第87話 セスの苦しみ


 車の中の4人にはセスの寝息だけが聞こえる。


 沈黙がつらくなりノエルが口を開いた。


「テオ、ごめんね。僕のせいだよ」

「謝らなくていいよ。誰も悪くないよ。大丈夫は大丈夫で大丈夫だから」


 運転をしながらゼノが笑う。


「テオ語が炸裂しましたねー」

「え? 意味わかんない?」

「いや。すごく 伝わりましたよね、ノエル?」

「うん、伝わったよ」


 ノエルは幼馴染みに微笑む。


「トラブルがセスに、風邪ひかないように、お風呂でしっかり温まりなさいって言ってた」

「サウナ行こー!」


 ジョンが元気に叫ぶ。


「今からですか?」


 ゼノは、不安ながらも大人しく待っていた末っ子にご褒美が必要かと思うが、全員に早く休息を取らせたいとも思う。迷いながら、少し嫌な顔をした。


「帰る」


 突然、寝ていたはずのセスが、目を閉じたまま不機嫌に言い放った。


「起きてた!」

「帰る」


 低い声で繰り返すセス。


「はい、帰りましょう」


 ゼノは真っ直ぐ車を宿舎に向かわせた。




 宿舎に到着してもセスは不機嫌な様子のまま、無言でお風呂場に向かう。


 ゼノが「今、湯を張るから」と、言っても聞く耳持たず、シャワーを浴びて出て来た。


 リビングのソファーにドサッと座る。


 終始無言だった。


 セスのこういう態度は、何か言いたい事がある時だと、ゼノは気付いていた。話したくない時は自分の部屋にこもってしまう。


(セス……分かりやすいですが、年下の皆は萎縮してしまうと気付いているのでしょうか……)


 ゼノは「疲れているところ、悪いのですがトラブルと何を話したか教えて下さい」と、聞きながら向かい合わせに座る。


 言いたいんでしょとは、言わない。


 セスは薄目を開けて、パク・ユンホとトラブルのバリ島でのやり取りを話した。


 やはり「ププタン?」と、質問が来る。


 トラブルから聞いた内容を簡単に話した。


「あとは、自分で調べろ。で、そのあと……」

と、話を続ける。


 太陽が沈んでからの壮大な景色。

 パクの死んでからの目標。

 最期の願い。


「死んだらやりたい事なんて、パク先生らしい考え方ですね……」


「なんか、いいね」と、ノエルは髪をかき上げる。


「笑顔はパク・ユンホが取り戻した」


 セスの言葉に皆が納得をした。


「ノエル、セス、ありがとう」


 ふいに、テオが言う。


「なんで僕も⁈ 」

「だって、トラブルを動揺させた……じゃなくて、磨いた……でもなくて、えーと、えーと、パク先生は何て言ってたっけ?」

研磨けんまでしょ?」

(第1章第60話参照)

「そう! 研磨してくれたからトラブルは話す事が出来た。で、セスだから聞く事が出来た。だから、ありがとうです」


 ゼノは、なんでも前向きに考えるテオをハグする。ノエルとジョンも加わった。


 暖かい空気がリビングに広がる。


 しかし、セスの不機嫌な顔は戻らない。眉間にシワが寄り、さらにつらそうに見える。


「セス、具合が悪そうですが大丈夫ですか?」

「いや……大丈夫じゃない。俺はあいつの話を平気で聞けたわけじゃないんだ」


 セスは体を折り曲げて膝を抱える。


 膝に頭を付け、目を閉じて頭を抱え出した。


「!」


 ノエルが咄嗟とっさに「セス、僕を見て」と、声をかける。


「セス、目を開けて。僕を見て。顔を上げて僕を見て」


 ノエルはセスの手を取り、顔をのぞき込みながら声をかけ続ける。


 しかし、セスは目を開けない。


(嘘……セスにフラッシュバック⁈ )


 ゼノはノエルを押しのけ、セスの顔を強引に上げさせ、肩を揺さぶる。そして、大声で叫んだ。


「目を開けて下さい! 私を見て! セス! 負けてはいけない! 目を開けて! 闇なんかに連れて行かせませんよ!」


 セスは、ようやく薄っすらと目を開けた。


 しばらく視線は空中を彷徨さまよってから、ゼノとしっかりと目が合う。


「ふー……」と、一息吐いて、ソファーにもたれ掛かった。


「分かりますか?」

「ああ、分かる」


 セスは小さく言う。 


「以前にも、こんな事が?」

「いや、始めてだ。何か恐ろしい感情だけの生き物に襲われるような、悪夢の中で迷子になっているような……」


 セスは、皆を見回し「もう、大丈夫」と、言う。


 ホッと、リビングの緊張が解けた。


「ノエル。お前があいつにした質問は間違っている。3人のうち誰が好き。ではなく、テオとカン・ジフンの2人のうちだ。俺は入っていない」

「でも……」

「確かに、あいつが抱えている問題をお前らよりは理解しているつもりだ。あいつが言った通り、同じ戦場で戦った者同士の絆で結ばれていると感じる。俺といると気が休まると言う気持ちは俺も一緒だ」


 セスは顔を撫でて深呼吸をした。


「でも、俺はあいつが精神的に不安定になっているのを見ると、13才の頃の記憶(第1章第12話参照)が戻ってきてキツイんだ。口の中にまずい病院食の味が広がってどうしようもなくなる。支えなくてはと、思えば思うほど一緒に心の闇に堕ちて行く恐怖を感じるんだ。俺はトラブルの過去や今を共に生きる事は出来ても、パク・ユンホのように未来を描いてやる事は出来ない。俺自身がまだ不安定なんだ……まだ、というか、ずっと……」


 ゼノもノエルもかける言葉が見つからない。慰めも励ましも何の意味も持たないと分かった。


 重い沈黙が続く。


 その時、分かったと、テオが沈黙を破った。


「分かったよ、セス。僕がトラブルと未来を描くから、セスは僕とトラブルの側にいて。見たくない時は僕が見ているから、ただ、側にいて。あ、トラブルが僕を選ばなかったら……元に戻るだけか。うん、問題ない!」

「ハッ!お前には、かなわないよ……」


 安堵した、しかし、疲れた笑顔を見せてセスは項垂れた。


「お腹空いたー!」

「ジョン、今、言いますか」

「だって解決したでしょう?」

「そう……ですか? セス」

「ああ、解決した」


 セスは頰を上げて見せた。


「お腹空いた!」


 繰り返すジョンに「インスタントしかないぞ」と、セスが立ち上がる。


 ジョンとゼノもキッチンに立ち、セスを手伝った。


 テオはソファーの前から動けないでいた。


「どうしたのテオ?」


 ノエルが優しく聞く。


「僕は、何を頑張ればいいのかな……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る