった。じゃあね」


 テオはノエルの肩をポンポンとして、走って控え室を出て行った。


(テオー、大丈夫かなぁ。面倒な事にならないとイイけど……)


 ノエルは幼稚ようちさの抜けない幼馴染の背中を見送る。

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