第268話 うんこじゃないもん!


 ドアの外でテオの心配する声がするが、用を足しているトラブルには無事を伝えるすべがない。


 ドアが強くノックされる。


(ちょ、ちょっと! 打ち破って来ないでよー!)


 ドアの外が静かになった。


(嘘……耳をすましている⁈ やりにくいんですけどー! あ、そうだ)


 トラブルはトイレの水を流した。





「あ! ジャーって、トイレを流す音がする!」

「良かったですね。さ、ドアから離れてあげないと、レディーに失礼ですよ」


 ゼノが腕を引いても、テオはドアから耳を離さない。


「でも、助けを呼ぶ合図だったら…… あ、また、流す音がしてる!」

「デッカい、うんこ流してんだろ」


 セスはドアから離れた。


 そのドアがふいに開く。


「トラ……!」


 テオが笑顔を向けた瞬間、トラブルのこぶしは真っ直ぐセスに向かった。


「がっ!」


 セスが顔面を押さえて座り込む。


「トラブル! 大丈夫?」


 テオが気にかけるのはあくまでもトラブルだ。体を支えながらベッドに連れて行く。


「俺は、大丈夫じゃない! 鼻を殴りやがった!」

「自業自得ですよ」


 ゼノは、そう言い残して夕飯の仕上げにキッチンに行った。


 テオは甘えた声でトラブルに聞く。


「具合はどう? 心配したよー」


えっとー、右のこぶしが痛いでーす。


「だよね〜。冷やす?」


うん、冷やす〜。


「お前ら! 俺を殴ったからだろ! 俺も冷やす!」

「セスが悪いんですー」

「ゆっくり、うんこさせてやれって、テオを止めてやったんだぞ!」

「汚い言葉をトラブルに使わないで下さい。ねー、トラブル?」


ねー。セスのバーカ。


「今のは、いいのかよ!」

「このチャプチェは完成ですか?」


 じゃれ合いは相手にしないゼノが、キッチンでセスを呼ぶ。


「おなか空いたよー」


 ジョンがノエルとボードゲームをしながら催促さいそくをした。


「はい、はい。さあ、運んで下さい」

「何で、ゼノが作ったみたいな顔してんだっ」

「セス、鼻が赤いですよ。本当に冷やした方が良さそうですね」

「そう言ってるだろ!」


 セスはゼノから保冷剤を受け取り、ブスっと不機嫌に床に座る。


「わーい、サムギョプサルとチャプチェだー。この雑炊がラーメンの代わり?」

「それは、俺の鼻を折った狂犬のだ」


 セスはキッチンに立つ。


「折れてないでしょー。セスは大袈裟なんだから」

「ノエル、一度あいつに殴られてみろよ。ハンパないぞ」

「普通、殴られないでしょう」

「便所から出るなり、殴る方がおかしいだろ!」

「面白かったよー」

「左手を折ってやる!」


「どれを持って行っていいの?」


 トラブルしか見えないテオがセスに聞いた。


「……そこの鍋の雑炊とチャプチェだ。サムギョプサルの肉とサンチュとエゴマの葉と、味噌も取り分けろ」


 なんだかんだと、結局、世話をやいてくれるセスにリーダーのゼノは心の中で手を合わせる。


「キムチがいっぱい! 嬉しい!」

「ああ、試食して美味かったからな。ケジャンもあるぞ」

「久しぶり〜!」


 テオはトラブルの為に小皿に料理を取り分ける。


「トラブル、お盆はないの?」


 トラブルは、うーんと考えて、分厚い医学書を指差した。


「え⁈ これ? これに乗せていいの?」


最新刊があるので、使って下さい。


高価たかそうな本だけど……」


 テオは医学書に皿を置く。


「食べさせてあげようか?」


 トラブルは首を横に振り、体を起こして、美味しそうと、手話で言った。


「だよね。用があったら指を鳴らしてね」


 テオはノエル達と床に座り、食事を始めた。


「トラブルは食べられそうですか?」


 ゼノが聞く。


「うん。セス、ありがとう」


 テオは、話しかけたゼノではなく、セスに礼を言った。


「なんだ、テオ」

「だって、辛くない物を作ってくれて……トラブルが美味しそうだって」

美味うまいんだよ。ほら、好きなの巻いて食え」

「うん、いただきまーす」


「ノエル、お風呂が猫足で可愛いんだよ。あとね、下にカメラがいっぱいあるの。トイレもあるんだよー」

「ジョン、案内してよ」

「うん!食べ終わったら探検に行こー!」

「こら、ジョン。家主のトラブルに許可を得てからですよ」

「うん!」


 ノエルが部屋を見回して笑顔を見せた。


「テオ、本当に何もないけど……落ち着くね。なんだか生きていく為にある家って感じ」

「うん、ノエルと来れて嬉しい」

「テオー、可愛い事、言ってくれるー」

「ほら、そこ、食べ終わったら洗って下さいよ」

「僕、皿洗いできないもーん」


 ノエルはゼノに右手を振って、アピールした。


「あ、痛たっ」


 ノエルは思わずギプスを押さえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る