第521話 マリア


 世話役の女性は年長者であろう、1人の少女をトラブルに紹介した。


「彼女はマリア。母親が妊娠中に風疹にかかり、高度の難聴になりましたが幸いな事に視力にも知力にも問題がなく、皆のリーダーになっています」


 トラブルは(こんにちは)と、アメリカ手話をして見せた。


 マリアは驚きながらイギリス手話で(こんにちは)と、返す。


「この国は、大昔、イギリス領だった時代があります。イギリス英語を使っていた歴史があるのです。なので、イギリス手話を教える手話教師が多くて……彼女と、ここにいる手話を使う子達はイギリス手話しか分かりません」

 

 トラブルはマリアの前で膝を曲げて視線を合わせた。


私はミン・ジウと言います。韓国から来ました。看護師です。皆は『トラブル』と、呼びます。


 マリアは「トラブル⁈」と笑いながら、手話を返した。


なんで、トラブルって呼ばれているの?


悪い事ばかりして先生を困らせていたから。


 マリアは無邪気に笑い声をあげ、仲間達に言葉と手話で伝えた。


「韓国から看護師が来たわ。名前は、えーと……トラブル。悪い事ばかりしていたんですって! 見た目はねー、髪が短くてガリガリで男みたい。あ、ジタン、あんたの家の犬に似てるかもー!」


 子供達がキャッキャッと笑い声をあげる。


 トラブルは苦笑いをしてマリアを見た。


マリア、私は耳は聴こえています。口語障害……口がけないだけです。


「え! ごめんなさい……」


いいえ。マリアにお願いがあります。私はマレー語が分かりません。私の通訳になってくれますか?


「いいわよ。皆んなを紹介するわね」


 マリアはコホンと咳払いをして、手話とマレー語で仲間達を紹介した。マリアの紹介は大人顔負けで、その子の性格から障害の特徴まで説明してみせた。


 トラブルはうなずきながら、1人1人を観察する。マリアの説明は的確で、まるでカルテを読んでいる様だった。


マリア、ありがとう。


「いいのよ。分からない事があったら、私に聞いて」


 その大人びた物言いに、友人の顔が思い浮かぶ。


(ユミちゃんにそっくりだ。仲良くなれそう)


 笑顔で握手を交わし、トラブルは世話役の女性と部屋を出た。


 別室で、メモに書いた質問を見せる。世話役の女性はうなずいて質問に答えた。


「学校から助け出された子供達で軽傷者は保護者が迎えに来て家に帰りました。重傷でここに運ばれた子供達は……全員、亡くなりました」

『全員⁈』

「はい。昨日までに全員……まだ、見つかっていない子供もいます」

『あの子達は保護者と連絡が付かないのですね?』

「その様ですが……3日経っても迎えに来ないという事は……」

『遠方でバスが動いていないからなどでは?』

「いいえ。全員、車で通学していた様ですが、マリアいわく、皆の自宅は歩いて行ける範囲だと」

『両親は亡くなっていると?』

「親だけではありません。兄弟、祖父母、叔父、叔母、保護者になりうる家族のすべてが……そう考えるのが自然です」

『この3日間、彼女達の世話をしていたのはあなたですか?』

「いえ。一緒に救出された養護の先生がお世話を……」

『その方は今どこに?』

「……5時間前に亡くなりました」


 トラブルは絶句する。そして、世話役の女性が名簿を見て良かったと言った理由を理解した。


「背中の怪我を隠していた様です。ドクターが気付いた時には敗血症で……最後まで抗生剤の投与を拒否したそうです。処置も薬も子供達を優先させてくれと」

『それを子供達は?』

「マリアには伝えました。彼女はきっと、家族も亡くなったと察していると思います。強い子です」


 世話役の女性は、下を向くトラブルに強い口調で言った。


「怪我をしている子供は2階の小児病棟にいます。その中にも障害児がいます。聾唖ろうあの子が多くて、ミン・ジウさんの情報が入ってから、皆、待ちわびていました」


 トラブルはうなずいて顔を上げた。


 マリアの待つ部屋に戻り、マリアに2階に付いて来て欲しいと頼む。しかし、世話役の女性は止めた。


「病院内を見せない方が……子供ですし」


(でも、私はマレー語が分からない。マリアの方が友達の情報を持っているかもしれないから……)


 トラブルはマリアを見下ろす。


 マリアは2人を見上げながら笑顔を見せた。


「大丈夫よ。通訳をするだけ。邪魔はしないから」

「マリア、上は……」

「友達がいるんでしょ。きっと、私に会えば元気が出るわ」

「あのね、マリア……」

「子供の笑顔に元気をもらえるって言うじゃない? それに、最後に見るのが病院の天井なんて可哀想よ」

「マリア……少しだけよ。いいわね?」

「OK」


 耳が聞こえないはずの少女の察しの良さに、トラブルは舌を巻く。


 3人で階段を登っていると、パッと明かりが点いた。


「あら、もう修理出来たのかしら。ソン・シムさんは優秀な方ですね」


 トラブルは大きくうなずいてみせる。


 2階は、地震前からの入院患者と、体重が軽くて担いで上げられた小児の患者が集められていた。


 廊下の床には、息のある人とない人の見分けがつかないほど、たくさんの患者が横になっている。


(上の階は暑いな……)


 額の汗を拭う。


 世話役の女性は障害児が集められている一角に案内した。


 トラブルは、その光景に眉間にシワを寄せた。


(怪我人と病人が一緒くたになっている。向こうの健常児は症状別に寝かされているのに……ここにも差別が……)

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