第108話 尻を蹴る


「タルクを大量に吸い込んだなら大変だ」


 イム・ユンジュの様子を見たヤン・ムンセは「全員、目の痛みも喉の違和感もありません。

大丈夫かと思われますが…… タルクって何ですか?」と、首を傾げた。


「ベビーパウダーの主成分だよ。肺雑はいざつは?」

「へ? 聞いていません」


 イム・ユンジュは呆れる。


「そのステート(聴診器)は何の為に持っているのかな?」

「ミン・ジウさんに診察しておけと渡されました」

「で、その意味が分からないのに引き受けてしまったと……」

「あ、はい。何故、聴診器が必要か分かりませんでした」

「その時に看護師に聞かなくては。分からない事は看護師に聞く。大原則ですよ」

「はい。すみません」

「1番吸い込んだ可能性のある方はどなたですか?」





 着替えを終えたテオとトラブルが戻って来た。


 イム・ユンジュがジョンを座らせ、肺の音を聴診器で聞いている。


 トラブルは驚いて走り寄り、救急車を呼びますかと、言う。


「いや、大丈夫そうだ。ヤン先生の代わりにエア入りを確認してた」


聞いていなかったのですか?


「すみません。聴診器を渡された意味が分からなくて聞きませんでした」


 トラブルの足が素早くヤンの尻を蹴り上げた。


 バシッと重い音が響き、ヤン・ムンセは「いっ!」と、前へ飛ぶ。


「また! ミン・ジウ! あなたも相手に伝わっているか確認しなかったでしょう! ヤン先生、大丈夫ですか?」


 イム・ユンジュは後輩を助け起こす。


 トラブルは、このバカと、怒った顔で語っていた。


 ベテランの医師は看護師の機嫌で職務を怠る事はしない。


「ミン・ジウ、ベビーパウダーの製造年月日は確認しましたか?」


 トラブルは手話で答えた。


「古くはないね。量は? 多いね……すぐに窓を開けましたか? そうか。なら、大丈夫かな…… 」


 ゼノはトラブルの行動に驚きながらもイム・ユンジュに不安顔で聞く。


「ベビーパウダーを吸い込むと、そんなに危険なのですか?」

「ベビーパウダーはとても小さな粉末で出来ています。それを肺いっぱいに吸い込むと気管支粘膜の表面にべたりと張り付き、気道を塞ぐ事があります。古いベビーパウダーはアスベストが含まれていた事があり、長期に渡り経過を追わなくてはならない場合がありますが、新しい物だったので問題はありません。今は業務用の400gと量が多いので窒息を警戒する状況です」


 イム・ユンジュはゼノに説明をしながら、ヤン・ムンセにも聞かせる。


「窒息⁈ ジョンは大丈夫ですか⁈」


 ゼノはジョンの背中をさする。


「今のところ問題はなさそうですが、24時間は警戒した方が良いですね。次に吸い込んだ可能性のある方は?」


 トラブルは、他のメンバー達と真っ白な顔のユミちゃんの診察をイム・ユンジュに頼む。


「そうだね。医務室へ移動しましょうか」


 トラブルはソヨンに、後で話を聞きに来ますねと、微笑む。


 9人で医務室に向かった。


 着替えの為、途中でメンバー達は練習室に立ち寄る事にした。


 テオは「濡れた服、そのままだったから」と、トラブルから離れてメンバー達と行動を共にした。


 トラブルと医師2人、ユミちゃんは先に医務室に入る。トラブルはドアに診察中の札を下げてロールカーテンを降ろした。


 イム・ユンジュは診察台にユミちゃんを座らせ、聴診器をあてて肺の音を聞いた。


「うん、大丈夫そうですね。口の中にベビーパウダーの味はしませんか?」

「は〜、かっこいい〜」

「はい?」

「だだだ、大丈夫です」


 ユミちゃんは真っ赤になった。


 トラブルは、毎日、スーパーアイドルを間近で見ているユミちゃんの萌えどころが分からないと苦笑いをする。





 着替えを終わらせ医務室に向かいながら、ノエルはテオの様子がおかしいと気付いた。


「テオ、どうしたの?」

「ううん、何でもない…… 」

「あの医者。トラブルの声を奪った奴だろ」


 セスが低い声で言う。

(第1章第63話参照)


「え! そうか! 気が付かなかった」

「どっちの先生?」


 ジョンの疑問にゼノが答えた。


「あとから来た、聴診器をあててくれた先生ですよ」

「テオ、怖い顔しているよ」

「だって平気じゃいられないよ。でも、トラブルは普通に接しているし、とても良い人そうだし…… どう、考えればいいのか分からないよ」

「トラブルが若い方の医者を蹴飛ばした時、あの医者『また』と言った」


 セスが指摘する。


「それは僕も気が付いたよ」

「ノエル、トラブルが以前にもヤン先生を蹴った事があるという事ですか?」

「そうなるのかなぁ」

「もしくは、誰かを蹴った所を見た事があるか、自分が蹴られたかだな。どちらにしろ親しげだった」


 テオが手を合わす。


「あー、もう、皆んな、ごめん!」

「何でテオが謝るのさ」

「パク先生の主治医だった先生で、トラブルが一緒に仕事をしてるって事は、いい先生なんだよ。うん、そうだ、いい人だ。よし! もう大丈夫!」


 テオは大股で歩き出す。


「全然、大丈夫そうじゃないけど…… 」


 ノエル達は後を追う。






 医務室に入ると、トラブルの高速手話とイム・ユンジュの医学用語が飛び交っていた。


 ソファーでユミちゃんとヤン・ムンセが神妙な面持ちで並んで座っている。


「いったい、どうしたんです?」


 ゼノが小声でユミちゃんに聞く。


「分からないわ。ヤン先生に聞いて」

「医務室の設備の事で2人の意見が対立しています」


 ヤン・ムンセも小声で返す。


「設備ってなあに?」


 ジョンの普通の音量の声でトラブルとイム・ユンジュが振り向いた。

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